官僚制のユートピア・その2

前回の続き。

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則

貧乏人を恥じ入らせる官僚仕事

大局的には、世界を官僚制的効率性で再組織しようが、市場の合理性で再組織しようが、ほとんど問題ではない。根本にある諸々の想定は、すべて、なんら変わることがないのだから。国家による経済の完全な統制から完全な市場化へと、大喜びで宗旨替えした――そして鉄則に忠実に、その過程で官僚の総数を劇的に増大させた――旧ソ連の役人たちのように、なぜその両極を横断するのがかくもやさしいのか。(略)なぜこの[官僚制的効率性と市場的合理性]二つとが融合して、ほとんど継ぎ目のないなだらかな一体性を形成しうるのか。その理由は、まさに、そこ[諸々の想定の同一性]にある。
(略)
官僚の仕事の多くは、つまるところ物事を評価することである。(略)
市場改革によってこの傾向はただ強化されるばかりである。(略)
もっとも残酷にそれを感じているのは貧困者である。かれらは道徳的なチェック機械の大群によって始終、監視されている。子育てスキルを評定されたり、本当に両親と同居しているのかの調査のために食糧棚を探られたり、ちゃんと仕事を探す努力をしているか、肉体労働の免除にあたるほど健康状態は悪いのかを評価されたり、たえまのない監視にさらされているのである。すべての豊かな国はいま、貧乏人を恥じ入らせることを第一の任務とするような職員をたくさん雇用している。

「クソしょうもない仕事」がもたらす事態

金融化の過程とは(略)さしずめ合法化されたユスリといったところである。(略)
[増殖した規制の脅迫は洗練され複雑化し]もはやわたしたちはじぶんが脅威にさらされていると認めないほどである。
(略)
ここ数十年、一見して無意味で不要不急の仕事――戦略ヴィジョン・コーディネーター、人的資源コンサルタント、リーガル・アナリストなどなどの「クソしょうもない仕事」――が(略)増殖しつづけているという現象である。結局、これは一九七〇年代、八○年代に、企業官僚制が金融システムの拡大に呑み込まれるにつれはじまった階級的再結合の基本的論理の延長にすぎない。
(略)
[2013年、労働者に占拠されたマルセイユの製茶工場]
一年以上、地元警察との膠着状態がつづいていた。なぜそんなひどい状況になったのか?(略)
争点は、表面上は安価な労働力を求めて工場をポーランドに移転するという決定にあるが、究極の争点は利潤の配分にかかわっている。(略)[包装効率改善により]生産高は向上し、利潤も上昇した。しかし、その余剰金を工場所有者はどうしたか? 生産性向上への報酬として賃金を上げただろうか?一九五〇年代、六〇年代のケインズ主義時代であったら、確実にそうだったろう。しかし、いまはそうではない。かれらはもっと多くの労働者を雇い入れ、生産を拡大しただろうか?そんなことはもうしない。所有者たちの打った手はただひとつ、中間管理者の雇用である。(略)
スーツ姿の人間たちは資格こそ立派なものをもっていたが、労働者のためになにかしたためしはほとんどない。かれらは長い時間をかけて、労働者を監視しながら工場の歩路を歩きまわったり、労働者を測定し評価する基準を設定したり、計画書や報告書を作成した。ついに、かれらにあるアイデアが浮かんだ。工場の活動全体を海外に移転させることである。なぜそうなったか。たぶんプランをひねりださないとじぶんたちの存在理由がなくなるからだろう(略)
労働者はほとんどが職を失うが、プランを作成した管理職たちはもっと魅力的な場所に配置転換されるだけだろうから、おそらくダメージにはならない。時をおかず、労働者たちは工場を占拠し、周囲は機動隊で膨れあがった。
(略)
 だれもがひとつの問題に直面している。官僚の実践、習慣、感性がわたしたちを包囲している。(略)
こうしたことがらを語るために用いているわたしたちの言葉は悲惨なぐらい的を外している。

マックス・ヴェーバーミシェル・フーコー

合衆国の社会科学においてきわだった存在感をもった[マックス・ヴェーバーミシェル・フーコー](略)
かれらの人気のかなりの部分が、一種の反マルクスに見立てやすいというところにあるのはまちがいない。(略)
[権力は生産の統制の問題ではなく]偏在的で、多面的で、不可避であるような機能である、というふうにかれらの理論は(略)まとめられるのである。
 しかし、わたしはまたこうも考える。この魅力の大部分は、官僚制に対するかれらの態度にあったのではないか、と。(略)
官僚制は本当にうまく機能している、と、この二人は信じていたのである。ヴェーバーは、官僚制的組織形態を、人間的事象における〈理性〉の体現者そのものとみなしていた。(略)
フーコーは、もっと転覆的ではある。(略)
健康、セクシュアリティ、労働、道徳、真理という観念そのもの――は、それ自体では無となってしまい、専門家的あるいは行政的言説のあれこれの形態の生産物にすぎないものと化してしまう。統治性や生権力といった概念を通して、かれは、ヴェーバーの想像できたよりもはるかに細部にわたって、国家官僚制が人間存在の諸条件を形成するにいたると論じた。フーコーにとって、すべての知の形態は権力の形態となって、大部分は行政的手段を介して、わたしたもの精神や身体を形成するのである。
 ヴェーバーフーコーの人気が、この時期のアメリカの大学体制が、地球規模で作動する帝国的行政装置にむけて役人を生産するための装置と化しつつあったという事実に負っているのではないか、という疑惑を避けることはむずかしい。
(略)
マーガレット・ミード、ルース・ベネディクト、そしてクリフォード・ギアツのような人類学者でさえも、軍事情報機関、あるいはCIAとすら、ためらうことなく密接に協力している。

現代のスコラ学者

[米英]両国ともに、ここ三〇年、管理運営上のペーパーワークに費される労働時間の割合は、それ以外のほとんどすべての時間を犠牲にしながら、文字通りの爆発的上昇をみた。わたし自身の大学でも、たとえば、教員より事務職員の数が多いというだけではない。教員もまた、教育と研究とを合わせた時間と、少なくとも同程度の時間を、管理運営業務につぎ込むよう求められている。このことは、多かれ少なかれ、大学において世界的規模で進行している事態である。(略)企業マネジメント技術の導入の直接の帰結である。あらゆるレベルヘの競争の導入によって効率を高めるという口実で、それは正当化されている。(略)
補助金申請(略)同僚の評価、新規の学際的専攻や制度の設立趣意書(略)そして大学自体などなどを、たがいに売り込むために、だれもがじぶんの時間のほとんどを四苦八苦しながらつぎ込んでいるといった事態である。大学それ自体もいまや、将来の学生や出資者に売り込むためのブランドと化している。こうして、マーケティングとPRが、大学生活のあらゆる側面を吸収しつつあるのである。
 その結果、想像力や創造性の実現を芽のうちにつむことをめざしているとしかおもえない環境のもとで、「想像力」とか「創造性」を高めることを唱う大量の書類が積み上がる、といった光景があらわれた。(略)
アメリカ合衆国では、この三〇年間、社会理論においてあたらしい大きな業績はあらわれていない。そのかわり、わたしたちの大多数は、いまや中世のスコラ学者のようなものである。もしジル・ドゥルーズミシェル・フーコー、あるいはピエール・ブルデューの生まれ変わりが現代の合衆国の大学世界にあらわれたら、かれらは大学院すらうまく修了できないだろうし、もしそれができたとしてもテニュアにかんしてはほとんど確実に拒否されるであろう。うすうすそれをわかっていて罪の意識を感じながらも、わたしたちの大部分がスコラ学者よろしく、一九七〇年代以来のフレンチ・セオリーに、いつはてるともない注釈を施しているわけである。
 アカデミアが、変わり者、図抜けた頭脳、浮世離れのための、社会のなかの避難所であった時代が存在した。もはやそうではない。そこはいまや、プロのじぶん売り込み人の領域である。

企業官僚の支配

 アメリカ人は自国が官僚制の国であるとみなすことを好まない――自己認識ではまったくその正反対なのである――のだが、官僚制を政府機関に限定された現象と考えるのをやめたとたん、まさにこの国の帰趨がそこ[官僚制国家の強化]にむかってきたことがはっきりとする。現実には、ソ連に対する最終的勝利が「市場」の支配へとみちびいた、などということはない。その勝利はたんに、根本的に保守的である経営者エリート、すなわち、短期的で競争力ある実利的発想を口実に、革命的な可能性をはらむものすべてを剥奪する企業官僚の支配を強化しただけなのである。

「合理性」の傲慢

わたしがよくおもいだすのが、プリンストンにあるウッドロー・ウィルソン国内国際問題大学院に通っていた友人のことである。この学校は、トップレベルの行政官のための訓練校として世界的に知られているのだが、この友人は、ほとんど衝撃的なまでの感激をもって、わたしにこう報告したのである。なんと「価値自由の倫理」の講義が必修なんだぜ、と。一聴して、これは不条理にみえる。とはいえ、みずからは公僕であって、僕たるもの、主人のご用命には、たとえそれがなんであれ応じるのが責任である、という官僚の役割についての観念からは、このような発想が必然的にみちびかれる。しかしながら、みずからの主人が「公共」と呼ばれるようなものであるかぎり、ここからある問題が持ち上がってしまう。すなわち、公共なるものが実際になにを望んでいるのか、それをどのようにして掌握するのかという問題である。「価値自由倫理」の講義で、役人の卵を相手になにが教えられているのかというと、まさにこれである。たとえば、ハイウェイ・システムを設計するプランナーの場合、量的方法によって、(a)仕事に遅刻しないこと、と(b)車輛事故で死んだり大けがをしたりしないこと、との、公衆にとっての相対的重要性を定め(略)それにしたがって速度制限を設ける、といった。
 かたや、これとは完全に矛盾する合理性についての古い考え方も、現代に残りつづけている。モラル秩序としての、それゆえ目的そのものとしての合理性という考え方である。
(略)
 政治における「合理性」の役割について議論は、ほとんど例外なく、こうした二つの矛盾する観念のあいだを、ふらつきながら往復するのである。
(略)
「合理性」がなにを意味するのか、そのことからして哲学者のあいだで合意が存在するわけではない。たとえば、ある伝統にしたがえば、合理性とは、論理、感情によってわずらわされることのない純粋な思考の適用である。それゆえ、この純粋で客観的な思考が科学的探求の基盤とみなされるのである。この発想は大変普及をみせてきたが、根本的な問題がある。(略)[たとえば]認知心理学者たちは、感情から切り離された純粋な思考なるものが存在しないということを、くり返し示してきた。感情なき人間とは、いっさいの思考のできない人間のことである、と。
(略)
だれかが現実ばなれした妄想か、あるいは一貫性のない支離滅裂な論理か、どちらかを主張しているとする。いずれの場合も、おなじく、わたしたちはその人物が正気ではないと決めつける傾向にある。あるレベルでは、これはまったくフェアである。わたしたちは、イカれた人びとを「不合理な」と形容している。しかし、もしそうだとすると、だれかを「合理的」としたり、ある議論を「合理的」としたりすることには、ほとんどなにも意味がないということになる。それはきわめて脆弱な言明なのである。そこでいわれているのは、かれらはあきらかに正気を失っているわけではない、というだけのことなのであるから。
 しかし、これを[他者ではなくてじぶんにむけて]反転させたとたん、じぶん自身の政治的立場が「合理性」に基礎づけられているという主張は、きわめて強力な言明であることがわかる。実のところ、それは飛び抜けて傲慢なのである。というのも、その主張が意味しているのは、この立場に同意しない者はたんにまちがっているだけではなく、イカれているということなのだから。おなじように、「合理的」社会秩序をつくりたいと主張することは、現在の社会的状態が精神病院の住人によって設計されたようなものだ、ということを含意している。(略)
そこに含意されているのは、たんにじぶんの論敵がまちがっているというだけでなく、ある意味でなにが正しいのかを理解してすらいないということだからである。奇蹟によって正気を取り戻し、理性の光を受容し、こちらの概念的枠組みや観点を受け入れることを決意することがないかぎり。
 合理性を政治的美徳として奉るこの傾向は、ある倒錯的な効果をもたらしてきた。それによって退けられた人びとを追い込んで、合理性をいっさい拒絶して「不合理主義」を信奉するようにしてしまったのである。

[脚注]
*15
[ある英国の銀行員の話](略)
内部のやりとりでは、かれらはつねに規制を押しつけられたものとして語る――「大臣がISA非課税枠を上げる決定をした」とか(略)銀行の経営者たちが、こうした法や規制を実現させるべく、当該大臣とのディナーやミーティングをくり返してロビー活動をおこなっていることは、だれもが実際には知っているにもかかわらず、である。上級経営幹部は、みずからの提案が実現したさいには、おどろいたり困惑さえしたりするふりをするという、一種のゲームが存在するのである。
(略)
*20(略)
実質的に、投資家と企業重役階級は一体のものとなりつあり(略)金融世界と企業経営世界をまたぐキャリアもありふれたものとなりつつある。ウィリアム・ラゾニックによれば、経済的にみてもっとも有害な帰結は、自社株買戻である。一九五〇年代や六〇年代をふり返れば、企業が自社株の市場価値を上げるため、大金を投じてその株を買い戻すようなふるまいは、違法な市場操作であるとみなされる傾向があった。[ところが]一九八〇年代以来、企業重役たちの報酬がますます株で支払われるようになるにつれ、それはあたりまえの慣行となり、かつては企業活動の拡大、労働者の雇用、研究調査につぎ込まれていた文字通り何兆ドルという企業収入は、いまやウォールストリートに注ぎ込まれているのである。
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