通貨燃ゆ

通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史

通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史

ニクソンショックから米国覇権は生まれた

金に対する取りつけ騒ぎが外国通貨当局によって引き起こされる潜在可能性に、米国はいつも怯えていなければならなかった。ここでは主体が外国通貨当局であり、米国は受身の位置に立たされていたのであって、覇権国にあるまじき姿だったと言わねばならない。
それゆえ本書の立場としては、ニクソンショックによる「金・ドル交換停止」を、一般に思われているように米国の弱さの表れとは考えない。当のニクソンがいみじくもあの夏予見していたとおり、金のくびきから離れてこそ、米国は誰の掣肘も受けない本当の覇権国へと成長していったのである。
ひとたび金とドルの交換可能性を封じてからは、主客ところを変えることが可能となった。米国の経常収支赤字は増えその結果として対外債務は蓄積されたが、正すべきは米国でなく、対米黒字を増やし続ける貿易相手国だというロジックに入れ替わった。

標的は日本

[「複数高官(匿名)」のコメント]によると「金・ドル交換停止が主として狙うのは日本円である。(金に対する交換比率をいじる形の)ドル切り下げでは、円の過小評価を正せないと考えたからだ。輸入課徴金は、他国が通貨切り下げに踏み切らざるを得ないようする(テコの役目を果たす)ものだ」という。まるで徹頭徹尾、日本を狙ったものだと言っているのと同じであることが諒解できるだろう。
(略)
[欧州の]「日本は固定相場を円安に維持して、輸出をどんどん伸ばし外貨をためこんでいる」との批判の中から生まれた批評だったというから、日本を狙い撃ちしようとする米国の意図は一定の同情を得られる背景のあったことがわかる。なおこの批判が、今日中国の人民元に対して寄せられつつあるそれと瓜二つであることを後の説明のため、念頭に留めておいてほしい。

ニクソンショックの本質を見誤っていた日本

寝耳に水だったというだけではない。金とドルの交換を停止するところにこそ本質があり、10%の輸入課徴金は言わば脅しの材料に過ぎなかったのに、日本ではむしろ後者、すなわらブラフの方に関心を集中させる失態も演じられた。速水優による次の観察は、この日のあることを予測できなかったのみならず、現実に直面してさえ本質を捉え損ねた理由について示唆に富むものだ。
「〔日本には〕ドルとの一蓮托生という考え方が強く、ドルさえもっていれば必要なものは買えるし、ドル価値の減価にヨーロッパ諸国ほどの強い関心がなかったし、……円切上げが必要となるとすれば、それこそ国内不況・輸出産業へのダメージにつながると〔考えていた〕。したがって[ニクソン演説の]パッケージの中では、ドルの交換性停止よりも、10%の輸入課徴金が、どれだけ日本の輸出産業に影響するかということに、より大きな関心が払われていたのではないだろうか」。
(略)
輸出競争力こそは日本経済にとって死活的に重要なものであるという固定観念は強固であって、その弱化につながる円切り上げの可能性を見まい、考えまいとするあまり、あり得べき将来の可能性について思考をめぐらすこと自体を放棄していたことがうかがわれる。

中国に顕著なインフレがないのは、都市戸籍農村戸籍という明確な差別を設けて、農村を海外労働者扱いにしているせい。

例えば似た仕組みは、世界中の国がもつ外国人処遇法制に求めるといい。
国民でなければ得られない権利と福祉の数々から、外国人は明示的に排除されている。一定の在留期間が入国査証(ビザ)において課され、同期間を許可なく超えて居つこうとする者は、不法残留とされ国外退去を強制される。(略)仮にこのような「差別」を何も課さなければ、先進国にはたちまちにして途上国からの移民が殺到することだろう。
中国の都市・農村間の差別がまさしくそれである。(略)
農村出身者は普通、地元政府機関のあっせんによって集団として都市に上り、多くは機関監視のもとで一定期間下層労働に従事する。その間に蓄えた貯蓄を懐に彼らが地元へ戻ると、後を襲って再び農村出身者が上ってくる。そして賃金は、再び最低線からのスタートとなる。(略)
都市はおかけで労賃が一定期間ごとに最低線へ復する自動安定化装置を装備しているようなものだから、コストプッシュインフレの危険を回避することができる。反対に、農村人口の奔流にさらされ、価格水準がとめどなく切り下がる事態を招かずにもすむ。いわゆる「いいとこどり」が可能になっている。

トンデモじゃないの?多田井喜生朝鮮銀行・ある円通貨圏の興亡」

1950年6月25日、北緯38度の南北軍事境界線を越え南侵した北朝鮮軍は、ソウルで韓国銀行を襲撃した。
韓国銀行とは旧朝鮮銀行資産を継承し発足した中央銀行である。業務を始めたのはその20日前のことに過ぎない。北朝鮮はこの銀行の地下金庫から、戦争遂行上欠かせない、ある重要な戦略物資を奪い取った。
当分の間「韓国銀行券」とみなし、紙幣としての通用力を認めていた旧「朝鮮銀行券」のうず高い山、そしてその印刷原版である。
これが北朝鮮の手中に落ちた以上、韓国経済は徹底的に破壊されることが決まったも同然だった。北朝鮮は末発行の紙幣をばら撒くことで、兵姑維持に必要な物資を意のまま徴発できる。新規印刷紙幣まで散布して、韓国経済を収束しようのないインフレに突き落とすことすら、侵入軍には可能になるからである。
このうえ一刻も早く、朝鮮銀行券の流通を禁じ、新たに韓国銀行券を刷ってそれへ切り替えさせなければならないというのに、当時韓国政府の全機能は半島南端の釜山に追い詰められていた。もちろん新紙幣の印刷などできる状態ではない。
そこで米軍当局は、韓国銀行券の印刷を日本の大蔵省印刷局に命じた。
(略)
事柄の性質からして戦争への参画行為に等しい。これが連合軍施政下でなかったら、「集団的自衛権」行使に当たる、いや当たらないと、やかましい話になっていたかもしれないくらいの情景である。

続きは明日。