中世びとの万華鏡・その2

前日より続いております。

中世びとの万華鏡―ヨーロッパ中世の心象世界

中世びとの万華鏡―ヨーロッパ中世の心象世界

禁欲の流行

十一世紀の終わりから十二世紀初頭にかけて修道院制度そのものが内側から変化し、多くの新しい修道会が創立され、禁欲的生活を実践するためにより完璧な形態が創設された。世俗世界に禁欲の実践が大流行したのはこれに並行している。

王の統帥権は不安定で戦場での勝利により強化するしかなかった

たしかに、中世の国王とその家族は生涯の大半を宮廷の外で過ごし、移動に起因する疲労と不安と常に闘っていた。(略)中世の政治における秩序は、危機を回避する努力によってつくりだされていたのである。平和は、戦争と戦争の間のつかの間の息つきの期間である。封建的統治とは、命がけで無政府状態と妥協しようとした実態につけられた理性的すぎる名前であると考えれば、もっともよく理解できるのではないであろうか

王の聖なる威光

十三世紀までには、王が触れて病気を治すということは永続的な奇跡になっており、王権のもつ「魔法にかけられた」雰囲気を醸し出してそれを強化していた。治療を求めて来た人が何千人にもなったことを考えると、この西洋の二大王国が名声を得たのは、その政治的、軍事的優位性のみならず、王たちがもつ治療能力によってもいたのではないかと思わざるを得ない。

修道女を孕ませた男の睾丸を他の修道女が切り取って妊娠修道女の口につっこんだ話

彼女たちの立ち居振る舞いにはいわゆる女性的とも宗教的とも感じさせるものがほとんど存在しない。しかし、よくあることではあるが、間違っているのは現代においてわれわれが使っている「女性的」という語の意味のほうであり、言葉そのものではないのである。というのは、十二世紀においては、女性性(femininity)は冷酷な残忍さを含意しており、また宗教性(religiousity)は野蛮さを含意していたからである。

生殖は忌まわしい

創造された世界は霊的世界よりはるかに劣るものであるとグノーシス主義者たちは信じていた。そこには、霊的世界は不完全にしか反映されていないと彼らは考えていたからである。物質は悪である。したがって、物質的存在をつくり出すことは悪をつくリ出すことと同じであり、生殖行動は忌むべきものになった。その結果、女性の母的機能・役割を完全に廃止しようとしたり、結婚を悪魔の仕業であると見なすグノーシス主義の分派が数多く現われるようになった。

一方で、「明るい衣をまとった女性姿の」キリストを夢で見た女性崇拝のグノーシスの一派もあったりして。当然指導者にも女性が多い。

こうして、一四世紀を迎えるころまでには、一年のうちのおよそ二二〇日は性行為をすることが公に禁止されるようになっていた。そして、ほかにも、さらにもっと自主的に禁欲をするよう促す圧力がたくさん存在していたのである。また、性行為をすれば夫婦は不浄となり、秘蹟を受ける価値がなくなるとも考えられた。

そしてラスト

中世のヨーロッパに生きるためには、日常経験する出来事が、過去とも未来ともつながる取り返しのきかないことであり、信条や判断が、互いに補完的な概念が広く網の目のように広がった世界と切っても切れない関係にあるということを認めなければならなかった。厳密にいえば、中世びとは誰も真実を発見しようなどとは考えなかった。そうではなく、その輪郭がおぼろげながら見えたとき、絡みあったたくさんの真実の陰の部分に光をあてようとだけはしたのだ。この点において、学のある者も学のない者も同じ立場にあった。どちらも、一片一片の形がヒントとなるジグソーパズルを完成させようとしている人間のような観点から、経験したことをとらえていた。そして、どちらも、パズルの埋め残した部分から手持ちの一片がどう使えるかを決めたのであった。学のある人間のパズルは学のない人間のパズルより種類が豊富で、知的にもまた直観的にも整然としていた。学のない人間のパズルは、もっと単純で主観的なものであった。だが、彼らが見た真実の形はただ一つであったのである