前日からの続き、吉本隆明『超恋愛論』。そもそも『戦争と平和』の作られ方を見れば吉本さんの状態が相当悪いのがわかる。
- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2004/08/01
- メディア: 単行本
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「お前、”批評空間”というのを知ってるだろう」
「ああ、柄谷行人や蓮見重彦たちのやっている雑誌だな。それがどうかしたのか」
”批評空間”は思潮社から出ていたが、そのころ廃刊同様だった。新潮社や講談社にも話を持ちこんだが、断られたという噂が、私の耳にも入っていた。
「"批評空間”を福武で出す、というんだ。そりゃあ、どこで出そうと俺には関係ないよ。だけどな、柄谷というのは、俺の思想とはまったく別反対なんだ。アイツはアメリカヘ行って、すっかり変わってしまって、いまでは俺の批判者なのさ」
「へえッ」私はそのとき、かつて柄谷行人は吉本思想の同調者だったことを想い浮かべた。吉本は飼い犬に手をかまれた感じを受けたのだろう。
「福武が”批評空間"を出すということは、福武が柄谷の思想を背負うことになるんだよ。そんな本屋に、俺が書けると思うか」
川端本としてなら何を書こうが、「オレをネタにしてオマエの懐が暖まるなら構わん」と吉本さんも言うだろうが、かりにも吉本名義の本だよ。そこに事実関係からしていい加減な文章が収録されているのである。こんなものが出てしまうほど状態が悪いのかと暗澹たる気分になったのだが、それ比べれば『超恋愛論』はちゃんとしている。恋愛について吉本さんのお話を伺うという気持ちで読めば、いいじゃなーい。
IT社長の「女は金」発言がライブなこの時期にぴったり。
権力なり経済力のある奴が、結局いい女を手に入れてるじゃねえか、という意見があるでしょう。
実際、そういうことがあります。相当自由に相手を選べる人たち、というのが現実にいるわけです。
なぜそんなことができるのかというと、要するに威張っているからです。社会的・経済的に恵まれているということを背景に、威張っているのです。
恋愛においては、本当はそれインチキなんだぜ、って、ぽくなんかは思いますけれども。
飯の支度は誰がやるという話から
何が駄目かというと、ものを考えないところが駄目です。無自覚なところが駄目なんです。
先進国の人間というのは、無自覚・無意識でかまわない。それで生きていけるわけです。
後進性と戦う必要なんかなくて、飯のことで葛藤するのはくだらないと思える世界に最初から立っているわけですから。
日本の男たちは、確かにくだらないことでパタパタやっているかもしれないけれども、その分、よほどものを考えているんじゃないかという感じがします。後進性と先進性の間で葛藤しながら広くものを考える、ということを、少なくともアメリカやヨーロッバの先進国の男たちよりはやっているんじゃないか、と。
先進国の人間は、後進国というか、自分たちよりも発達していない国のことを、ちっとも考えないんです。
他にも色々引用するつもりだったのだが、まあ読む人は読むし、読まない奴は読まないし。
ともかく最初からバカにしてるくせに白々しく難癖つけてる奴がムカツイたんだよ。