日英同盟―日本外交の栄光と凋落

日英同盟―日本外交の栄光と凋落

日英同盟―日本外交の栄光と凋落

 

なんだかんで地中海へ派兵して死者を出してた大日本帝国
こんな心配しておいて日本人もイギリス人をドイツ人と間違えて捕虜にしたりするのだが。

小村外相は、日露戦争が始まれば、日本と組んでロシアと戦おうと意気込む中国に中立を維持するように働きかけ、同時に、戦域をできるだけ限定するように軍部に要請した。これは、中国の参戦によって列国との関係が紛糾して中国全土が混乱に陥るのを防止し、日英の権益を保全しようという深謀であった。中国人にはロシア人とほかの白人の区別が難しいので、収拾不可能な事態が起こるのではと小村はまじめに心配していた。

第一次世界大戦勃発

8/3 加藤外務大臣、駐英大使にいつでも同盟発動しますよと伝える
8/4 英国は日本に軍事支援を求めない旨
8/7 前言撤回、ドイツ武装商船のみの攻撃を依頼。軍事協力を限定しようとする英国に日本は反論。商船を攻撃すればドイツと戦争状態になるにもかかわらずドイツ軍艦は見過ごせというのは理不尽である。なぜに英国の態度が二転三転したかといえば。
[日本の立場]日清戦争補償でのドイツへの恨み、輸出停滞、軍費増大etcを解決する「大正新時代の天佑」である。一方でドイツが勝つかもしれないから戦況がはっきりするまで中立で、いや戦争して消耗しないようずっと中立でという考えも。
[英国の立場]どさくさに紛れて日本に好き放題やられたくはないが、かといって機嫌を損ねてドイツと手を結ばれても困る。とりあえず早々にドイツと敵対状態になるように持ち込んで、領土ではなく資金援助くらいで話をつけたい。なおかつイニシアチブは英国が取れるようにしたい。また日本艦隊の行動範囲はアジア海域だけにとどめておきたい(豪州などが日本がドイツ領南洋諸島に手を出すことを警戒していた)
1914年9月山東半島日本陸軍が2万上陸したのに対し、英国軍は一ヵ月後に到着した第二陣を加えても三千名だった。形だけでも共同作戦の形をとったのは、日本に主導権をとられぬためと、中国を安心させるため。
1917年、日本駆逐艦は切羽詰った英国の要請を受け、地中海へと旅立ったのであった。

英国が開戦当初に日本海軍の行動海域を限定しようとした一件で、海軍内部には釈然としない空気が澱んでいた。今更、地中海へとは英国も不条理だとの感情的な反発があった。しかも、遠い危険な海で艦艇ばかりが人命を失う恐れもあった。

日本に苛立つ英国

同盟維持のために日本に譲歩するばかりだと世界から見られるのを英国は嫌がった。弱みにつけこむような日本の態度に苛立っていた。

確かに、膠州湾租借地山東省の鉄道権益はドイツの掌中にはあっても、本来中国の主権と領土の保全に係わる問題であり、敵国ドイツが直接領有する南洋群島とは、事柄の性質と軽重がまったく異なっていた。(略)
さて、軍令部は閣議決定の有無や日英外交舞台裏のどろどろした経緯にお構いなしに、地中海への駆逐艦隊派遣の準備を進めていた。統帥権の前には、閣議決定も単に形式にすぎなかったのである。(略)
若い隊員たちは、地中海出兵の成否には「国家の栄辱」がかかっていると教えられ、それを信じて戦いの海へ昼夜の別なく出撃を繰り返した。出動率は、英国海軍をも上回るほどで、彼らは生命をかけての激務に心身ともにすり減らしていた。むしろ、英国海軍の直接指揮下におかれたほうが、彼らもそれほど苦労せず、もう少しのんびりできたかも知れなかった。

1917年6月11日駆逐艦・榊がオーストリアハンガリー潜水艦に攻撃され撃沈はまぬがれたが戦死者をだす。榊の惨状を見た松艦長近藤大尉の日記。

成程敗戦といふものは士気阻喪する。戦争では決して負けてはならず、爾来松、榊の乗員中一種の神経衰弱になったものも出来た。戦争の目的がはっきりして居なかったし、又皇国の興廃にも関するという場合でなかったからこういふ事になったのかも知れぬけれども痛嘆に堪えない

日本はマルタ島英国海軍墓地一区画の永久使用を求め英国快諾。

日本国内でドイツに対する伝統的な友好親善の潮流が、戦中でも衰えをみせず、とりわけ、一部の政治家、軍人、学者などの間で、戦局はドイツに有利に展開しているとか、中国での自由を得るために、英国との同盟を破棄すべきであるとか、無責任で反英的な言動が絶えなかった。(略)
だが、勝敗が誰の目にも明らかとなった1918年の夏ごろから、にわかに日英同盟礼賛や親英的な論調に乗り換える学者や評論家が多くなり、かえって英国人の不信、ひんしゅく、軽蔑を招いた。

大戦後1920年頃の米国外交の動きを英国大使は

海外のことに巻き込まれたくないという願望は相変わらず強いが、上院の洞窟に住む議員たちが主張している孤立主義は誤りであり、実際的でもないという確信は米国民の間に次第に広がっている。上院の度し難い孤立主義も、政治・金融・通商の分野での米欧の相互依存という紛れもない事実に直面している