橋川文三、保守主義

進歩主義者を笑う保守の根拠はどこかと

いわぱその改革はつねに具体的であり、抽象的原理とかかわりないのが本質であった。
保守改革の本質をそのように見るとき、われわれは保守主義の主体的な基礎、保守主義的人間の社会的性格を考える必要にせまられる。つまり、保守主義的改革者が、現状のトータルな改造を「軽薄」とし、「不自然」とするのはいかなる社会的体験にもとづくのか、ということである。

ふと嗅ぎとめた焚火の匂いから、幼少の記憶が、かまどで木が燃える音と匂いが蘇り、柳田国男の思考は遠く日本民族の問題にまで導かれていく。
しったか左翼の弊害について。サヨクを笑っている保守厨房の皆さん、自分のことでもありますよ。

柳田は、そのように述べたのち、そこから生じる弊害の幾つかをあげている。いわゆる「口聞き」という疑似文化人の発生の問題と、そこから生まれる日本人の表現力と思想交換能力の退化の問題は彼が常に重視した文明論のテーマでもあった。そしてその弊害の悲惨な例として、彼は左翼インテリゲンチアの場合をあげて次のように言っている。
「(略)心にもない雄弁美辞を陳列するのは、よくないことだということは当人が誰よりもよく意識して居る。しかも果して其通りのことを実際に考えて居るのかと問い詰められたときに、実は口真似でしたと白状することは、中々出来ぬのが人情である。其為に終に言葉の方へ我心を殉じてしまって、逆な悲しい結果を生じた者も折々はあったのである。」

同様に左翼批判をする柳田と小林ではあったが、柳田は小林のように戦争を必然であるとはしなかった。

この二つの文章はほとんど同じ内容のものである。柳田が「口は災いのもと」「言葉の方へ我心を殉ずる」という通俗の言葉で述べたものを、小林は「概念による欺瞞=虚栄」という批評家の言葉で表現しているわけである。柳田は一国の文明形態の歪みを憂えているのに対し、小林はその歪みに責任あるものの倫理を衡いている。後者の倫理主義的批判は、のちにかえって批判者における歴史の絶対化へとみちびき(「無常といふこと」)、周知のように戦争の不条理をも絶対化する態度を作り出した。(略)
小林において戦争が自明の絶対であったとすれば、柳田の場合、それは世界の不思議な豊かさの極端な表現にほかならなかった。世界はそこからさらに荒々しく変化するであろうという熾烈な関心は片時も失われていないのである。
この場合、皮肉なことに、戦争を人間の歴史における絶対の事態とみなす点において、日本の共産主義者と小林とは奇妙に一致していた。前者の「転向」が戦争の倫理的絶対性の認識を媒介としていた点において、それは小林の思想的原理を共有していたと考えられる。そして、柳田だけは、別の立場から戦争を見ていた。戦時下の「日本主義」の氾濫の中で、柳田は民族の歴史の悠遠な変化を信じ、それが、提起する無限の「疑問」のみを追求する態度を保った。それはほとんど戦争に対する強いリベラリストの態度に近いものであった。

昔風とはそれを懐かしむ老人の当世風なのよ、とまるで松本人志のような柳田。今風合理化に千年保守すべきものがあるやもしれぬと。

我々の生活方法は、昔も今も絶えず変って居たもので、又我々の力で変えられぬものは殆と一つも無いと言ってよい。老人のしきりに愛惜する昔風は、いわば彼等自身の当世風であって、真正の昔風即ち千年にわたってなお保たるべきものは、むしろ生活の合理化単純化を説くところの、今後の人々の提案の中に含まれているのかも知れぬ。(略)
少なくとも古く行われて居るから保守しなければならぬというものなどは、決してそう沢山には無いのである。

ブリュンチェールの知識人論

一種の貴族階級として実験室や図書館で暮している人を指すために〈知識人〉という言葉が最近作られたこと自体、現代のきわめて滑稽な歪みを示している。私が言いたいのは、作家や学者や教授や文献学者を超人の域にまで高めようとする思い上がりである。もちろん私も知的能力を軽蔑するわけではない。しかし、そうしたものには相対的な価値しかないのだ。私としては、意志の力や、性格の強さや判断のたしかさや実際的な経験の方を、社会秩序のなかでより高く買いたい。だから知り合いの或る農夫や商人の方が、名ざしはひかえるが某碩学、某数学者などよりはるかに上だということに、私はいささかも躊躇しない……

「そんな苛立たしい眼付きで人間を眺めてはならぬ」と福田恒存を批判する橋川。自己陶酔を笑う福田が自己陶酔していると。その醒めた態度だけはやたらと上手に真似をする保守厨房。

つまり福田は「社会科学者」や「進歩的文化人」の「自己陶酔」を衝く。「自己陶酔」とは現実と主体の緊張関係の弛緩のことだろう。そういう現象は掃いてすてるほどにある。そして福田はそのがらくたの「文化人」や「社会科学者」を相手に醒めた自己の立場を主張しようとする。それが福田の逆立ちした「自己陶酔」である。
たとえば彼は書く---「私とは全く反対の立場にありながら、私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する、先生とは手を切りたまえ。ついでに、共産党から貰ったニックネイムのトロツキストを自称する衒学趣味から足を洗いたまえ、云々」と。そのような「主流派」は存在しない。それは福田の幻影であり、その「自己陶酔」の反射にほかならない。「先生」と手をつないでいる「主流派」というものはない。あるいはまた、彼の「宿命」論をもち出されたとき、その「反応は手に取るようによく解る」と福田にいわれねぱならぬような、そのような「青年集会」は存在しない。もし福田が自己にとっての「宿命」を信ずるのならば、彼はまた、彼のイメージに全く登場しない「主流派」や「青年集会」や「社会科学者」の「宿命」をどうして信じないのか?それを信じないで、「主流派」に対して噴飯ものの「忠告」をしたりするところに、福田の意識されない感傷がある。

そりゃ高橋源一郎が共感するなあという啄木のローマ字日記

「節子はまことに善良な女だ。世界のどこにあんな善良な、やさしい、そしてしっかりした女があるか?予は妻として節子よりよき女を持ち得るとはどうしても考えることができぬ。予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た---他の女と寝た。しかし、それは節子と何の関係がある?予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。」
「現在の夫婦制度すべての社会制度は間違いだらけだ。予はなぜ親や妻や子のために束縛されねばならぬか?親や妻や子はなぜ予の犠牲とならねばならぬか?しかしそれは予が親や節子や京子を愛してる事実とはおのずから別問題だ。」
「赤心館のひと夏!それは予が非常な窮迫の地位にいながらも、そうしてたとい半年の間でも家族を養わねばならぬ責任から逃れているのが嬉しくて、そうだ!なるべくそれを考えぬようにして"半独身者"の気持を楽しんでいた時代であった。(略)予は若い、そして生活は、ついにさほど暗くも辛くもない。日は輝き、月は静かだ。もし予が金を送らず、彼等を東京に呼ばなければ、母と妻は別の方法で食ってゆくだろう。予は若い、若い、若い、云々」