大学のエスノグラフィ

大学のエスノグラフィティ

大学のエスノグラフィティ

大学内「13歳のハローワーク」的薄い内容。前半はゼミをどうしようかという学生に、後半は大学に残ろうという人に。ミモフタモナイからそれなりに役に立つのか。他人事だからどうでもいいけど。つい借りてしまったのは、教授になる人のタイプがあまりに笑えたので。

教授になる人

ものを考えるのが好き、本を読むのが好き、というのはどの分野にもいる、知的でおとなしい人です。大学の教師には、ものを考えたなら、それを人に知らせたい、そのことについて誤った考えがあれば正したい、という攻撃性、もう少し穏やかに言えば積極性がどうしても必要となるのです。それは、最初から攻撃を目的としていると言うよりは、必要とあらば反撃も辞さないという種類のものです。これが正しいと述べ、それを批判されたなら、ひるむことなく相手を論駁する。
(略)[それに必要な]「反撃的意志」と「情報処理能力」が重なると、かなりしつこい、強いキャラクターが生まれます。浮世離れしているようでいて策略家であり、実際的でないようでいて用意周到であり、中性的ではあっても態度ははっきりしていて、悪いことはしないようでいて最後には自分の利益を貫く。この子は頭もいいし、じっとしているのが好きだから学者に向いているのではないか、というのは、反面当たっていますが、攻撃力と情報力がないままこの道を目指すと、途中で挫折するか、タコツボ以上に小さい穴を掘って時間を過ごすことになります。

僕の狷介な先生

由良[君美]先生は見たところ大変紳士で、パイプなどくゆらしているのですが、狷介な性格で、かつ破滅的なところがあり、それがお坊ちゃん気質とない交ぜになり、学生にはお守りが難しくなることがある………そうです、学生が「お守り」している感じになる先生がいますがあれです。その後、由良ゼミは参加者は私と、歌右衛門好きで百科全書派の研究をしている、という相当の変わり者の二人だけになってしまいました。そして彼も来なくなる……。(略)
先生と二人しかいないゼミに出かけていくと、授業の開始とともに、先生はポン、とビールのふたを空け、リチャード・バートン朗読のコールリジの『老水夫行』のカセットをかける。あとは酔いの進みの深さにより、話は談論風発だったり、ぼそぼそと屈曲したり。

DNA解明学者の憂鬱な日々

ワトソンはアメリカから来た、博士号はあるが就職待ち、俗に言うポスドクという不安定な立場で、クリックにいたっては36歳になって未だ博士号がない。さらにつらいのは、ワトソンもクリックもDNAを研究することは学科で「公式」に認められていなかったということです。クリックはヘモグロビンの研究で博士号を取らねばならないことになっていた!
しかし、憂鬱は彼らだけではなかったと、これまた想像ですが考えられます。不安定な彼らと違って、ケンブリッジ大学の「教授」たちは快楽にいそしんでいたかというとそうではないでしょう。指導する方の教授たちにしたら、就職待ちの院生はまだしも、36歳で、博士論文を完成させようとしない、しかしながら、頭がいいことだけはよく分かる大学院生、なんてのは、まことに始末が悪い。そんな学生の尻を叩くのはしたくもなく、なるべく早く博士号を取って、就職先を見つけ、出て行ってほしい。(略)
若い二人がすべての時間を最先端の研究に捧げているときに、自分は、やれ大学の規則改正だ、やれチャペルの改修資金集めだ、と「くだらない」ことに時間を費やしていることは、心底憂鬱にさせる。

学者は結婚はともかく子育てなんかやってる暇はねえと豪語して四人の子供は妻に押し付けた船曳センセイの大胆男色発言

かつて研究者といえば男性であることがふつうであったときには、男性が独身を続けることで、時には家庭を持たぬゲイの関係によって性愛の世界と両立させつつ解決していたのですが、現在は女性研究者の問題、また、どちらが研究者であれ、家庭での男(夫)・女(妻)のジェンダー役割の問題なのです。

ああ、くだらねえ。それにしても船曳センセイは文章が所々ヘンだ。文化人類学はこんなもんでいいのか。