中世とは何か

中世とは何か

中世とは何か

  • 作者:J.ル=ゴフ
  • 発売日: 2005/03/01
  • メディア: 単行本

裏表紙の短い引用が実に的確で、これを読むだけで「知ったか」をかませる。編集担当(西泰志)の仕事なのでしょうか。

ミレニアムは千年じゃなかった。

実際、十二世紀以前の中世は数を数えない、あるいは少なくとも数えることを好まないのですよ。中世の人が数字を挙げるときは、これを象徴として用います。三、七、一二、およびこれらの倍数、あるいは重大事を示すには、千、百万という具合です。歴史は今日もなおヨハネの黙示録の瓦礫の山から借りてこられた言葉、ミレニアムの使用において節度を欠いています(ニーチェやD・H・ロレンスがこれを正しく批判しています)。ミレニアムというのはしかし、中世においては「非常に長い期間」という意味でしかなかったのです。にもかかわらずこれがそののち、千年至福説についての夢想、世界の終わりにまつわる数々の思いをかき立てるのです。紀元千年が近づくにつれて高まったであろう「恐怖」などというのは、そのはなはだしい例です。何というか……、典型的にロマン主義的な発想です

ラテラノ公会議にて結婚は人生の理想となる

ラテラノにおける四回目の宗教会議、通称第四ラテラノ公会議(1215)(略)は、世俗の者たちの日常および精神生活を一変させます。
ここに出席した司教たちは、十四歳以上のすべてのキリスト教徒による年に一度の耳聴告白の実践を制度化します。彼らはまた双方の合意、婚姻の公示を条件に結婚を奨励します。それまで軽蔑され氏族間のさまざまな取引の道具となっていた結婚が、完全にキリスト教的な制度として認知され、人生の理想となったのです。彼らはこれに併せて、異端、高利貸し、ユダヤ人の糾弾も行います。

耳聴告白

耳聴告白の義務化がもたらす革命の重要性はいくら強調しても足りないくらいです。これは個人的に司祭の耳元でささやかれる告白で、守秘義務によって守られていました。それまでの公開告白は、まれで、見世物にならざるをえず、もっぱら公的行為だったのですが、耳聴告白はこの伝統と袂を分かつものだったのです。いまや問題は自分自身の中に入ること、良心を点検することです。ここに内面空間が生まれます。やがて心理学が、そして精神分析が展開されることになる空間です。
ある日バリのドミニコ会ソールショワール図書館でミシェル・フーコーに出会ったとき、第四ラテラノ公会議について熱っぽい議論になりました。そのとき私は大胆にもこんな言いかたをしたのですよ。「精神分析は告解室を横にしたのです。告解室は長いすに変わったのです」と。この言いかたは不正確だったと言わなければなりません。告解室が教会設備の形で現れるのは十六世紀のことでしかないのですからね。それまでは人から離れた所で司祭のそばに座って告白していました。まさに今日の教会が行う一般のための大集会で見られる光景です。

同時に司祭にとってもそれは前代未聞の経験であった

彼らはですから、自分自身と信徒たちのための手引きを求めます。ここには精選された質問、答え、助言が掲載されています。シエナで、フィレンツェで、パドヴァで、私は何冊もの手引きを、「身分」、つまり職業ごとに、何十もの質問を選んで閲覧しました。職業道徳についての多くの細部をここから読み取ることができました。相手が農民か、靴屋か、職工か、染物屋かなどによって、聴罪司祭がすべき質問を、執筆者は事細かに指定していたのです。はじめは商人に対する言及はあまり見られません。まだ労働者、労働の提供者として考えられていなかったということです。しかしながら年月が経つうちに、彼らと労働との間の関係が少しずつ認められ、第一の考慮の対象となっていきます。

十六世紀に「宗教」という言葉が生まれた

新しい語の出現がありました。宗教という単語です。中世にはまったくない概念です。中世においてはすべてが宗教だったのです。(略)
この単語の意味は十六世紀に生まれたものです。この宗教という概念の誕生の方は、本当の断絶を示すものです。この概念があるおかげで、場合によっては宗教の外に出ることも考えられるのであり、宗教は相対的とまではいわなくとも、ある現象として距離をおいて考察されるのですから。いまや人は「選ぶ」ことができるのです。

知識人も商人同様に認められていなかった。神に属する知で金儲けをするなんて。

聖ベルナールが十二世紀初頭に神にのみ属するはずの時間を売ったといって咎めていたのは、銀行家たちだけではありませんでした。彼は知を金と引きかえに売っている学校教師たちをも警戒します。学生は教育に対して金を払わなければならなかったのです。彼にとっては学問もまた神にのみ属するものであり、無料でなければなりませんでした。このような見かたに対して、正当化はすでに銀行の場合に見られたのと同様の議論によってなされることになります。つまりこれらの知識を専門とする新しい職業人たちは、労働を提供しているのだというわけです。彼らは報いを受けるに値するのです。それにまた商人たちと同じく、彼らは有用性を証しだててもいるのです。彼らは報酬を払われる労働者として、存在が許されてもいいはずです。

煉獄の発明

により、教会の支配は死後にまで及ぶことになった

煉獄のあいまいさがここにあります。地獄というのは恐ろしく地上的な所です。あまりに地上的であるために、地面の下にあるのです。これはそれほど意外なことではありません。悪人たちは罪を犯したその場所で罰せられています。そして彼らの行いの重みのいっぱいに詰まった時間と空間の中で、そこにある最悪のものを永久に生きつづけるように命じられているのです。
(略)
もしそれに加えて死後においても取りかえしが可能であるとすると、矛盾が生じます。煉獄を考えるとすると、教会が時間も空間もないと言っていたはずのまさにその場所で、ある種の時間、ある種の空間を定義しなければならなくなるからです。この世とあの世の間、個人的な死と集団的な復活の間に、中間的な空間を作り上げる必要があるのです。
(略)
この煉獄の空間化はきわめて重要な結果をもたらしました。地獄と同じくらい我慢ならない場所---永遠ではなく期間が限定されているというニュアンスのちがいはありますが----での滞在期間を短縮するためには教会の援助が必要であったことから、その権力が増大します。歴史的に見ると、煉獄ができる前には、人間は生きているうちは地上の教会の裁判権---すなわちこれが教会の裁きです---に支配されていましたが、死ぬと神の裁きのみにゆだねられていました。しかし煉獄とともに、いまや魂---一種の体をもっているので、人間的な魂です---は、神と教会の連名の裁きを受けるのです。教会はその権力、その支配を、死の向こう側にまで及ぼします。