通貨燃ゆ・その2

前日の続き。

通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史

通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史

2003年の人民元切り上げ騒動のわけ。ブッシュは選挙前で世論の手前上。通貨より台湾の方が重要な中国は、五輪を前にして米に台湾独立非支持を通達してもらい借りができた。こうして双方が切り上げプレイ。
1930年後半、対米英戦前の通貨戦争

中国大陸での戦いは既に「代理戦争」となっていた。この辺り、当時日本でどうとらえられていたかはともかく、ワシントンとロンドンは蒋介石の向こう正面にはっきり東京を見ていた。
戦いは「通貨の信用」を巡って繰り広げられた。米英が守ろうとしたのは蒋介石国民政府の通貨であり、日本は逆にその信用と購買力を奪おうとしていた。
当時の中国は世界に比類のない銀保有国で、英国財政顧問の指導による「幣制改革」を1935年11月実施するまでは、銀と紙幣との交換を保証した銀本位制を採用していた。
ここで銀を国外に流出させるなら、中国通貨の信用はそれだけ落ちる。英国の専門家が戦時中に書いた本によれば、日本は銀の密輸出を積極的に奨励していたという。

銀本位制廃止で日本の機先を制した米英に対し

翌週が明けた月曜の11日、世界の為替相場が開くや否や、日本は外為専門銀行だった横浜正金銀行を使って中国通貨を売り浴びせる大規模オペレーションを発動している。
これが米国要路の意見を大きく動かしたらしい。継続中だった米中交渉は打開され、米国は直ちに、中国から銀5000万オンスを買うことに同意した。(略)
このとき、中国を代理戦争の揚として、日本と米国は正面から戦う布陣になっていたわけである。真珠湾攻撃に先立つこと六年という時だ。(略)
円ドル為替相場はこの頃100円が約29ドルだから、米国が中国から買った銀の総額は邦貨にすると9億円以上になる。これはその前後で日本があげた貿易黒字の最高額、1939年における6億5800万円をゆうに上回る。規模のほどがうかがえよう。

ドイツ版「思いやり予算

「オフセット」合意というものを、ドイツは米国との間で結ばされていた。オフセットとは埋め合わせをするという意味で、これは文字通り、ドイツの黒字を米国からの武器購入で相殺するという約束である。(略)
黒字分だけ必ず武器を買えと言って迫られ、財政事情など持ち出し難色を示そうものなら、「米軍を引き上げる。それでもいいのか」と脅される---。それが、ドイツが忍んだ対米関係のパターンだった。(略)
なぜ日本政府・日本銀行は伝統的に金を買わなかったのか。そのため、金の準備資産に対する比率が日本の場合極端に低いのはどうしてなのかという問いには、こう答えることができそうだ。「ドイツにドル・金交換を禁じた米国の圧力に政府・日銀が恐れをなし、考えてみようともしなかった」からである

「石油・ドル本位制」に逆らったのはただ一国

石油との排他的・独占的交換性。
ドルが世界の基軸通貨であり続けたゆえんは、結局のところここに多くを頼っている。それなら今ドル体制への挑戦者が狙いを定めるのも、まさしくこの点となることに不思議はない。「金・ドル本位制」は71年に終わった。今問われつつあるのは、それに代わってこの三分の一世紀続いてきた「石油・ドル本位制」の余命である。(略)
[ユーロを希望したイランとか、金決済を構想したマレーシアとかはあったが]
石油代金の受け取りを本当にドル以外の通貨へ切り替えた実例は、歴史を通じてたったの一国---サダム・フセインイラク以外にない。
イラクは2000年9月24日、石油代金として今後一切ドルを受け取らないと表明した。当時のイラクは国連を通じてしか石油を売れない。その国連が一ヵ月後の10月30日、イラクの意向を受け人れることにしたから、この時初めて石油・ドル本位制に小さな綻びが生まれた。

ユーロ建てにしたいロシア

ロシアを始め産油国の悩みは、ドルという弱い通貨を石油代金として受け取り、ヨーロッパという強い通貨の経済圏からモノを買わざるを得ないところにある。石油代金自体が上がり手取り金額が増えたうまみは、このせいで減殺されてしまう。