禁じられたベストセラー

禁じられたベストセラー―革命前のフランス人は何を読んでいたか

禁じられたベストセラー―革命前のフランス人は何を読んでいたか

非合法本を取引する人々は隠語として「哲学書」てな言葉を使ったのだが、実際本当の哲学本とエロ本の区別が明確ではなかったという面もある。例えば教会という権力を批判し尚且つ大衆受けしようとすれば、それは聖職者の乱れた性生活を描くことになったりもする。

われわれは『社会契約論』は政治理論であり、『B・・師の物語』はポルノ、それもおそらく文学として扱えないくらい未熟なものだと考える。しかし十八世紀の本屋はどちらも「哲学書」として同じ扱いをしていた。素材を個々に見ようとすれば、ポルノと哲学のうわべの区別は崩れはじめる。(略)一七八九年の精神を体現した、ミラボーが革命に先立つ10年間で最も下品なポルノと最も大胆な政治的パンフレットを書いた、などということはもはやそれほど当惑するようなことではないと思われる。

フランス国外で印刷して密輸入される「哲学書

八〇ポンドの木箱を背負って苦しい山道を越えていく男に、文学に対する鑑識眼があるとは期待されようがなかった。フランス=スイス国境の人足の大半が密輸稼業に手を染めたのはインド更紗を運ぶためだったが、それにはフランスの絹を保護しようとする税関の壁を突破しなければならなかった。彼らはどんなまがいものでも背中に縛りつける用意はちゃんとできていた。

中傷文は噂話を真実らしく仕立て上げたものだったが、公的には規制されていたニュースや新聞というものへの渇望に応える形で大衆には事実として流通した

その結果は現代史や伝記に偽装した一種のジャーナリズムであった。書籍商が手紙で指摘したように、その需要は際限がないように見えた。(略)こういった作品は抽象的な原埋や政治の複雑な問題を議論しているわけではなかった。政治というものを「私生活」へ、特に王の私生活に縮小したのである。そうすることで無限の恣意的な権力からなる想像上の世界をつくり上げ、そこにお決まりの人物を配した。すなわち邪悪な大臣、陰謀をめぐらす廷臣、男色家の高位聖職者、堕落した愛人、退屈した無能なブルボン家の人びとなどである。

読者の要望に答えて王族や政府の中傷文を捏造していたら、政治的扇動となった。

しかしながら哲学書の扇動的な政治メッセージを、アンシャン・レジームを転覆しようとする意図だとか、ましてや陰謀の証拠だと解釈するべきではない。禁書は正統性の根源を攻撃することで政治体制の土台を崩したかもしれないが、政治体制を打倒するためにそうしたわけではなかった。そのほとんどは単に文学市場の非合法部門の需要に応えたまでのことだった---刺激だけではなく情報、私生活だけでなく「現代史」への興味、抽象的思考の禁断の木の実だけでなくニュースヘの渇望といったものへの需要である。(略)政府は、哲学をポルノと同じく窮地に追い込むことで、開き直られて攻撃を受けることになった。

十八世紀にポルノという概念はなかった

十八世紀のフランス人は普通そういった観点から考えもしなけれぱ、「純粋な」ポルノというジャンルを好色小説、反教権的論文、その他の「哲学書」から区別したわけでもなかった。ポルノグラフィという観念がその言葉そのものと同様に発達したのは十九世紀で、図書館員が穢れていると思った本を選別し、パリの国立図書館の禁書棚や大英博物館の非公開ケースのような禁制部門に厳封した。厳密にいえば、ポルノはヴィクトリア朝初期に着手された世界の浄化運動の対象に属するものだった。十八世紀には存在していなかったのである。

ロマンティックラヴ以前の『哲学者テレーズ』

たとえしっかり抱き合っているときでも---いや、そのときにこそ。男と女は機械のようにつがう。彼らにとっての愛とは表皮のうずきであり、体液が押し寄せることであり、粒子の奔流が繊維紺織を通過することであり、それ以上のものではない。伯爵の眼を見つめるときでさえ、テレーズは「器官」の相性のよさを感じるだけだ。雌雄関係の容赦のない機械学的描写が二人を連動する物質に変質させてしまう。そしてその世界では、すべての肉体は究極的に平等である。貴族であろうが平民であろうが、男だろうが女だろうが。
そういう世界ではロマンティックな愛など考えられない。ルソーがまだそれを発明していなかったのだ。

ハーバーマスブルジョワの公共圏」

ブルジョワの公共圏」では文脈がつながらない。ドイツ語(burgerliche Offentlichkeit)からフランス語に訳されたとき「公共の空間」となった。すなわち、歴史のなかで結果を生んでいる実体のある現象であるかのように具体化されてしまったのだ。ハーバーマスにはそのような意図はまるでなかった。Offentlichkeit(英語ではpublic、publicity、publicness)は隠喩として、近代社会の世論と意思伝達方式の相互作用を描くために使われていたのだ。「ブルジョワ」という語でハーバーマスは、はるかに実体のあるもののことを言っていた。すなわちマルクス主義社会史における、征服しつつある階級である。

啓蒙のユートピア〈第3巻〉

啓蒙のユートピア〈第3巻〉

当時のベストセラーのひとつ『紀元二四四〇』は上記のタイトルで邦訳されている700年後のフランスというSFで、本は王立図書館の四つの棚にしかなく、あとは焚書になっている。権力者にへつらった堕落した過去の本をより分けたらそれだけになった。神学書は秘密兵器として厳封され、フランス侵略の際に一種の細菌兵器として使用される。

市民はみなそれぞれがそれなりに作家である。男性は誰でも(女性はあらゆる公職から除外されたままである)一定の年齢に達すると、自分が学んだことを蒸留して一冊の本にまとめる。その本は当人の葬式で読み上げられる。実際、本がその人の「魂」なのであって、子孫は先祖すべての本とともにそれを研究する。このようにフランス人は読書の民であるばかりでなく、「作家の民」にもなっている。