ナチス・ドイツの有機農業

ナチがディープ・エコロジーを先取り

リュック・フェリという仏哲学者が1992年の著書でナチの「自然保護法」と「ディープ・エコロジー」の類似性を指摘。そこらへんを下敷にしている模様。

「人間中心主義」批判と「動物への権利」の主張。ディープ・エコロジーが目指す理想を、ナチスは、一九三五年の「自然保護法」と一九三三年の「動物保護法」という二つの法律ではっきりと描いていた。つまり、〈第三帝国〉は、「人間中心主義」から「生物圈平等主義」へという未知の領域に踏み込む実験を、国家規模で、しかもディープ・エコロジーが登場する四〇年前に、法律上においてはじめて断行した国家なのである。

ナチの「動物保護法」

家畜の列車輸送にも気配りせよ。

動物の感情にまで思いをめぐらすような、実に細やかで、行き届いた配慮と、この家畜列車に「生きている」ユダヤ人を詰め込んで---「必要な空間」を確保することも「充分な飼料と水分」を与えることもせず---収容所に輸送しつづけたあり方が、〈第三帝国〉において共存したことをこの解説文は示しているのである。〈第三帝国〉ほど人間と自然が混在し、逆転し、融合した近代国家が他にあっただろうか。ナチスにおいては、ユダヤ人の「生命」は家畜の「生命」よりも軽い。あるいは、麻酔なしの生体解剖は動物には禁止されていたのにもかかわらず、強制収容所の囚人や捕虜たちに対しナチスの医師たちが施したのは、麻酔なしの殺害と、その直後の解剖であった。

有機農法

有機農法にナチの汚名を着せる意図はないとのこと

農本主義的なナチズムとエコロジカルな農業。両者とも都市生活者からの農業問題へのアプローチであり、また、両者とも近代農業に抗するありうべき別の農業像を提示した。この奇妙で多面的で「グロテスク」な同盟のなかにこそ、ナチ時代の自然と人間をめぐるダイナミズムが凝縮されている。

シュタイナーのバイオ・ダイナミック農法を批判する、有機農法のもう一方の雄、アルバート・ハワード

ハワードの批判は、BD農法の暗部を鋭くえぐっている。シュタイナーの肥料の成分配合方法は、秘儀的な要素が強く、農法の伝承も、人智学徒およびそれ以外の人間に充分に開放されているとは決していえないものであった。例えば、シュタイナー自身も「講座」で「瞑想的な生活をすることで心の準備が出来ている人が、そういう仕事を見事になし得るのです」といっていることからも、この性質は確認できるであろう。さらにいえば、そもそもこの講座の質疑応答にみるように、シュタイナーと聴衆のあいだには原則として一問一答の関係しか成り立っておらず、農法の体系が「授ける側」−「授けられる側」という構図で権力的に維持されていた。それに対して、インドール方式は、基本的にその施行者に開かれたものだ、とハワードは自負しているのである。
ハワードの農業思想は、シュタイナーのような神秘性もなく、閉鎖的でも排他的でもなく、極めて明快で、受け入れやすいものであった。

ヒムラーのBD農法が創出する理想の人間像

つまり、ヒムラーもBD農法に秘儀的性格を与えようとしたのであるが、ただし、シュタイナーとは異なり、制限の規準を人種と職業に拡大させたのである。ということは、たとえ、奴隷的労働状況であっても、この指令以降は、薬草園で働くことは特権となったのである。そして、はからずも、この収容所、この狭く、むき出しの自然が襲いかかり、人間の権利が適応されない第三帝国の実験装置で働く囚人たちの姿に、初期グレーの理想の農民像、ヒムラーが思い描いた「鋤と剣」の東方移民者像や、ボイムラーのドイツ国民像が重なり合う。むき出しの自然と格闘する肉体的たくましさと精神的な恭順さを兼ね備えた理想の人間像が、ここに出現しているのである。本書の結論を先取りして言えば、ドイツ人の生を確立させるためのナチスの各々のプロジェクトは、有機農法で営まれるこの薬草園の囚人に収斂するのである。強制収容所とは、ナチスが理想とする人間(とりわけ農民)創出の壮大な人体実験施設であったのだ。逆に言えば、ドイツの農民たちもまた農法という労働の場から監視される囚人にほかならないのである。

微生物の気持ちになって大虐殺

ナチ党はミュンヘンで成立した都市政党でありながら、都市の市民の多くにはとても想像もできないような土壌のなかのバクテリア、腐植、鉱物のみならず、それらのあいだに存在する生態系、物質循環にまで想像力を張りめぐらせることができた。シュタイナーもまた、その強靭な想像力によって、ある意味では過剰なほど複雑な農法の世界を描き出してみせた。ヒトラーでさえその想像力に事欠かない。彼は、「化学肥料がドイツの土壌を破壊する」と一万人の将校候補生のまえで語ったり
(略)
普段みることのできない土壌世界に対し最大限想像力を膨らませること---これが、東部占領地の1600万人の外国人を殺害する計画の背景となったナチスエコロジズムの、力の源であった。