音楽未来形・その2

前日より続く。

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

生でやってね。生でやりたい。仕事を奪うレコードを敵視する実演奏家

つまり、われわれが「音楽とはこうあるものだ」と考えるときの「音楽」からして、人がテクノロジーと向き合ってきた歴史の積み重ねを反映したものとなる。
ここ数年でよく見かけるようになった「音楽を死なせるな」という表現にも、実は同じことがいえる。サラ・ソーントンによれば、イギリスの音楽業界で1950年代から「ライヴ」という語が使われるようになったが、その背景には以下のような経緯があった。
(略)
バンドやオーケストラの代替ではない場合に限ってレコードの使用が許可されるという制限が1946年に設けられ、88年の撤廃まで、じつに40年以上にわたって音楽家組合はレコードの存在を敵視しつづけたのである。
そういった背景のもとに掲げられたのが、“KeeP Music Live”というスローガンだった。この語は音楽家組合のキャンペーンの中で1963年に初めて使われている。つまり、人間が演奏せず、レコードに頼っていては、音楽が死んでしまうというわけだ。現実にはレコードの存在こそが音楽文化の主流を占めていくことになるのだが、一方で「生演奏こそが本当の音楽だ」という価値観は、いまでもこの言葉の響きに込められているのではないだろうか。

トーキーにおいて音は光の濃淡としてフィルムに記録が可能になった。それは無からの音の「合成」を可能にするものだ。

この技術に触れたとき、何人もの映像作家が、何らかの絵や模様をサウンドトラックに描き込んでみたら果たしてどんな音がするのだろうかと想像力を掻き立てられることとなった。
(略)
サウンドトラックに描かれた模様は、それ以前に存在した音の「記録」ではない。「再生」されることによって初めて音として鳴り響くものだ。それと同時に、ある模様を描けばそのパターンに対応する音色が生まれるということは、ここでは音色が、音の高さや時間と同じ次元でコントロールの対象となりうることを意味している。(略)
[電子音響合成の]原理はある面で、1930年頃の映画の世界において、すでに先取りされていたのだということもできる。

サウンドシステム

ジャマイカでは1950年代からスピーカーを積んだ車が街を回ってパーティを開き、入場料をとったり、酒や食べ物を売るというビジネスができあがった。この移動式サウンドシステムがいくつも現れると、互いに客を奪い合うライバル関係が発生した。そこで、彼らは客寄せの手段として、マイクで客をあおる「トースティング(toasting)」や、スピーカーの性能を磨いたサウンドシステム同士が大音量をぶつけ合って勝負する「サウンドクラッシュ」などを通じて評判を競った。
(略)
レゲエがポピュラー音楽としてジャマイカ内外に浸透していく一方で、彼らは自分たちのレコードをあえて一枚しかプレスしないこともあった。そうすることで、その曲が彼らのサウンドシステムでしか聴けない「自分たちだけの曲」となることを望んだからだ。
アセテート盤として簡易プレスされ、正式にリリースされないレコードは「ダブ・プレート」と呼ばれ、彼ら独特のコミュニケーションの道具として機能した。

レア盤がDJにもたらす特権性

レゲエやノーザン・ソウルが初期のディスコと異なっていたのは、レコードが各DJの所有物として認識されるようになった点だ。このことは、DJの役割と評価のあり方を変えることになった。つまり、「レアなレコード」を発見すること、その希少さを手に入れることが、音楽の意味を左右することもまた「発見」されていったわけだ。(略)
ディスコの語源は第二次世界大戦下のパリで、レコード音楽を聴かせる酒場が「ディスコティック(レコードの図書館)」を名乗ったことに始まる。その名が意味するとおり、レコードはDJの所有物でなく、ディスコに置いてあるものとして認識されていたのだ。