橋川文三、世代論、ニヒリズム

1960年ごろの橋川文三より
能力主義の世の中ですね

ぼくの知るところでは、敗戦によって日本のナショナリズムはもののみごとに消失してしまった。そして、いわゆる大衆化状況の拡大のなかで、権力のシンボルはむしろスポーツや芸能人のそれに重点をうつし、一種の能力主義的なものへと転化している。そこでは「日本」というシンボルのプレスティジュは著しく減退している。

歴史意識の欠けた世代論は「肉体主義」となる

およそ戦後日本におけるほど、思想的な怠惰と惑溺が「世代」という装いで氾濫している文化圏は珍らしいとぼくは思っている。とくに最近の世代的自己主張と自己防衛は、ほとんど世代論とよぶことさえできない性質のものであり、むしろ擬世代論というカテゴリイを作るほかはないほどだとぽくは考えている。ここではやや論点をずらすことになるが、本来の世代論は、かえって強烈な歴史的普遍の意識によって媒介されたものであるのに、歴史意識の形成に大きな弱点を蔵する近代日本の思想においては、世代論はほとんど生理的年齢論ともいうべき自然主義的様相にまで堕落しているのである。その立場の徹底が、結局一種の自滅作用におわるような「肉体主義」をみちびくのは理の必然なのである。

石原慎太郎大江健三郎も「平和」を不条理な「壁」とする点では同じ

かんたんにいうならば、高度独占資本主義とマス化状況と人間の自動人形化とによって組成された現代社会の「平和」ということが、かれらにとって不条理な「壁」として、強烈な自意識の解体化をもたらしているということである。そこから、方法と価値のフレームをすべて破壊しようとする石原の超ロマン主義的な行動主義と、時代の停滞に密着して、むしろその停滞に一体化しようとする大江のメルヘン的な「リアリズム」とがあらわれることになる。いわぱ一方は盲目的な行動によって人間存在の実感を獲得しようとし、他方は現実の多様な展開を内面的に屈折することによって、統一的実在感を作り出そうとする。

『文学界』の座談会での討論において

かれらは、ぼくらが戦争をあるいは「回顧」として、あるいはルサンチマンとして、いわば女々しく反すうしているとしか理解しないことがハッキリしたのである。そして、そのような態度は、この「現実」の「苛酷」さを回避しようとするものだと考えていることがわかった。ぽくは、このことは、いわゆる「戦争体験」の論者の側に含まれる弱さにも理由があるにせよ、なによりも、かれらの側における思想的訓練の弱さに起因すると考えている。問題は「歴史意識」ないし「歴史責任」の次元で振出されているのに、かれらにおいては、それは心理もしくは、実感のカテゴリイでしか受取られていないということである。

三島由紀夫大友克洋、「廃墟」と「AKIRA

かれらのいつき祭るもの、それはあの「廃墟」のイメージである。三島がどこかで「兇暴な抒情的一時期」とよんだあの季節のことである。「この世界が瓦礫と断片から成立っていると信じられたあの無限に快活な、無限に自由な少年期」---それがこの仲間たちを結びつける共通の秘蹟であった。
じっさいあの「廃墟」の季節は、われわれ日本人にとって初めて与えられた稀有の時間であった。ぼくらがいかなる歴史像をいだくにせよ、その中にあの一時期を上手にはめこむことは思いもよらないような、不思議に超歴史的で、永遠的な要素がそこにはあった。そこだけがあらゆる歴史の意味を喪っており、いつでも、随時に現在の中へよびおこすことができるようなほとんど呪術的な意味をさえおびた一時期であった。ぼくらは、その一時期をよびおこすことによって、たとえば現在の堂々たる高層建築や高級車を、みるみるうちに一片の瓦礫に変えてしまうこともできるように思ったのである。それはあのあいまいな歴史過程の一区分ではなかった。それはほとんど一種の神話過程ともいいうる一時期であった。そのせいか、ぼくには戦前のことよりも、戦後数年の記憶のほうが、はるかに遠い時代のことのように錯覚されるのだが、これはぼくだけのことであろうか?

ニヒリズムに関する連想と断片』
ニヒリストっていうのは次のような美文を平気で書く人

「誠に資本の集中と、人間の砂粒化とは、現代個人主義経済の基本的特徴であって、それは国内に於ても、国際関係に於ても、同様に見受けられる二十世紀の悲劇である。個人主義は我々の社会生活から人間的紐帯と、内面的結合を奪い去った。自由主義は、自由を濫用して、その弊ようやく極まるに及び、社会経済の計画性、綜合性は全く喪われるに至った。孤独と寂寥、分裂と阻隔が二十世紀の人類を支配しつつある。」(略)
「政治も経済も国民生活も文化も教育も一切の国家国民の全領域における総活力を国防ということに結集して最高度に発揮するような仕組みにたっている国家が国防国家であり、また、外交も経済も科学も思想も社会事業も家庭生活も映画も音楽、スポーツ等に至るまで戦争に従属し、国防にもとづいて存在せねばなりません。国民は一個人としてでなく、国家とともにあり、国家の胎盤の中で永久に生きて行くべきであります。」

「自分達だけがものを考えている」とふるまう官僚

こうした文章が書かれたのは戦前、昭和十三年のころであり、執筆者は評論家ではなく当時革新官僚とよばれたものの一人である。これらの官僚たちは、日本の中国侵略が始ったころから頭をもたげ、混乱し、無力化した日本の思想界の中において、ただ彼らのみがものを考える人間群であるかのようにふるまった。ナチスにもっともよく学んだのもこのグループである。職業的思想家たちは、多かれ少なかれ彼らの設定したモチーフにしたがって、さまざまなみせかけの思想的変奏を行なったものがほとんどである。ニヒリズムの支配が成熟・完成の段階に達しようとしたのがその時期である。

皇道派青年将校からしたらボクら「アカ」でしょうけど、地に足つかぬ神がかりはコマッタモノデスとニヒルな「統制派」幕僚。

つまり、ここでいわれていることは、天皇信仰だけでは戦争はやれない、勝つこともできないという技術的観点である。さらに論理的につきつめれば、近代的総力戦の遂行のためにもし天皇信仰の非合理的要素が阻害要因となるならば、それは一時的にせよ、停止されねばならないという含みがひそんでいる。

「いいとも」とかに外タレがやってきたりすると焦る。外人からすれば黄色いサル供のクレージーな空間にしか見えないであろうことを感じて。でも日本人からすると言い訳したい気持ちがあるわけ。それなりの文脈からそういう空間になっているのですと。

[1971年の天皇訪欧について]
簡単にいえぽ、私は天皇への人間的な思いやりというものを全く欠いた下品な官僚たちが、無造作に天皇を引きまわしたのではないかという印象さえうける。少なくとも古風な勤皇論は全くなくなってしまったという感じである。

のこのこ何しに来たんだよという向こう側の空気

天皇訪欧の恥をうわぬりして世界にひろめながら、自分だけ得々としている報道陣の多くに腹が立った。あの大がかりな愚劣な者たちの大キャンペーンのおかげで、ほとんど私は自分を天皇主義者と感じたほどである。

ドイツは謝罪したのに平然と公式訪問してくる日本の無神経さは、結局キリスト教圏じゃないからかねという英国紙の社説に

私一己としては、ここでは相当むかっとしてしまう。この旅行における日本天皇の品位がかなりおとしめられたのは事実だが、それと同様にこういういい方を臆面もなくやってのけるこの独善的なキリスト教世界の論説者もあまり上品ではない。少し過激ないい方をすれば、「結構ですね。あんたたちはいつもアジアでの残虐を忘れないとおっしゃる。しかし記憶力はアジア人の方が本当はもっといいんですよ!」ということになる。

でもそう言ってしまうと、名誉白人とうかれてアジア蔑視してる日本がいるわけで、無念と耐えるしかないかと文三
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