西欧中世都市の世界

西欧中世都市の世界―ベルギー都市ウイの栄光と衰退 (叢書ベリタス)

西欧中世都市の世界―ベルギー都市ウイの栄光と衰退 (叢書ベリタス)

第五章くらいから俄然面白くなる。これならもうちょっと時間をかけて丁寧に読めばよかったと後悔。一昨日の「中世の春」なんかに手間取るんじゃなかった。
階級化だ、ニートの暴動が心配だ、と皆さん大騒ぎですが、貧乏な小生は一三世紀の「勝ち組」の行く末を高みの見物。

毛織物商人や両替商の兄弟団も非常に閉鎖的な都市貴族を構成していたと考えられる。婚姻関係の網の目が結合を強めるこの世界で、これらの職業グループは利害、渇望、似通った心情をもつ人々がとぎれることなく連なっている、非常に閉鎖的な一種のクラブであり、そこに所属することが、団体意識を発展させ強めることになったことは疑いもない。だが、この団体意識は、避けがたい老化のしるしであるカーストの精神へと、やがて変質していくこととなる。

瑣末な規制でがんじがらめ。経済縮小は保守化を促進。

毛織物職人の一日の労働は、「職工の鐘」によって規則正しく行なわれ、家内労働は常に監視下におかれていた。他方、ストライキすなわちあらゆる「労働争議」は徹底的に鎮圧された。首謀者は、追放すなわち遠くロカマドールのノートル・ダム教会やサン・ジャック・ド・コンポステラヘの贖罪の巡礼を命じられた。一方で、製品の品質は、しるしすなわち都市のレッテルをつけることで保証された。このようにして、消費者の保護は常に確保されていた。毛織物と同様に、ナイフや錫鍋もこのような義務の下におかれた。中世都市の雰囲気は「自由企業」のそれとは程遠いものである。さらに、一四世紀を通して経済的局面が後退し取り引き量が縮小するにつれて、あらゆる種類の規則や条例が数を増し複雑になって、個人主義排他主義の傾向をはっきりと強めた。同時代人の目からすれば、古い慣行をますます良心的に遵守することのみが、姿を現わした衰退に対する頼みの綱であるかの様にみられた。あらゆる新規なものや進歩には戸を閉ざし、詳細な規定の網の中にすべての新しい主導力を縛りつけたのであるから、このような精神状況は結局のところ衰退を促進することにならざるを得なかった。

皇帝のいない八月、自己責任で防衛。防衛費は消費税で。司教から権力を奪うため富裕層は庶民暴動を利用。

皇帝権力の無気力さから自分の力だけに頼らざるを得なくなった司教は、近隣の封建領主の領土的野心と戦う場合、自分の「国」の資力、特に諸都市をあてにする以外になかった。市壁は補完され拡大したが、都市の財政は専らブルジョア、もっと言えば、都市市場に打撃を与える、「防備費」という名称だけがその計画を語っている消費税に依存した。この状況の中で自分たちが介入する比重が大きくなるのを認識したウイの人々は、税徴収権と税支出の統制を要求した。多くの争いが彼らを司教と対立させ、おそらくは時折ブルジョアの間に争いを生じさせた。(略)
いずれにせよ、はっきりしているのは、ブルジョアが目的を達成するために、ある時期「革命的コミューン」に頼らねばならなかったこと、司教権力を失墜させるために都市同盟に着手する必要を感じたということである。

さらに民衆の暴動について詳しく

事態は悪化し続けた。一二九八年の民衆の祭りは異常な歓喜の中で展開した。王や貴族の格好をし、きらめく剣をもち、または毛皮で身を包み、ウイの民衆は、雰囲気にまかせての歌詞を歌いながら(それはみんなの者を楽しませたわけではなかっただろうが)、街路を走りまわった。馬にひかれた大きな車の上で、機械でまわる串で牛が丸ごと焼かれた。どぎつい、そのまま勝利の行進となるこのような示威行動は、有力者の間に深いねたみと、言葉にはならない不快さを起こさせた。(略)
戦いは、敵に食料を補給する商人を傭兵が略奪するという常套的経済封鎖、兵隊が駐留している巣窟の破壊、ウイの都市貴族と民衆が相対する戦争というおきまりの形で遂行された。勝利は最終的には、サン・ランベール教会参事会、リエージュ市民、ひいてはウイの都市貴族のものとなった。(略)
このようにして、例をみないほど早熟であったウイの民衆支配は終わりを告げた。二年以上にわたって、「民衆」は都市行政のすべてのポストを掌握し、真に革命的な制度を敷いたが、聖職者である年代記作者たちはその動きについては完全に口をつぐんでいる。