世紀の売却・その2

前々日よりの続き。

世紀の売却―第二のロシア革命の内幕

世紀の売却―第二のロシア革命の内幕

若手改革派のリーダー、ガイダールは祖父が革命の英雄という家柄であり、ソ連知識階級の過保護な世界で育ったインテリだった。彼等は皆学者であり、自分達が担うことになった役目の重さに怯えた。そして権力獲得という視点も欠けていた。

ガイダールは資本主義改革を開始してから数ヶ月後、世故に長けたチェコの先輩からまさにそうしたことをするように忠告されている。1992年の春、ガイダールはプラハを公式訪問し、ヴァツラフ・クラウス・チェコ財務相と会見した。当時、市場改革に携わっているすべての旧共産党出身者の中で、クラウス以上の成功を収めている者はいないと見られていた。
最初の非公式会談でガイダールは、自分の推進している劇的な経済上の変化にすっかり夢中になり、統計上のデータを次々に繰り出した。年長のクラウスは、しばらくの間、辛抱強く耳を傾けていたが、不意にガイダールの説明をさえぎって言った。
「インフレの統計やマネー・サプライも結構だが、究極的には、ロシアの資本主義革命の命運は、それを企画している者の政治的才能によって決まるのであって、技術的な能力によって決まるのではない」
そして、次のように警告を発した。
「市場改革を支えるための政治基盤をつくらないかぎり、政権入りを勧めてくれた連中や思いがけない政治的策略に、いつまでも縛られたままになりますよ。あなたの手がけていることや手がけようと思っていることはすべて、いともたやすくぶち壊すことができますからね。あなたの一番大事な仕事は、実施中の改革を支える政治勢力を強化することです」

何故貧乏になったロシアの有権者は東欧のように共産党を選ばなかったのか。

ポーランドハンガリーなどの国では、昔ながらの共産党政権は1989年に旧体制が崩壊したときに、風采の上がらぬ反体制派知識人の一団によって権力の座から引きずり下ろされた。だが数年後、衣替えした東ヨーロッパの旧共産党勢力が政権奪取を目指して選挙に出てきたとき、それら勢力は政権を握るにふさわしい政党として、あるいは統治の技術に長けた旧体制のテクノクラートのエリートとして選挙運動を展開した。それとは対照的にロシアでは、旧体制のエリートの大部分は繁栄を保ち、堅固に同じ場所にとどまっていた。したがって、ロシア共産党が代表する社会階層は東ヨーロッパの同志のそれとはかなり異なっていた。
ロシア共産党員は、旧ソ連共産党の中から生き残った強硬派である。それらの元官僚たちはみんな、ボリス・エリツィンのロシアで出世するには頭脳と柔軟さのいずれかを欠いており、ポーランドの旧共産党が考案した穏健党綱領のような新型の社会主義を考え出すほどの感性ももち合わせていなかった。最終的にロシア共産党に残されたものは、民族主義しかなかった。

ニューヨーク証券取引所のフロアで自社株公開に立ち会ったジミンのソ連的怒り

ロシア資本としては最大規模であるジミンの携帯電話会社の株価は、見る見るうちに急騰していった。これは幸先のよいスタートのはずだった。つまり、新規公開で大当たりする株は店頭公開日から価格が急激な上昇曲線を描くものなのだ。そうすると、追加の売り出しに弾みがつくし、初期段階で投資した者も儲けを得る。アメリカ人の投資銀行家から幾度となく説明を受けていたこともあり、ジミンはその点をよくわきまえていたつもりだったが、まさにその瞬間、心の片隅に残っていた一抹のソ運的思考様式が頭をもたげた。自分たち以外の誰かが大金を手にするのだ!そう思うだけで、ジミンは怒りが込み上げてきた。怠惰な投資家がジミンの努力に便乗して金持ちになる。それは、マルクス・レーニン主義を講釈する教師たちが「資本主義的搾取」と呼んでいた恐るべき事態だった。

1996年2月ダヴォスにてオリガルヒは結束する

「ソロスがこう言っているの聞こえた。『ねえ君、君たちの時代は終わりだ。これまで数年はいい思いをしてきただろうが、もう時間切れだよ』。ソロスの主張は、共産党の勝ちは確実だということだった。ロシアの実業家は何としてでも飛行機に乗り遅れないようにして、自分の命を失わないよう注意しなくてはならない。ソロスはそう語っていた」
ホドルコフスキーは、平手打ちを食った気分だった。共産党の勝利は、単に可能性があるというのではなくほぼ確実な事柄であり、西側もそれに歯止めをかけるための策を講ずる気がないことをホドルコフスキーはにわかに悟ったのである。寡頭資本家(オリガルヒ)が自分で築いた一大帝国を守りたかったら、自分でやるしかなさそうだった。
だが、どうすればいいというのだろう?
(略)
チュバイスは、ほかの民主派がエリツィンを見限ったあとでも、エリツィン政権の自分のポストに頑なにしがみついていた。(略)
[西側に向けてチュバイスは]
「ジュガーノフは二つの顔をもっている。一方は外国向け、もう一方は国内向けの顔だ。六月の大統領選でジュガーノフが勝てば、奴はこれまで数年かけて行われてきた私有化を取り消して元に戻すだろう。そうなれば、血の雨が降ることになり、本格的な内戦になる」
(略)
「グシンスキーは、チュバイスが次のように述べるのをじっと聞いている。『共産党私有財産を再国有化し、国家による管理を再び導入する計画を立てている。ここにあるのがその声明文だ。そして、これが共産党の経済政策だ』と。それを聞いたグシンスキーはこう言う。『くそっ、奴らが本当にそんなことをするつもりなら、ロシアに帰国する意味はまったくない』。数分が経過し、グシンスキーは今度はこう言う。『くそっ、チュバイスは気に人らないが、奴は真に闘志がある人間だ。奴にはカリスマがある。奴に仕事を打診するぞ』。また数分が経過し、いまやひどく興奮したグシンスキーはこう結論を下す。『おい、共産党を相手に戦えるのはチュバイスだけだぞ』」

改革派ガイダールの疑念

「問題はこうです。ジュガーノフが勝ったら何をするつもりなのかがかなり明白であるのに対し、エリツィンの場合はそれがはっきりと見えない。エリツィンの実効的なロシア支配は制限されていて、現実にこの国を支配しているのはエリツィンに入る情報をコントロールしている連中なのです」

1998年ロシア融資を決定したIMFの不安とは

もしかすると、西側の資金は新規の投資家を引き込むどころか、古参の投資家が損することなく退出するのを促すことになるのではないか」(略)
ボリス・ヨルダンは次のように回想している。
「包括的救済策が発表されたことによりロシアの大きな諸問題が解決されるだろうと、誰もが考えていた。しかし、それはまったくの妄想だった。なぜなら、みんながそれをもっぱら脱出口として使ったからだ。誰もが、こんな具合に感じていた。『ほら、まだ40億あるうちに逃げ出そう。最初に逃げ出した者が一番賢明だ』」
八月初めには、脱出を図る人々が出口のほうに一気に殺到し始めていた。ロシア経済はつぶれる寸前の状態だった。オリガルヒが悟ったように、問題は金融システムが崩壊するかどうかではなく、単にその崩壊がいつになるのかということであった。

自己保身のためにエリツィンとオリガルヒが担ぎ上げたプーチンにより旧官僚が復活した。

すでに2004年までにプーチンは、ゴルバチョフエリツィンが大いに骨を折って創設した市民社会の制度のうち多くのものを意図的にたたきつぶした。たとえば、オリガルヒが証明したように大統領を生み出す能力をもっている全国ネットのテレビ放送は、すでに国家の支配下に引き戻された。また、非政府系の政党も敗北を喫し、地方の公選知事たちは骨抜きにされ、忌憚のない発言をする事業家は国外に追放されたり投獄されたりした。エリツィン時代に急速に頭角を現した組織活動家や改革派の面々、オリガルヒ、そして権謀術数に長けた連中は、実業界と政界から追い出されつつあった。