タイガー&ドラゴン「厩火事」

一番凄いのは落語と同じ落ちだけれども意味が違うとこ。最後の漫才の遣り取りで清水ミチコが死ぬことに古田新太は気付いているわけで、そこでお前が死んだら酒が飲めないと言うことは、もう飲めない、酒を止めると宣言しているわけだ(さらにラストでは芸人としても再生した姿が描かれる)。
そういう答えを引き出したのは清水ミチコの視点の変化で、夫婦漫才とは愛情があればあるほど突っ込めるもの(なるほど、序盤の夫婦漫才でのツッコミが甘かったのはネタフリなのか)なのだから、ガンの私を本気で突っ込めなければならないし、さら先をいけば、死んでいく私がすべきことは、亭主のホントウの愛情を知ることではなく、亭主に何かを伝えるべきなのではないだろうか。首を吊った母親の「堪忍ニン」を笑いに変えているアンタじゃないの、私の死も笑いに変えてみなさいよと。
そもそも「厩火事」という話は夫婦の間のことは一方の気持ちだけでは判断できないと言っているわけで、亭主のホントの気持ちは亭主だけで決められないのである。女房がツンツンしていれば、亭主も面白くないし、女房がリコンだと思えば、亭主もリコンなのである。亭主の気持ちを測定しようとするお前の態度が観測結果に影響を与えてるんだよ、ドンドンドーン。であるからして、知ろうとするより、知らせるべきであり、そこに答えがあるのだ。ホントの気持ちを知りたいなんていうとバカな毛唐は「きるびる」なんてつくって、散々エラソーにやっておいて最後は自白剤なんかプシュッと射っちゃって、しゃべれとか言っちゃって、ほんとアホかと、落語の大人な発想とは大違い。
シンミリする話なので、前回と比べると間延びしてるなあと思いつつ、最後までくると謎が残ってソコソコの出来でも結局色々と考えてしまう「タイガー&ドラゴン」なのであった。

  • 厩火事のオチを聞いた長瀬がわからないとつぶやくところ

これはクドカンが落語の落ちでは納得できなくて、それでドラマでは別の意味になるようにしたことを示しているのか

  • 最後に師匠が長瀬に「唐土」だと言ったこと。

単に賞賛なのか?それとも単にハッピーエンドの方を指しているのか?