悪魔の歴史・その3

前日より続いてます。今日は一挙に最後まで。

悪魔の歴史12~20世紀―西欧文明に見る闇の力学

悪魔の歴史12~20世紀―西欧文明に見る闇の力学

マックス・ウェーバーの論文の主題が、宗教を巡る社会学である点を忘れるなと著者。

十六世紀の中葉以降、神の厳しい目に晒され、災厄だらけと見なされた世界に於いて、大いなる不安の時代が幕を開ける。プロテスタント同様にカトリックも、足元に地獄の裂け目が口を開けつつあるという感覚、あるいは、デーモンが各人の存在を絶えず狙っているという感覚に襲われたはずである。このようにして個人に罪悪感を刻み込むメカニズムが作動し出すと、人々は創造主が人間をまだ見放してはいない証拠を、躍起になって探そうとする。キリスト教徒としての勇敢な闘い、外部世界への宣教活動、他の諸民族への伝道、魔女に代表される内部の敵を殲滅しようとする姿勢、これらは皆、上記の精神世界に由来する行動である。

ファウストはユマニストだから地獄堕ち

こうして、ヨーロッパの知識人文化は、十六世紀初頭のユマニストたちの理想に、大々的な攻撃を仕掛けていく。古典古代から継承した知識と美に対し、ファウストが示した飽くなき探求心こそが、彼らユマニストたちの求めたものでもあった。ところが今後は、一切を知り、一切を行い、一切を味わい尽くすことは、神に対する反逆と見なされるようになったのである。この点ではルター派も、イエズス会士を含む当時〔十六世紀末から十七世紀前半]のカトリック側の学者たちも、意見を同じくしている。結局、神に反するこの罪には劫罰しか残っていない、と見なされたのである。

昔からゲーム脳ってことだよ。ヴァーチャルだよ。リセットだよ。説教のための恐怖描写なのだが、読者は説教より悪夢の方にうっとり。

悲劇譚は、読者の想像界の内に、刑罰を伴う道徳やら危機一髪の結末やらを刻印し、現実の「法」を援用し強化する方向へと向かうのである。読者の関心は、罪人の模範的な最期などに向けられてはいない。そんなものは、公開処刑などの折りに目にできるし、また道徳のマニュアルの内にも詳細に書かれているからだ。読者が本質的にこだわるのは、夢の翼に乗って旅をし、禁じられた事柄を目にして恐怖に震えること、しかもその後、良心の呵責を感じることなく、改めて現実の世界に戻って行くことなのである。つまり、ある意味で、禁断の果実を味わいつつも、その結果は被らないことなのだ!こうして悲劇的文学の内部に於ける夢想上の探検を通して、ヨーロッパ文化の内に新しい一面が開かれていく。

恐怖には礼儀作法で。羞恥心を高めて、下着をつけろ。

彼らは1620年から1630年にかけての時期に、礼儀作法の書を通して、自らの情念や衝動を抑制し始めたのである。つまり、罪に対する恐怖心のライバルとして、優雅に振る舞い、洗練された話し方を身に付けたいとする欲求が、換言すれば、社交上の礼儀正しさという概念が出現したのだ。いつまでも悪魔の影に怯えているよりも、この方がまだ心地よく自らを律せられるというものである。(略)
全体として見れば、悲劇的なるものは緩やかながらも廃れていくのである。バロックのフランスは、やがてルイ十四世治下の古典主義の絢燭たる開花を前にその姿を消さざるを得ないだろう。これら二つの支配的文化に挟まれた過渡期にあって、悪魔の攻撃や汚染された空気に弱い開かれた身体という概念は、哲学的合理主義や科学的発見の影響の下で、徐々に遠景へと退いていく。このプロセスがその歩を速めるためには、確かに十八世紀を待たねばなるまい。だが、既に変化の兆しは見られるのである。この変化はやがて、羞恥心という敷居を高くしていき、身体の自然に基づく機能を隠蔽し、下着を付けるという風習へと繋がっていく。最後の下着については、それが閉じられた身体概念を形成する上で、象徴的な役割を果たしたことを忘れがちであるから、よく注意せねばならない。

他を許さぬ統一の夢が、逆に細分化をうむ

ヨーロッパが一切の相違点を否定する方向へと舵を切ったのも、まさしくこの頃である。それは、唯一の厳格な神の視線の下で、権威的な融和を図ることを目的としていた。例えば、カール五世ならびにハプスブルク家の後継者たちは、普遍的な帝国という観念に取り憑かれている。またフランスは、フランソワ一世からルイ十四世に至るまで絶対王政の道を歩んでいる。(略)
この他にも、統一を企てる、ある種不可能な夢の追求が随所で為されている。こうして十六世紀の後半から十七世紀の前半にわたって、鉄と火と血の時代が続くのである。つまり西洋は、細分化に耐えられぬがゆえに、また、それぞれの陣営が己の法を他者へ押し付けようとしたがゆえに、却って細分化を免れなかったのである。

悪魔を信じないとヘタに言うと無神論者にされるわけで

イングランドでは一六四六年に、ある作家が深刻な様子でこう書き残している。もし人々が悪魔は存在しないと考えるようになったら、即座に、神も存在しないと思うようになってしまう、と。あるいは一六三五年のこと、やはりイングランドのある懐疑主義者は、こう挑発している。悪魔がいるなら現物を見せてくれ、そうしたら自分も神が存在すると信じるだろう、と。このように、神と悪魔の概念は密接に絡み合っていた。キース・トーマスはこの点に関し、「内在的な悪魔は、内在的な神という観念を支える主要な補完物である」と喝破している。

サタン神話に取って代わったフロイトの無意識[ここらへん(id:kingfish:20041205)で引用した「思想史のなかの臨床心理学」とも関係あり]

西洋を揺り動かした、深い文化的変動の言わば共鳴箱として、彼はまさしく、加速しつつあった近代という転換点に位置しているのである。この変化を密かに駆り立てていたのは、共同体よりも個人を上位に置こうとする動機であろう。そのため、これまでは教会や国家および社会関係を紡ぎ出すその他諸々のシステムが、強い圧力や規範を押し付けていた領域に、力学的な緊張関係が持ち込まれることになった。(略)個人は、自らの自我がかけがえのないものであることを夢見、その夢想の上に立って自分の運命をより良く操作しようとした。(略)
人文科学が、伝統的なサタン神話の廃墟の上に築かれたという意味である。人文科学は、フロイトが無意識と呼んだ深淵へ降りていくことで、サタン神話に取って代わったのだ。