ヒトラーと哲学者 哲学はナチズムとどう関わったか

ヒトラーと哲学者: 哲学はナチズムとどう関わったか

ヒトラーと哲学者: 哲学はナチズムとどう関わったか

 

大衆は服従を欲してる

1923年、南ドイツはミュンヘンの静かな路上で、ひとりの男が同じ光景を想い描く。「我々がラインラントの都市を二ダース炎上させたところで、どうしたというのか。ドイツの未来が約束されるのなら、十万の死者とて取るに足らんよ」(略)彼には延々としゃべるだけの優柔不断で、臆病者の、旧弊な政治家が歯がゆくてならないのだ。(略)
自分の戦争幻想「ドイツは世界的強国になるか、あるいは全然存在できないかのどちらかである」を言い立て(略)
「偉大な行いとは、その規模もまた無慈悲にならざるをえない」と男は断言するが、ハンフシュテングルは気が気でない――ふたりがいるのは公道で、民主主義の法治国家ヴァイマール共和国のフリードリヒ・シラー像のそばをちょうど通り過ぎたところだったのだ。(略)
[数ヶ月後]その政治家はヴァイマ−ル警察に逮捕される。(略)ビアホールで催された集会に突撃し、銃を手に行動を迫ったのだ。会場に放火して建物全体と客全員を片づける手はずを整えていたが、その計画は途中で阻止され、彼は打破しようとしていた法の手中に落ちたのだった。
 この政治家とは、むろんアドルフ・ヒトラーである。(略)国家反逆罪を言い渡され、有罪となった破は、1924年の春にはランツベルク要塞に投獄される。
(略)
 残虐さこそ力の源なのだと、ヒトラーは確信していた。後年こう述べている。
路上でなぐりあいがあるとき人が集まってくるのを見たことがあるかね。残虐さには敬意がはらわれる。残虐と腕力。路上に集まる単純な人間は、腕力にしか敬意をはらわないのだ。(略)連中は、癒しとなる恐怖を欲する。なにかを恐れたいのだ。おびえながら、だれかに服従することを欲している。(略)大衆はそれを欲しているのだ。彼らは恐怖の戦慄を与えてくれるものを必要としているのである。

ひとり特にヒトラーを魅了した哲学者(略)「カントが我々のために果たした最大の貢献とは、中世の残存物にすぎない教義をきっぱりと否定したこと、教会の独断的な哲学を論破したことなのだ」

 哲学も、しかしナチスには限界のあるものだった。ヒトラーの目標は、ドイツが世界を支配するに十分なだけ大衆を教育することにあった。しかも彼らは、第三帝国に完全に服従したままでなければいけない。個性、批判的思考は単に妨げられるべきものでなく、法律で禁じられるべきものであった。重要なのは、理論による教育が、忠実な取り巻きというよりむしろ自由な精神を養ってしまいかねない点にある。それゆえヒトラーは、〈純粋な〉理論につねに嫌悪感を抱いていた。彼は理論を超える〈経験〉に重きを置いた。しかしどうしたら経験によって教育できるのだろうか。ローゼンベルクが答えを見つけ出していた。「平和な時代に生きるには不幸すぎる人々には」、偉大な英雄たちの伝記を精読することが力説されるのだ。(略)「偉大な人物や彼が成し遂げたものは、私たちには理性の法則による明らかに賢い理論よりも、千倍も重要で有益に思える。(略)
戦場でなら永続的な虐殺が支持される。戦争こそ完璧の到達点、その価値を理解することがナチ教育に欠かせないものとなった。
 人種主義を説いていたボイムラーとクリークは、その後、ローゼンベルクの戦争称揚に呼応する。自分たちの地位が脅かされると見えたのかもしれない――戦争が最高の教材となってしまえば、理論の構築など時代遅れになってしまうかもしれないのだ。しかしこれら忠実なナチ党員にとって、やはり思想が武器だった。それゆえ思想をいっそう完璧な暴力装置へと磨き上げること、これが彼らの身の丈にあった野心となっていく。

カール・シュミット

 国家は「自己の国民に死に赴く決意と躊躇なく敵を殺す覚悟とを要求する権利」を持っている。この言葉を、シュミットは1914年、27歳のときに力強く書いている。(略)一方で彼は自分のキャリアのため、軍隊に入るのをできるだけ先延ばしにした。
(略)
 ナチスが影響力を強めていくなか、シュミットが初めに抱いたのは嫌悪感だった。彼らのことを過激派で、国家の安全保障を脅かすものと考えていたのだ。そのかわり、安定するという理由で支持したのが[大統領制](略)
[冬の朝、カフェでコーヒー、ラジオから]
ヒトラーがドイツの首相に指名されたという知らせだった。びっくりしたシュミットは考え事から急に引き戻される。まず呆気にとられ、そのあと気持ちが沈み、疲れがどっとやってくる。三年間も大統領制を擁護してきたというのに。真っ暗な夜に自殺を考えたと、彼は正直な気持ちをあとで日記にしたためている。ヒトラーの主権独裁がいかに法に反した形で成し遂げられたかを書き付けたが、彼は気分が晴れなかった。(略)
ヒトラーはやってのけたのだ。……あの老いぼれはとうとう狂ってしまった。ひどく寒い夜だ」。(略)
用心深い彼は、力を次第に高めた彼らがいずれドイツの大学から不純分子を追放するだろうと睨む。(略)
[ハイデガーの親ナチ的支持、党への参加を促され]
 ここで突如として、シュミットの心境が一変する。[入党、直後](略)
ドイツ各地の大学都市でナチの学生たちが、ユダヤ人著者の本を火にくべたのだ。炎が紙を引き裂くなか、シュミットは学生らの焚書を激励したばかりか、ナチスの地方紙でも記事を一筆書いている。そのなかで彼は、デカダン時代の「非ドイツ的精神」と「反ドイツの汚物」が焼かれたのは喜ばしい限りとして、国外生活者(著書の焼かれた人たち)の市民権を剥奪せよと政府に求めた。〈敵〉に通じているからというのがその理由だ。
(略)
「長いナイフの夜」事件が起こってしまう。ナチ内部で、裁判なしの処刑でもって反乱分子が粛正されたのだ。少なくとも党内の八十五人が殺害され、合計では百を超えたという。シュミットはこの粛正の正当性・合法性を速やかに擁護する。政治的殺人は「行政法の最高形式」として正当化されるとしたのだ。のちにゲーリングは、世界中の非難から総統を守ることこそ帝国法律家の義務である、と述べており、シュミットはこれに従い、「総統は法を護持する」という影響力の強い論文まで公表している。きわめて寛容な視点から伝記を書いたジョーゼフ・ベンダースキーでさえ、シュミットは「残忍な一党独裁の弁護人となった」と記しているほどだ。
(略)
 シュミットは出世を続け、ヒトラーの主席法律顧問となった。法哲学者としての専門知識のおかげで、彼はさらなる独裁行為にも法としての形を与えることができたし、そもそも彼のナチ哲学には、ドイツ民法からの〈人〉の排除という要素があった。シュミットはこう述べている。「憲法上の諸原則に闘する我々の考え方が、再びドイツの手に戻った。ドイツの血、ドイツの名誉がドイツ憲法の精神となった。そして国家は、人種の力と統一の体現者になった」

ハイデガー

 女性にとって、ハイデガーは魅惑的な人物だった。彼は当時人気の顔立ちで、映画でロミオを演じたレスリー・ハワードと、H・Hのジェームズ・メイソンを足して二で割った風であった。彼の魅力というのは、どこか悪そうな雰囲気、おそらく暴君特有の官能的な色気にあるのだろう。そして彼の哲学は逆に魔法のような不思議な世界で、この謎と力の絶妙な組み合わせが、女子学生・男子学生のどちらもを引きつけてやまないのだ。(略)
ひとりの女学生がおそらくはその謎めいたカリスマ性に心奪われるあまり、自分の命を投げうってしまったほどだった。
(略)
 彫刻入りの枠に大きなガラスのはまった窓のある総長室――そこにハイデガーは腰掛け、ナチ警察へ幾人もの同僚について破滅に追い込むような手紙を様々したためてゆく。そのなかには、のちにノーベル賞を取ることになる世界的に有名な科学者ヘルマン・フリートベルク・シュタウディンガー教授の調査をそそのかすものがあった。彼の罪とは、〈反戦論者〉のきらいがあることだった。ハイデガーはまた、この科学者がスパイかもしれない、というまことしやかな話さえでっち上げていた。(略)「とくにシュタウディンガーが今日、国民的な高揚の百パーセントの味方だと偽っているとなればなおさらである。退職勧告よりはむしろ免職が相当と考えられる。ハイル・ヒトラー ハイデガー」。
(略)
[軍事野外競技が必修となったことを教授たちが「時間の無駄」と反対すると]
悪評高い演説で感情を爆発させている。「国家のために闘うことが肝要なときに、時間の無駄であるなどと言うとは……いったい何ごとであろうか。危険が到来するのは国家のための労働からではなく、まさしく無関心と抵抗の態度からなのだ」。(略)
[ヒトラー国際連盟脱退を示唆してすぐ]ハイデガーは語っている。「首相のこの言葉通り、他の民族がどのような道を行こうとも……我々は……茨の道を行くことを決心したのである。……我々は今、この決断の前提を知っている。それは、最悪の危険をも辞さぬ覚悟そして最後まで固く結ばれた友情である」。

戦後のハイデガー

[カール・シュミットの弁解]
「私が責任を問われている行為は、……本質的には多くの実り豊かな討論を生んできた学問的意見の発表というものである」
(略)
[ハンナ・アーレントハイデガーについて]長らく触れずにいたが、戦後の1946年、公刊著作ではじめて彼の名を引き合いに出す。ハイデガーが「彼の恩師にして友人、その教授の地位を彼が引き継いでいたフッサールにたいして、学部への立ち入りを禁じたのは、フッサールユダヤ人だったからである」、と。フッサールを解雇する書類に署名するくらいなら、ハイデガーは辞任した方がよかった、と彼女はたびたび語っている。「そしてこの書簡とこの署名が彼をほとんど死に追いやるところだったと知っているからには、ハイデガー潜在的な殺人者だとみなさざるをえないのです」。
[50年ドイツに帰国しハイデガーと再会]
20年間自分に影響を与え続けた男を目に捉えたとき、内心は18歳の少女のそれへと戻っていたのだ。
(略)
「……ボーイがあなたの名を告げたとき(略)突然、時間が止まってしまったかのようでした」
(略)
 再会を経たアーレントは、その筆致を急激に変えている。〈殺人鬼〉は去り、その代わり天才が現れた。天才は、過去についてささいな詮索をされて煩わされるべきではないのだ。そのあとハンナは、現代哲学の様相を一変させる計画に手をつける。世界の檜舞台ヘハイデガー復権させる手助けをしたのだ。その達成のために、よりにもよって彼女はユダヤ系出版社とのコネを使って、世界中で彼の本が手に入るようにしようとする。
(略)
 ハンナに加えて、予想だにしない思想家がもうひとり、ハイデガーの支援を始める。自由フランスのジャン=ポール・サルトルが、自身ナチスの戦争捕虜であったにもかかわらず、すでにハイデガー哲学を自分の思想に取り入れていたのだ。サルトルの大きな後ろ盾もあって、戦後の舞台にハイデガーはしっかりと返り咲くことができた。
(略)
 ナチ体制との関与について虚像を伝え、自分の協力がさも重要でなかったかのように見せかけ、罪の最大の証拠でもある著作や演説も細かく改竄・除外し、ハイデガーは無実の難解な哲学者の役を演じた。
(略)
詫びることも、ヒトラーの犠牲者の苦しみに同情を示すことも、一切なかった。ホロコーストヘの意見を求められた彼は、ユダヤの人々の失われた命など戦闘中に殺されたドイツ人と同じ、とばかりに発言し、さらには罪の懺悔を迫る周囲の圧力のなかでも、保守愛国の作家エルンスト・ユンガーを相手に、ヒトラーは自分の名誉を傷つけたと、ハイデガーは愚痴っている。「ヒトラーは私に謝罪すべきじゃないかね?」と逆に問い返してもいる。

迫害された学者の復帰は

 ナチの哲学者の大半が裁判を回避したとすれば、生き残ったユダヤ人思想家はどうなったのか。無事復職できたのか。国外に出た彼らはドイツヘ帰ったのか。
(略)
ヤスパースは、ユダヤ人の妻ゲルトルートのため〈汚染〉されていると、ナチスから指摘されていた。彼はありとあらゆる手を尽くして抵抗し、けっしてナチには屈さなかったため[失職](略)夫妻は、強制収容所送りといういつ終わると知れない脅威を相手に、恐怖が増すばかりの十年間をずっと耐え続けた。(略)
 1945年のヤスパースは楽観視していた。ドイツは元通りになり、かつてナチであった者は責任に問われるものと思っていたのだ。ハイデルベルク大学復興の責任者のひとりとなった彼は、その立場から、ナチの過去を持つ教授らの復職に反対した。だが、ヒトラー支配下、存在を脅かされつつも長年生き抜いてきたヤスパースその人も、ナチ哲学者の多くが戻ってきたのを目の当たりにし、そして気付けば自分自身も無視されていたとあっては、打ちのめされざるを得ない。1948年、彼は母国を後にし、抵抗の意味合いから自分のドイツ市民権を放棄する。スイスのバーゼル大学に移った彼は、そこで残りの人生を過ごしたのだった
(略)
[帰国してみると]アドルノ一家の家は、ナチス時代に捨て値で売却されてしまっていた。(略)
ドイツに戻って暮らしたいという願いだけではどうにもならない。再び職に就くことが何よりもまず必要だったのだ。(略)ところが得られたのは、ホルクハイマーの代理という一時的なポストだけで、1950年まで依然として定職にはつけないままだった。大学は、ナチスにその職を追われた人間に対し、何の保障をする様子もなかった。
(略)
多くの亡命者同様、アドルノドイツ国内に支後者とのつながりもなければ影響力もなかった。そして元ナチが大学に再登用されてゆく一方で、アドルノは大学に復職しようと頑張るが、それは実につらいものだった。アドルノのもとを訪ねたホルクハイマーは、「忘却することと冷ややかな欺瞞というのが、ナチスの相続人を最も好意的に評価している精神風土です」と指摘している。(略)
 ホルクハイマーの大きな助けもあり、またアドルノの出した本の高評価も相まって、とうとう大学もこれ以に彼を拒めなくなる。1957年、フランクフルトに戻った彼は、フランクフルト大学の正教授に就任する。元ナチのヘルムート・リッターは、教授会が終わったすぐあとに、大声で次のようなことを言ったという。フランクフルトで出世するには、ホルクハイマーの弟子で、ユダヤ人でなくてはならないのだな、と。それに激怒したホルクハイマーは、抗議として辞職してしまう。大学でなお続く反ユダヤ主義に腹を据えかね、ホルクハイマーは1958年に早期退職してしまったのだ。
 こうしてあとに残されたアドルノは、ユダヤ系ドイツ哲学の炎を絶やさないよう、ひとり奮闘することになる。

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