近代読者の成立・その2

前日の続き。

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

 

全国の文学フェミ女号泣。

私設図書館が繁昌したのは、ほとんど唯一の公共図書館ともいうべき東京図書館が施設・蔵書ともに貧弱をきわめていたことがその一因であろう。(略)閲覧室の定員は公称二百人であったが、じっさいには百五六十人を容れる余地しかなかった。明治二十四年の六月ごろから文学修業のために東京図書館に通いはじめた樋口一葉も、八月八日の日記に「図書館は例へいと狭き所へをし入らるゝなれば」と記している。またこれにつづけて「いつ来りてみるにも、男子はいと、多かれど、女子の閲覧する人、大方、一人もあらざるこそあやしけれ。……多くの男子の中に交りて、書名をかき、号をしらべなどしてもて行にこれは、違ひぬ、今一度書直しこなどいわるれば、おもて暑く成て、身もふるへつべし。まして、面みられさゝやかれなどせば心も消る様に成てしとゝ汗にをしひたされて文取しらぶる心もなく成ぬべし」とも記している。

団欒から個人的読書へ

山川均の父親が家中のものに『八犬伝』を読んで聞かせるといった団欒図は、明治初期にはきわめてありふれた家庭風景のひとつであった。そこでは書物は個人的に読まれるものとしてより、家族共同の教養の糧、娯楽の対象として考えられていたのである。山川均のばあいは郷里を離れて京都の同志社に入学したときに、この共同的な読書環境の拘束から解き放たれ、広大な活字の世界のただ中にたった一人で入り込んで行くことになる。それは彼に限らず、立身出世を夢みる明治青年に共通した運命にちがいなかった。かれらは維新の変革によって自信を失った親達とはべつに、新しい生き方、価値観を自分自身で模索しなければならない。かれらの人生の方向を決定したものは、両親から授けられる教訓ではなく、一冊の書物なのである。

「生活第一、芸術第二」

夫の無教養に愛想を尽かした寿美子は、いったんはかつての愛人の許に走ろうとするが、物語の結末では彼女の聡明な決断が結婚生活の破局を回避させる。「愛人と結婚する、それは人生の輝しい幸福の第一だ。しかし、それが出来なかつたとしても、そのために人生その物迄壊してしまふことは、あまりに勿体ないことだ。恋愛以外にも、生活はあり、生活のあるところ、何処にでも欣びはあるのだ」。この寿美子の独白にはかつて「文芸作品の内容的価値」を「生活第一、芸術第二」ということばで締め括った菊池寛じしんの肉声が裏打ちされているが、愛情か生活かという二者択一は生活の優先という形で解決されるのである。ここにいう生活はまさに「ブルジョワ生活」そのものだ。あるいはそのステロ版としての「文化生活」といいかえてもいい。その舞台装置は帝劇であり、三越であり、帝国ホテルであり、銀座の酒落たカフェである。姑の束縛から自由で、快適な別居生活を営むに充分な経済的余裕である。それは愛情という価値をすべてに優先させた『真珠夫人』の世界とはあまりにも異った風景でなければならなかった。

菊池寛式・通俗小説新領域開発

通俗作家としての菊池寛の役割は、いわばこの「主婦之友」レヴェルから「婦人公論」レヴェルまでを含む通俗小説の新領域を開発することにあった。大正女性が置かれていた閉じた現実と、彼女らがひそかに希求していた開かれた理想との断絶に、架橋することにあった。彼はどのような方法でその作業を遂行したのか。青野季吉のことばをかりるならば彼が提供した「自由の世界の描写」は、本物ではなく「脚光の上の焔」にすぎなかったが、まさにそれが幻想そのものであったが故に、新中間層の女性読者に代償的な満足を約束することが可能だったのである。しかも、彼女らが現実生活と社会的欲求との落差をヨリ痛切に意識し、新中間層特有の不安と自意識を深めて行くにしたがって、彼の成功はゆるぎないものになる。いわば『真珠夫人』を発表した大正九年には、菊池寛は「可能性における読者」に向って語りかけていたわけであるが、大正末年には現実に厖大な新中間層の女性読者を獲得するのである。

メディアハイプ

円本が投げかけた問題の核心は、高畠や青野の指摘した出版の資本主義化もさることながら、その結果として顕在化した厖大な享受者層そのものの中にあった。すでに講談社の「キング」は大正十四年一月の創刊号で七十万部を越える発行部数を記録し、新潮社の「世界文学全集」は五十八万の予約読者を獲得する。改造社の広告が「民衆」というシンボルを執拗に繰り返した事実が端的に示しているように、出版機構の自由に操作しうる《大衆》が登場したのである。それは円本によって、また講談社文化によって「啓蒙」されようとしている《大衆》である。

昭和11年の高倉テル「日本国民文学の確立」では、

女工サブカル

金色夜叉』が芸術小説、『不如帰』が通俗小説というようなこれまでの評価は、作品の内容から来たものではなく、それぞれの読者層の差から来ているというのだ。『金色夜叉』の読者が「江戸末期の文学からずつと系統を引いた、主として都市の伝統的な読者」であったのにたいして、『不如帰』の読者は「当時の社会情勢から新しく進出してきた、新興の読者層」である。しかも『不如帰』の読者として高倉が重視するのは、日清戦争後に飛躍的な発展を遂げた紡績工場で働く農村出身の女工たちである。『不如帰』に描かれた封建的な家族制度、浪子の命を奪った結核は、かれら自身の悲劇の反映であったかぎりで、そこに共感の絆が結ばれる。一方、『金色夜叉』の読者層は「資本主義的支配層」を構成する旧士族出身者であり、江戸文学からの正しい伝統を持つ読者である。