寺田寅彦と現代

最初は世間の行事にまぎれて半年ばかり我慢していた某書についての悪口を書いてやろうと。この本にはユーザーの意思を反映しない「レコード会社」と不利益を受ける良心的ユーザーというスタンスしか存在していないのだが、いったいユーザーは良心的なのだろうか、音楽を愛している素晴らしい人達なのだろうか。自分が音楽産業の愚かしい構造に加担しているという自覚もなく、ただただ音楽を愛する善者であると信じて疑わない点がどうしようもなく駄目ですね。とかなんとか毎度定番の悪口を書いているうちに止まらなくなって、中止。そんな不健康なことは、やめろ。心あたたまる話でほのぼのと。

寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて

寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて

ゆらぎの重要性に着目した寺田は、ゆらぎを音として表現することを考えたことがある。「試験管」(昭和八年九月)の中の「六 音の世界」に書いているように、

すべての音は蓄音機のレコードの上に曲線として現わされる。反対にすべての周期的ないし擬周期的曲線は音として現わすことができる

ことに着目したのだ。方法は、「例えば験潮儀に記録されたある港の潮汐昇降の曲線をレコード盤に刻んでおいてこれを蓄音機にかける」のである。ランダムにゆらぐ港の潮位曲線が音律に変えられるというわけだ。それによって、港ごとに少しずつ異なった「潮汐の唄」を歌わせることができ、ゆらぎの違いによって「各地の潮汐のタイプをある程度まで分類することができる」かもしれない。さらには、気圧の日々の変化や米相場や株式の高下の曲線を音に翻訳したり、日本アルプス連峰の横顔を「歌わせ」たり、映画スターの横顔から顎までの曲線を連ねて「横顔の音」を聞かせることもできる、と空想が広がっていく。ゆらぎの曲線があればすべて音に変換でき、歌わせることが可能なのである。