悪魔の歴史

悪魔の歴史12~20世紀―西欧文明に見る闇の力学

悪魔の歴史12~20世紀―西欧文明に見る闇の力学

ここしばらく淡々とやっていたら、久々にキマシタ。出たのは一年前だけど。7章あるから、悪魔週間にしてやろうか。世俗権力確立のために悪魔がつくられたという、デビルマンだよ茄子味噌定食。まずは第1章。
溶解の危機にあったヨーロッパを統合する

ローマ帝国の時代以来、国家や地域が不安定化し溶解する危険は常にあったが、それに何とか持ち堪えてきた。しかし、激変を経験しつつあったヨーロッパという実験室にあって、この溶解現象は突然加速することになる。ヨーロッパは当時、政治的かつ社会的に見てバラバラであり、言語や文化の面でも、まさしくバベルの塔そのもの、という状態にあった。そこでヨーロッパは、このように分断された地域全体に徐々に浸透できるような、同質性を帯びたある種の「象徴的言語」を拵え、それを通して自らの独自性を確立しようとしていたのである。きわめて独創的なモデルを元にして、悪魔と地獄とを発明したという事実を、大して重要ではない宗教上の現象と見なすわけにはいかない。この発明は、教皇庁と強大な諸王国とが共有していた、統合を指向するある概念の出現と繋がっている。(略)それはともかく、絢燗たるサタンのイメージを練り上げた思考システムの誕生は、西洋の活力が飛躍的に増大したことと密接に繋がっている。

民衆の間では、人間に騙される、奇形にすぎない悪魔といった滑稽なイメージが強かったが、やがて人間を押し潰す王者となってゆく

デーモン像自体が知識人独自の好みに染め上げられすぎていたために、一般庶民を心底戦慄させるには至っていないとも言える。その上、十三世紀のゴチック芸術も、悪魔には凡庸な地位しか与えていない。(略)
従って、デーモンは多少は醜い顔つきをしながらも、極めて人間に近い相貌を保っており、(略)民衆の嘲笑の対象となった独特の相貌を備えており、(略)
つまり、悪魔は自分が占めるべき位置を計りかねていた、否、むしろ、悪魔を想像界に描いた人間たちの方こそが、多くの人々の気に入るどこか異様だが滑稽な悪魔の形象と、グレゴリウス一世以来重ねられてきた神学的思索に由来する、より恐怖心を煽る悪魔像という二者の間で逡巡してきたと言うべきだろう。だが十四世紀を境に、悪魔は否定的かつ不吉な特徴を次々としかも本格的に背負い込むことになる。

リアルな地獄が容赦なき正義を浮かび上がらせる

十四世紀以降になると、地獄に於ける責め苦が事細かに描写されるようになるが、それは、神が欲する容赦なき最終的な正義のあり方がいかなるものであるかを、人々に知らしめる一助となったのである。(略)
つまり、神の名において、今まで以上に厳しい裁きを下す国家、罪の重さに応じて種々の刑罰を使い分ける国王、という見解が徐々にその輪郭を明らかにしてくるのだ。

錯綜とした茂みのごとき超自然の退場

「死を超越した連続性」に軸足を置く民衆的な死生観は背景に退いていったのである。また、原則として「善」と「悪」が完全に分離していない、錯綜とした茂みのごとき超自然、という見解も退場を余儀なくされたのだ。さらに、こうした古い魔術的な世界観の後退は、強大な悪魔のイメージの伝播に寄与したというよりも、むしろキリスト教そのものの覇権の確立をもたらしたと言える。

世界制覇へと繋がる文化の誕生

ここではむしろ、他者の征服を指向する一つの文化の誕生を見て取るべきではなかろうか。なぜなら、個人に罪悪感を植え付けるというメカニズムは、元来は道徳的かつ宗教的な操作であったわけだが、ここで生まれつつある文化は、このメカニズムを、他者に対する優越感と外に向かって拡張していきたいという欲求の内に、すなわちより広い一般的な領域の内に組み込んでいったからである。ヨーロッパは、それまでの重苦しい魔術的世界観を捨て、恐るべきルシファーよりもさらに強大な神を中心とした、根本に於いて階層的な社会秩序のモデルを構築する過程を経て、将来の世界制覇へと繋がる様々な道具を編み出していったのである。

思想家たちが西洋の想像界に知的「植民地化」を施す時代

知識層と支配層とが暗黙裡に結び付くことによって、魔術的な世界観に覆われていた頃よりも、より積極的な力学が作用しうるようになる。と言うのも、魔術的な世界にあっては、個人個人は慎重に慎重を期して歩を進めざるを得なかった。ところが、権力層と知識層のニ者が暗黙裡に結託した領域にあっては、人間界の内に、突然超越的な力学が引き入れられる。と言うのも、地上の権力者は、聖職者に支えられることを通して、至上権の源たる「神の摂理」という、心強い味方を手中にするからである。
[神聖なる王に従う臣下という体系]
一方、サタンの王国とは、こうした体系全体を、まさしく裏返しにした存在に他ならない。

悪魔のプロパガンダ

サタンに超人間的なイメージを付与する戦略は、何よりも先ずはプロパガンダを目的としていたことになる。知識層がこうしたイメージを練り上げ、芸術家や著作家あるいは聖職者などが、それを普及させるという仕組みだ。例えば聖職者なら、説教の中に於いて、あるいは信者と直接接することを通して、悪魔のイメージを植え付けていくことができる。(略)
そこで、悪魔学は一方で、当時ますます至上権を強めつつあった君主を登場させ、その君主に罰される罪人の運命をやたらと強調している。しかも、この同じ君主は、罪を悔いた罪人には慈悲深くあることも心得ている。これと照らし合わせて見るならば、地獄こそは、人を罰する至上権を神から付託された究極の場所である。さて、悪魔学は他方で、比喩に富んではいるがリアルに感じられる右の考え方をさらに押し進め、個人個人の身体こそは、善と悪とが対峙し合っている特権的な空間である、という見解へと人々を誘うのである。

デーモンと合体する恐怖を植えつける

以前は、サタンは人間に似ていることしばしぱであった。しかし今後サタンは、化け物や野獣に急接近していくため、その気色の悪い相手が、どんな存在の内部にも侵入できると想像するだけで、人々は大変な不安感に襲われ、極力その嫌悪の対象を、自分たちの周辺から遠ざけようと努めたはずである。この不安感を醸成する要素には二つある。その第一は、デーモンが本質的に非人間的な存在だと強調し、そのデーモンが罪に汚れた身体を侵犯し、それをデーモン自身の似姿に変えうると執物に説く傾向であろう。第二の要素が本当の意味で定着するのは、大規模な魔女狩りが本格化する時期を待たねばならない。完全に悪魔に牛耳られた身体というテーマがこれに該当する。

内なる獣への恐怖

[人間と動物との明快な境界線が十二世紀頃に消滅し]
動物を見る人々の視線に変化が生じたが、この変化は同時に、自らの内部に巣くう獣への恐怖を人間に抱かせるに至った、と言うのも、この内部の獣は人間の合理性と霊性とを消し飛ばしてしまい、まさしく獣の如き淫欲と食欲と攻撃欲のみを残すだけだからである、と。(略)
高まりつつあった自己内部の獣に対する恐怖感を、キリスト教内部に統合しうる用語で掬い取ったのであり、さらには、この恐怖に対する治癒法として、信仰と献身とを前面に打ち出していったのである。なるほど、いかなる信者も、聖人、とりわけ聖アントワーヌのような強い魂を有するのは不可能だ。しかしそれでも、各人は、自己内部に巣くっている獣的な性質を押さえ込まねばならないとされていた。

悪魔軍団の登場

悪魔は、醜く歪んだ人間ではなくなり、罪人の腹部に潜む汚らわしい獣へと変じたが、その一方で、狂信的追従者[魔女のこと]から成る巨大な軍隊に君臨する、恐るべき地獄の君主の座にも収まったのだ。

ぬおお、盛り上がるなあ。この引用はリアルタイムで進行している。明日を待て。俺だけ先にチョット読んじゃおうかな。