文学界12月号のバカ書評

文学界12月号の書評にバカ二人。
島田裕巳『人を信じるということ』(千葉一幹)
吉本隆明『超恋愛論』(伊藤氏貴)
島田の本はゴミだと書いたけど(id:kingfish:20041006)、千葉一幹の書評は冒頭でいきなり言い切っております。

これはれっきとした日本宗教論あるいは日本文化論の本である

島田同様ぐだぐだと薀蓄もどきのくだらねえ要約展開しております。そのくせ「勧進帳」に絡めた島田の自己弁護については一切触れないのな。まったく互助会かよ。

しかし、オウム事件の際、誤報などもあり、大学での職までも失わざるを得ず、その結果人間不信に陥った島田が、その不信からの回復・快癒の書として位置づけた本書の言葉は、重い。

まったくよくもまあである。

超恋愛論

超恋愛論

伊藤氏貴もこれまたいやらしい。いかにも期待していたかのように装って、それが裏切られたと嘆いていやがる。ウソツケ。吉本の現在の状態や年齢を知ってそんな期待をしたとしたならほんとにバカだよ。

それは、吉本が「恋愛」を自明のものとして扱ってしまっており、恋愛そのものを疑おうとしていないということである。

おいおい今更吉本に恋愛そのものを疑って欲しいか。そりゃ小谷野が「超恋愛論」という本を出したから期待して読んだら

恋愛というのは、まるで細胞同士がひかれ合うような、そんな特別な相手とだけ成立するものです。
この本の中でくわしく書いていきますが、そういう関係は、お互いがある精神的な距離圏に入ったときに初めて生まれるものであり、その中に入ってしまったら、社交的だとかそうでないとか、顔かたちがどうであるとか、そんなことは何の関わりもなくなるのです。
細胞と細胞が呼び合うような、遺伝子と遺伝子が似ているような--そんな感覚だけを頼りにして男と女がむすぱれ合うのが恋愛というものです。
たとえて言えば双子のきょうだいのような感覚というのが近いのでしょうか。

てなことが書いてあって裏切られたというならわかるけど。吉本だよ。なにを期待してんだよ。うわあ、吉本さんが、と呟いて、じんわりするとこだろ。

吉本のこの恋愛談を救う途があるとすれば、<恋愛>について何かを学ぶというより、「吉本隆明」を読むこと、すなわち彼の思想の全体という文脈の中での<恋愛>の位置づけを探ることくらいのものであろう。

くらいのものなんだよ。それでいいだろ。聞き書きで本を出してる老人に何を期待するんだ。どうせはなからバカにしてるくせに、ないものねだりのような絡み方をしやがってどういう了見なんだよ。買って損しただのつまらねえこと言ってないで、香典代わりだと思って金を出しとけよ。老人にネチネチ絡む奴と小遣い稼ぎの駄本を持ち上げる奴。馬鹿が二人。「超恋愛論」についてはまた明日。