橋川文三/三島由紀夫論集成

三島由紀夫論集成

三島由紀夫論集成

1968年の文章。呉智英は22歳手前か。

現代の危機は、封建制というある意味では責任負担を分散させるようなシステムがないために、かえってその事実が空想的に拡大され、個々人の内部に異常な重圧をひきおこすという特異な性格をおびている。たとえば、現実の軍事的危機とか、革命の危機というよりも、情報機構を通じて人々の心中によびおこされるイメージとしての危機の切迫性が、そのまま、人々をパニックにおとしいれることもできるという形をとっている。それにともなって、人々は演技的なヒステリアの発作にとらわれることもますます多くなっている。
(略)
しかし、いったい、幸徳秋水を生かしておくような「文化概念」としての天皇制とはいかなるものであろうか?

戦時下の「ビューティフル・ドリーマー」。

三島由紀夫と橋川文三&ルネサンス文化史 - 本と奇妙な煙

敗戦は彼らにとって不吉な啓示であった。それはかえって絶望を意味した。三島の表現でいえば「いよいよ生きなければならぬと決心したときの絶望と幻滅」の時期が突如としてはじまる。少年たちは純潔な死の時間から追放され、忍辱と苦痛の時間に引渡される。あの戦争を支配した「死の共同体」のそれではなく、「平和」というもう一つの見知らぬ神によって予定された「孤独と仕事」の時間が始る。そしてそれは、あの日常的で無意味なもう一つの死---いわば相対化された市民的な死がおとずれるまで、生活を支配する人間的な時間である。それは暖昧でいかがわしい時代を意味した。平和はどこか「異常」で明晰さを欠いていた。

1967年の文章。西部邁は28歳、橋川は45歳か。

三島におけるネーションは

大衆社会化に抵抗する原理である

三島のいうナショナリズムが日本対アメリカというような国家レベルのそれではなく、要するに「工業化ないし大衆化、俗衆の平均化、マスコミの発達、そういう大きな技術社会の発達」に抵抗する原理としてとらえられていることだけは明らかであろう。
そして、それだけでは「ネーションの統一、独立、発展を志向し押し進めるイデオロギー」(丸山真男)というナショナリズムの一般的な意味に吻合しないこともまた明らかなはずである。第一、ネーションの「統一」はある意味では中世的な身分制の廃止によって、人間の「平均化」をもたらした当の原理であるし、その「独立」は三島の場合「いまは西洋もクソもないですね。アメリカですらないですね」として、すでに問題視されていないものであり、その「発展」など、なおさら意欲されているとは思えないものだからである。

ノスタルジアは「死に至る病

例えば、三島の大好きな『葉隠』はやはり一つのノスタルジアであった。しかし、『葉隠』の山本常朝はあれほど狂い死と犬死を賛美したにもかかわらず、七十いくつまで生きて、タタミの上で死んだ。極端にいえば、だれしも人間は狂い死の思想を持っている。それは新聞の社会面をみればわかる。余談だが、私のまわりにいる若者で、全く理由がわからず自殺する者が何人もいる。理由がわかるような形で死ぬ庶民が何人もいる。それらの人々の死の方が三島の死より私には重い。

三島の「法律と文学」

というエッセイ。刑事訴訟法で小説を。

「半ばは私の性格により、半ばは戦争中から戦後にかけての、論理が無効になったような、あらゆる論理がくつがえされたような時代の影響によって、私の興味を惹くものは、それとは全く逆の、独立した純粋な抽象的構造、それに内在する論理によってのみ動く抽象的構造であった。(略)
刑事訴訟法はさらにその追求の手続法なのであるから、現実の悪とは、二重に隔てられているわけである。…<悪>というようなドロドロした、原始的な不定形な不気味なものと、訴訟法の整然たる冷たい論理構成との、あまりに際立ったコントラストが、私を魅してやまなかった。」(略)
私の携わる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本であるように思われた。何故なら、刑訴における<証拠>を、小説や戯曲における〈主題〉におきかえさえすれば、極言すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思われた(略)

以下、1976年の野口武彦と橋川の対談より。

[1961年に]三島のことが話題になったときに、彼はいずれは自決するだろうというふうにおっしゃった。その自決っていうのは文字通り切腹死という意味じゃなくて、自分で責任をとるだろうという、もっと抽象的な意味だったんだけれども、それ、不思議に憶えてましたね。あの事件が起ったあと、なるほどこれは、橋川さんの予見力ってのは大したもんだと思って。

そんな風に「本気」だったのかと失望している橋川さん。どうでしょう、呉さん(三島由紀夫が死んだ日 - 本と奇妙な煙)

橋川 それはもう全くね。ぼくなんかは三島のあり方に、ほとんど全面的に賛成というか……共感の感じで彼のことをずっと見守ってきたわけですよ。それは何かというとさっきのことばで言えばシリアスな問題。ところがシリアスな問題を、ぼくに言わせればそんな意味においてシリアスだったのかという、それはちょっと意外で、裏切られたという感じ、裏切られたと言ったほうがむしろいいぐらいでね。そういうシリアスってのは、ぼくは愚直である、愚鈍である、って感じで、ちょっとからかったみたいなことがあるけども、そういうふうになってきましてね。

単に死ぬのなら

全部嘘と言えばよかったのに。

橋川 彼の場合、なんであんなにモデルがたくさんいるのかと思うんだね。ちょっと皮肉な言い方だけど、そんな感じが、ぼくはどうしてもする。しかも、モデルにされた連中はみんなかなり多様な違いをもってるわけね。それを強引に三島は全部同じものとして自分の死途にひきこむ。なんか無理であるという感じがするわけ。(略)
要するに三島の死というのはいろんなものをモデルとしてるけども、結局彼自身の死しかないわけでしょう。ぼくは、もし単に死ぬんだったら、あんなモデルは全部嘘であった、あるいは全部みんなを誘うための何かであったという形にすりゃいいのにと思う。ちょっと乱暴だけど、なんかそんな感じがするわけ。

ホモは自分より強力な男性に支配されたくてだから天皇崇拝という短絡した考えがあるけどという話の流れで、橋川は逆にホモだから違うと。

橋川 三島が天皇制論者というのは、ぼくはよくわからないんだけどね。三島については「天皇制」論者だと、括弧つけて言ってるけども、三島は天皇制論者じゃないんだっていうふうにぼくには思えてね。いわゆる天皇制論者とは違う、なぜかというと彼はホモセクシュアルだからという、ちょっとこれ矛盾しますけどね、そういう感じになる。

じゃあ、そのホモ感情はどこへつながるかというと、「仮面の告白」のオワイ屋の青年とかそのあたり、てな話もあって。
あの才能をつまらない使い方をして、それなら堕落した方がマシだったよと過激発言

橋川 彼が考えた具体的な天皇制というのがもしあったとしたら、その場合には何に近くなるかしら、これは。栄誉というものがもし天皇制の本質だとすれば、やっぱり一種の貴族制みたいなものになっちまうような感じがしてね。しかし、ぽくは三島がどうしてもわからないのは、彼がさかんに高貴かつ貴重な、そういう存在ってものに人間が絞られている、ということを期待してるみたいだけども、ぼくは逆に三島の書いたものもすべて、あんな才能がこんなつまらないものしかできないとなったら、結局人間としては全部堕落してしまうというほうがまだ筋が通ってるじゃないかというね、ちょっと無茶苦茶だけど、そういう感じもするんですよね。