旅するニーチェ リゾートの哲学

旅するニーチェ リゾートの哲学

旅するニーチェ リゾートの哲学

 

「鉄道の子供」世代のニーチェ

二ーチェの旅行時代は、アルプスから地中海にかけての地域のリゾート開発・観光開発の一大発展期のなかにすっぼり収まる。大半の著書の故郷は、リゾートなのだ。彼の旅行は、「漂泊」という言葉からロマンチックに想像されがちな「あてどない放浪」などではなく、交通革命とリゾートの発展に支えられた旅であり、知人やガイドブックや新聞・雑誌の最新情報を参照に細心に吟味計画された行動だったはずである。

上級の旅行者になれば地理的旅は、ある内的な歴史旅行と交錯する

いっそう洗練された旅行術と旅行目標が存在する。つまり、非常に高い確率でいえることだが、最近三百年間の文化は、そのあらゆる色彩と光の屈折のまま、われわれの身近にもいまなお生きつづけているのだ。それは発見されるのを待っているだけである。多くの家族のなかに、それどころかひとりひとりの人間のなかに、いまなお歴史の断層が美しくまた判然と重なりあっているのだ。(略)
そして、エジプトやギリシアビザンチンや口ーマ、フランスやドイツに、民族移動の時代や民族定住の時代、ルネサンス宗教改革の時代に、また故郷や異郷に、それどころか海、森、草木、山地にも、この生成し変身するエゴの冒険の旅の痕跡を再発見することだろう。---かくして自已認識は、過去の一切にかんしての総体認識となる。
(『人間的、あまりに人間的』)

サンプリング世代への問いかけ

二ーチェは歴史的眼差しの出自自体を、この種の地質学的・考古学的風景の近代的様相のうちに見ている。(略)
近代とは、自我の地層が厚さを増す一方で、断層や褶曲や崩落によりそれが極度に断片化し混合した時代である。この現実から近代人は歴史を内的に感覚する体質をさずかっている。「大規模な種族混合や民族混合」、すなわち交通の発達が、諸時代の断片を演じなおすような旅行を可能にする。かくして近代人は、感性そのものが歴史的に変化するということさえ感覚しえるようになる。これは古代にたいする近代の特権である。古代を演技できるということにおいて、近代人は古代人から差異化される。けれども、この特権は、「統一の欠如」という近代特有の「弱さ」と表裏の関係にある。
ところで、この自己意識と歴史意識は、私たちにとって---また二ーチェ自身にとっても---手ごわい問いを発しよう。自我が異質な様式をもった断片の複雑な混成体であるとすれぱ、それは「自己支配」という二ーチェの目標にとって最大の障害となるのではないか?自己を構成する過去からの離脱ははたして可能なのか?「自己支配」とは、それを克服する企てなのだろうか?しかし、それはどのようにすれば可能なのか?自己への配慮を強化し、自己へ回帰しようとすればするほど、自己は分裂し迷宮化してしまうことになるのではないか?そうだとすれば、観察したものを体得し、仕事をとおして「必然」として表現するとは、いったいどういうプロセスを意味するのだろうか?

ドイツ語の外へ

ドイツ語を全面否定するかのような見かけのもとで二ーチェがもくろんでいるのは、この厚かましい近代的足枷をはずすこと、ドイツ語の外へ旅立つことによってでなければ到達できない域に「ドイツ語で到達する」こと、ドイツ語を外気にさらし、特異で多様で活き活きした音調・テンポ・速度・傾きをドイツ語にもたらすことである。(略)
二ーチェにおけるこの種の言語戦略を最初にクローズアップしたのは、おそらくジル・ドゥルーズだろう。(略)
「二ーチェの方法はといえば、彼はドイツ語に対してポーランド人として己を生き、ポーランド人たらんとしていましたでしょうね。彼はドイツ語を強奪して戦争機械を組み立て、それによってドイツ語ではコード化不可能な何ものかを流通させています。それこそ政治としての文体にほかなりません」と。

この本は2004年発売で、著者は1961年生まれ。

この嘆きの次ぎの段落には、著書が売れない経済的苦しさと、世間に理解されないことの苦しさ、「四十三歳のていたらく」の嘆きが切々と綴られている。当然ながら、二ーチェは、病を理由に肉体を罪人として告発することが、彼の哲学に反する非理性であり、彼の哲学がこれまで闘ってきた思想であることを意識しているはずであり、だからこそ自分のその想念を「まるで重症の精神病のよう」と評しているのだろう。