吉本隆明「食」を語る

吉本隆明「食」を語る

吉本隆明「食」を語る

 

このタイトルで、「食」に絡めて定番生い立ちネタが展開されてたので、一瞬甘くみたのだけど、この聞き手がうまいのか、「食」という括りで油断したのか、それとも「今しかないぞby長州」気分なのかはわかりませんが、わりとはみだして色々面白い話が聞けます。終戦後ラブミー化粧品という闇会社で石鹸つくって食いつないだとか、これまた朝鮮人の闇会社で石鹸の作り方教えて、その時はじめてキムチを食べたとか。さらに「食」を離れた有意義な話が引用以外にも満載。後半ではフレンチな聞き手に吉本さんがフランス料理なんてうまくねえとぶちかましたものだから、熱のある会話に。
同じ下町だから堀辰雄のダメなところには同情的になるという流れで

江藤淳について

[下町の皮膚感覚が]わからないんですよ。あの人のおやじさんは、たしか佐賀の銀行家の出で、かなりエリートのほうの銀行家だったんじゃないかなと思うんですけど。だけど江藤さんは青春時代には、堀辰雄なんかとくに好きだったんです。あの人の一等最初の作品を読めば、堀辰雄の影響丸出しです。でも、おやじさんが年とって、自分も生活の苦労をしなきゃいけないみたいになった体験があって、昔好きだった堀辰雄というのが嫌になったというか、

漱石は坂の上、鴎外は坂の下。

鴎外は坂の下が小説の舞台になります。漱石もありますけど、坂の下がモデルになっているときにはたいてい、あの人は少し偏執症的なとこもあったのか、花、とくに花の匂いがものすごく好きだという人なんで、上野公園のあたりを歩いて、花の香りがして、みたいな、そういうことはよく書いています。でも、人間については、坂の下はあまり舞台になっていない。だけど、鴎外はわりに坂の下が舞台になっていますね。そういうところを考えると、東京の下町というのは、地方とも、田園地帯とも違う、独特な意味があるようなところなんじゃないかという気はいたしますね。

ばななは自分が頭がいいと思っている

それから、知識を知識としてひけらかすというようなのは、いちばんよくない。うちの子どもにも、それはいちばんよくないことだ、頭がいいというのはほんとうは病気なんだよ、だからあまりそういうふうになろうと思ったりしてはいけないよと、時々言ったりなんかするんですけど。でも、だいたい親の言うことに背くのが子どもですから、子どもは存外、頭のいい人が好きで、とくに下の娘なんか自分のことを頭がいいと思っていると思いますし、住むところも下町的なところじゃなくて。

買物狂うさぎの夫婦番組で見た、ばななの旦那は薄めのゴージャス松野で父としてはあんなのが娘の旦那ではつらかろうというのは部外者の感想。

父と姉から逃れて『キッチン』を書いた吉本ばなな

いや、上の娘はそうだったけど、あの子は全然ないです、そういうことは。料理を作ったということもない。まずそれは苦手なほうで、やったこともないんじゃないでしょうか。料理はずっと姉さんのほうがやってくれていますね。上の娘は料理好きですし、普通の人としては料理はうまいと思うんです。(略)だから下の娘は、そういう面でも自分がしょっちゅう親と姉さん両方から圧力だけはよく感じて、しかも二種類の圧力を感じてたみたいなことがあって、じゃどこに行けばいいか、あそこしかないっていうのがキッチンだったと、そういうことなんじゃないかなと思いますね。

コアな部分は最初は人に見せない。

貶されてもヘコまない部分で世間と対峙できる技術をつける。そうすればコアな部分も対象化して書けるようになる。

結局誰でもそうだって思うんですけど、いちばん初期っていうのは書いたものを他人に見せたくないんですよ。見せたくなくて、でも大事なんです。書いていること自体が非常に大事なことで、うまく書くかどうかはべつで、自分の一番大事な秘め事みたいな感情を書く。それは、他人に見せるのは嫌だ、もったいないって感じで、大事にしまっておいたほうがいい。それから次の段階になってくると、だいたい自分の書いたものをほめてくれる人とけなす人と両方出てくるわけです、かならず。でも自分にとってはほめられてもけなされてもそれほどこたえない、まあ、ほめられたほうがいいし、けなされると面白くないと思ったりするけど、どちらであってもそれほど自分にとって致命的だっていうほどではない。そういうふうになったら、他人に見せたらいい、世間に発表したらいい。そして、そうやって自分の形というのが文体的にも内容的にもおおよそ筋は決まってきた、筋肉が決まってきたとなったら、今度は一等初めに書いた、つまり初期のころ他人に見せるのも億劫だ、もったいないと思ったものが、物を言ってきますね。(略)
それをある程度自分から離してもいいやって思えるようになったら、そのときは自由になんでもいいから、他人に見せるようにしたらいいんじゃないでしょうか。

溺れた後の話。

家に帰ってきてしばらくは、睡眠と夢と覚醒状態と、もうひとつその中間があるぞっていう感じができましたね。おやじが出て来て、僕の首をしめるんですよ。「俺、なんか悪いことしたことがあるかね」と必死で言うと、その自分の声で目が覚める。それとか天井の梁のところに亡くなった兄貴と弟の顔が出て来て。黙って見ているだけなんですけどね。そうかと思うと全然見知らぬ女の人がすぐここに立っていて、「なにか御用ですか」って盛んに言うんだけど、黙っているからまた聞く。つい声が大きくなって、その自分の声で目が覚めてしまう。

旅は田山花袋

旅は田山花袋だって、僕は言ってるんですけど。日本人っていうのはたいてい、なにか目的がないと旅なんて行かないんですよ。たとえば西行なんかはね、風雅を求めて旅に出た、芭蕉はその真似をした人だなんて言われているけど、僕はそれは嘘だと思っているんです。西行高野山に頼まれて、要するに奥州藤原氏からお寺に寄付金を募るために、その役割を負って行っているんです。旅のついでに歌は作ったりするんですけど。芭蕉はあれも少しずるいんで、西行に憧れていたからでしょうけど、とにかく完壁な紀行文を作るためというのが目的と、各地にいるお弟子さんと句会をやるために行っているんですよ。だからあの人のは、行かないところを行ったように書いてあったり、嘘を書いてあったりするんです。行ってねえのによくも書くもんだって思うけど、だけど紀行文を書くためって解釈すると辻棲が合うんですね。
だいたい大げさじゃねえか、「月日は百代の過客にして」なんて、よせやい、旅の徒然のメモに、こんなこと書くもんかいというようなことを書いているのは、それの証拠だって僕は思っていますけどね。

吉本隆明版「暴力脱獄」

ポール・ニューマンになれなかつたよ。

ちょうどうちのと同棲し始めたころ、「俺、卵っていうものを思いっきり食ってやりてえと思うんだけどどうかな」って言ったら、親にもそういうこと言ったことあるんだけど、親には「なに言ってるんだ馬鹿なこと言うな」って馬鹿にされて、でもうちのは「いいよ」なんて言うから、ふたりで鎌倉かなんか行ったんですよ。家で二十個ぐらいゆでた卵をわざわざ持って行って、鎌倉で山のほうから下りてくる道をひとまわり巡ってから、江ノ島の見える浜辺のところに来て、それで、ゆで卵思いっ切り食ってやろうなんて思って意気込んで食ったんだけど、あれ四つも食うとね、もうだめなんですよ(笑)。喉に詰まって話にならない。イメージと違うなっていう感じで。四つか五つぐらい食ったですかね、それで、こりゃだめだ、参ったってなって、残念なことで。でもまあ思いは遂げた。それぐらい卵っていうものに対する、なんて言うか願望と恨みっていうか、子どものときは珍しい品で、遠足とか運動会とかでないと食べられなかった