古本的/坪内祐三

古本的

古本的

昭和10年、奈良に住む志賀直哉(52歳)を訪ねた小林秀雄(41歳)と瀧井孝作(33歳)に、志賀は夏に訪れた吉田健一(23歳)が横光利一(37歳)をしきりにほめていたと語る。

横光の本は創元社からくれたのがあったから、機械と云ふのや、時計といふ小説、天使とか云ふのと皆で三四冊ばかり讀んでみた、總體に讀後の感じがよくないネ、ひどく不愉快が跡にのこる、云はゞ化け物の感じだネ、化け物を見た感じで気味のわるいものが跡にのこる夢にうなされた跡の感じだネ、また讀んでゐるとしょっちゅう外ぐらかされるのだ。あゝ云ふ小説の行き方は、僕等の學生時分に流行つたバツタリの話に似てゐると思った、バツタリといふのは元は寄席で音曲に、バツタリと云ふとすぐ又別の唄をうたひ出したものだが、このやり方を學生時分に、幾人も一緒にゐて話する遊びでやったのだ、一人が或作り話をはじめ途中でバツタリと云って其話を次の者に移すと次が引取って亦作り話をつゞけ不意にバツタリで次の者がやる、此のバツタリの遊びは跡味がひどく空虚で厭なものだつた。

ポケミス686番を小林信彦は昭和37年にこう評した。

ロバート・M・コーツの「狂った殺意」(早川書房・250円)は、ハイブラウにして退屈な犯罪、心理物である。戦後、アメリカでニューロティック映画が大流行し、「暗い鏡」とか「らせん階段」とかいった作品が作られた時期があったが、これは、そのころ書かれたもので、クイーンの名作表にも入っている作
(略)
「ニューヨーカー」派の作家だから、タッチはどぎつくなく、原文で読んだらたのしいのではないか、と想像される。

実はこのロバート・M・コーツ、パリ滞在中にガートルード・スタインヘミングウェイ、マルカム・カウリーと文学仲間だった。

それにしても、いくらエラリー・クイーンの名作表に入っていたとはいえ、こんなごりごりの純文学をポケミスに加えるなんて、当時のミステリの範疇はとてもアヴァンギャルドだったわけである。
[他にもフォークナーの「墓場への闖入者」なんかが選ばれている]

アメリカ産不条理文学

要するに、この小説は、当時流行っていたサルトルの『嘔吐』やカミュの『異邦人』をはじめとする実存主義文学、不条理の文学のアメリカ版なのである。『嘔吐』や『異邦人』と比べてしまったら、かなり分は悪いけれど、私は、実存主義文学として、この『狂った殺意』を味読した。時代が大きく変化した第二次世界大戦直後の、アメリカのちょっと感受性の強い青年の、変化の時代に対するヒリヒリした焦燥感がよく伝わってくる(「狂気」というひと言には逃げ込んでほしくなかったが)。忘れてならないのはロバート・M・コーツが、第一次世界大戦に出征した「失われた世代」作家の一人であったことだ。

大森一樹村上春樹の「風の歌を聴け」を映画化したときに効果的に引用したホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』は、
1930年代のダンス・ダンス・ダンス

当時、不況時代のアメリカではこの種のマラソン・ダンスが大流行した。食事と宿泊はタダとは言うものの、それは、一時間五十分踊って、わずか十分の休憩(食事も睡眠もこの間にとらなければならない)という過酷な競争だった。しかもこのマラソンは、優勝カップルが決まるまで、時に、三ヵ月以上も続いた。
さらにそこに、「ダービー」と称する、時間内の運動量を競い、その最下位カップルは脱落させられる、観客向けのレースショーが時おりはさまれる。
(略)
賞金や映画の役へのチャンスを求めてこのマラソン・ダンスに参加したはずなのに、彼らは(特にグロリアは)、そういう目的を忘れ、無目的にダンスを続ける。何も獲得出来ないことを知っているのに、そして肉体的にも精神的にも限界なのに、止めるに止められず、ただダンスを続ける。それは、生きることの不条理に重なっている。