磁力と重力の発見

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

  • 作者:山本 義隆
  • 発売日: 2003/05/23
  • メディア: 単行本
 
磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス

磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス

  • 作者:山本 義隆
  • 発売日: 2003/05/23
  • メディア: 単行本
 

湧き上がる読書欲にまかせて、有名本に手を出す。1巻を読んでいないわけではなく、例えばこんなとことか一応チェックはしたのだけど、これまで読んできた本とダブっているところが多かったし、有名本だから別にいいやと、あとは割愛。

第一に、ギリシャではもっぱら磁力をいかに「説明」するかが問われたが、ここでは、磁力がどのように作用するのか、磁石が何の役に立つのかだけが問われている。つまり、ギリシャでは磁力の「なぜ(根拠)」が問われたが、口ーマでは磁力の「どのように(効力)」のみが問われているのである。そして第二に、その「どのように」においては、物理的な作用と生理的な作用の区別だけではなく、自然的な作用と超自然的な作用の境界すらもが融解し消滅している。

そして2巻に突入すると、またこんなのが。

定量的測定こそが自然認識の基本であるということを主張したニコラウス・クザーヌス[1401年生まれ]によってはじめて力--重力と磁力--にたいする定量的測定の重要性が指摘された。これは、忠実に追究されたならば、磁力の「なぜ」という存在論的設問から、磁力の「どのように」という機能的=関数的設問への問題設定の変換をもたらし、それまでの質の自然学を脱皮して近代科学としての物理学にいたる第一歩を踏み出すはずのものであった。しかしその実行はずっと後までもちこされた。

面白いので長文引用。

鉱山事業はは巨大プラント。

戦争・商売・錬金術より確実に儲かります。

旧来の鉱山では、もともとは採算を顧慮する必要のない強大な権力のもとで場当たり的に設備が拡大されていったであろうが、この時代に新規に鉱山を開くためには、それなりに利得にかんするシヴィアーな考慮が必要とされた。すなわち、開削・採鉱に先だって、坑道を掘りはじめる地点の選定、動力源としての水力の確保と水車や採掘後の処理のための諸設備の建設、採鉱に必要な資材と坑夫の確保、坑夫たちの住居や生活・厚生面での設備とさらには運送路等のインフラストラクチャーの建設等が要求されるのであり、それらはいずれも周到で綿密な計画と相当の資本力と総合的な管理体制なくしては不可能であろう。要するに採鉱から製錬までおこなう鉱山は当時では動カと機械と労働力が最大規模に集積し結合された巨大プラントであり、その全体的な計画の立案や遂行のためには、技術の全容があらかじめ明らかになっていなければならなかったのである。
まさにその要求をみたす最初のものが『ピロテクニア』であった。それは試金・採鉱・製錬・鋳造等の鉱山業・冶金業にまつわるいっさいの知識と技術をはじめて集大成し記録公表したもので、技術史においても画期的な書物である。もちろん中世においては、このような著作の出版は、ギルドに伝わる神聖な秘密を漏洩するものとして許されなかったであろう。『ピロテクニア』の出版に私たちは中世的ギルド解体の始まりを窺い見ることができる。
その第一巻序文においてビリングッチョは「富を得たいと欲するすべての者は、各種の困難のさけられない戦争だとか、世間を出し抜き場合によっては正直者を騙すような不正のつきまとう商業や、あるいは陸路や海路の長くて疲れる旅行--しばしば獣的な未知の異邦人のあいだの困難で不快な旅行--に出るとか、あるいはまた(多くの人たちがやっているように)固定された銀を作り出すというような捕まえどころのない働きを期待して御伽話じみた賢者の石に耽るとか、魔術的な儀式やその他の根拠のない骨折りをおこなうよりも、鉱山の開削にそのあらゆる注意を振り向けるべきである」と語っている。ここに見られるのは、合理的で意欲的で発展的な産業資本家の工ートスに他ならない。実際「鉱脈が存在し、いかなる金属がどのくらい含まれているのかが判明し、算盤をはじいて経費を正当化しうるだけの十分な収益が見込まれるならば、勇気をもって開始し、すべての注意を怠ることなく採鉱を始めるように私は勧める」とあるように、本書は技術者のための技術書であるだけではなく、鉱山経営の指針であり手引きでもある。

鉱山師(やまし)への偏見に抗議するメタリカ

メタリカ』第一巻は「多くの人は、鉱山の仕事は一攫千金をあてにしたあさましい仕事であり、技術も骨折りもいらない仕事だと考えている。しかし採鉱の部門部門をこまかに思い巡らしてみると、けっしてそうではない」と始まる。アグリコラは「鉱山師たちの世界は詐欺とごまかしと嘘と百鬼夜行だ」という偏見に抗して「鉱山師の職業はけっして汚らわしいものではない」、「鉱山の仕事はきわめて誠実な職業である」とくり返し強調している。(略)
アグリコラは、鉱山師には採鉱・製錬の過程で地質学・鉱物学から化学までの知識が要求されるだけではなく、埋蔵物の起源・原因・性質を知るために自然学が、鉱山労働者の厚生のために医学が、鉱脈の方位や広がりを判断するために天文学が、坑道の開削のために測量学が、経営のために算術が、必要な工事のために建築学が、道具や資材を製作するために図学が必要で、そのうえ権利問題のために鉱山法にも通じていなければならないと語っている

当時鉱脈は「地下の樹木」と呼ばれた。

錬金術は大地外受精?

そして金属のその生長過程は、金属が卑賎なものからより高貴なものに成熟してゆく過程であると思念されていた。そのさい、自然の意図の実施にたいする外的な障害がなければ、自然は産出せんとするものをつねに完成させ、こうしてでき上がったものが金である。その意味ではすべての金属は可能態としての金であった。ところが自然がなんらかの抵抗や障害に出会うと、流産や崎形が生じ下位の金属が作られる。錬金術の思想的根拠のひとつはこのような見方にあった。つまり錬金術とは、自然が大地の胎内でおこなっている緩慢な成熟の過程を、ふさわしい環境を作り出すことで人為的に促進し完成させる術と考えられていたのである。すなわち「鉱山師と金属細工師は鉱石の生長のリズムを加速し、自然の活動に協働して、自然がよりすみやかに産み出すように援助する」のである。そしてこの意味での錬金術をビリングッチョは否定していない。金細工師の仕事が「実際には錬金術の一部」であると考えるビリングッチョは、「詭弁的で暴力的で自然に反する」錬金術は「犯罪的で詐欺的」であるが、「自然を模倣し自然を手助けする」錬金術師は「鉱物から余分なものを洗い落としその欠陥を除去しその性能を強めることにより鉱物を巧みに処理する鉱物の真の医者」であると是認している。

続きは翌日。