放浪の画家 ニコ・ピロスマニ

放浪の画家 ニコ・ピロスマニ

放浪の画家 ニコ・ピロスマニ

ピロスマニは絵を描きあげるのがとても早かった

看板も傷んできたし、客もそろそろ今の絵に飽きた頃だ。また少し描いてくれないか」。ピロスマニは「そうだな」というと、ワインを飲み干し、画材が入ったかばんをゆっくりと丁寧に開ける
(略)
 証言によれば、ピロスマニが居酒屋で画材を広げると、店の客がみんな集まってきた。そして彼がキャンバスに何度か筆を走らせると、魔法のように人や動物が現れてくるので、人々から歓声があがった。そのたびに、ピロスマニは見物人たちを追い払い、いつのまにか絵を描きあげると、静かにひとりで酒を飲み、どこかへ立ち去っていった。また依頼人が、絵に細かな注文をつけたりすると、突然不機嫌になって、描くのをやめてなにもいわずにいなくなってしまうことも、しばしばあったという。
 ピロスマニは絵を描きあげるのがとても早かった。
 『小さなキント』などの小品は三十分、たいていの絵は三、四時間もあれば充分だった。少し大きな絵は一日か二日、幅五メートルのパノラマのような大作は一、二週間をかけたといわれるが、それでも一般的にはとても早い。
 またピロスマニは絵を描くことだったら、どんな仕事も厭わなかった。彼は「卑しい仕事をしてこそ、より崇高な作品を創ることができる」と語っていたという。彼ならではの重みのある言葉だと思う。
 ピロスマニは、その誇りのためだろうか、居酒屋の主人がよりよい生活を用意しても、受け入れずに、ひとつの所に長居をしなかった。
(略)
[ワイン商人のマスヒシュヴィリが]「君はもう充分放浪はしただろう。ぼくのところへきなさい。仕事の支払いはするし、部屋も衣服もある。週に一回は風呂にはいれるし、毎日一パイントのワインも飲める。金をためて平穏に暮らしたらいい。時間があれば絵を描けばいい。ぼくは君の邪魔はしない」と、安定した暮らしを勧めても、ピロスマニは笑いながら丁寧に「鎖をつけられるのは嫌いだ」と断ったという。
(略)
 数年も経つと、チフリスの旧市街では、ピロスマニの絵がいたるところで見られるようになる。二束三文で描かれたり、売られたり、贈られたりした彼の絵が、どの店にもあふれかえっていた。ある居酒屋には十五点の絵が飾られていたという。店のなかではたりなくて、表にもかけられ、チフリスの街が、まるでピロスマニの大きな「ギャラリー」になっていたのだ。

 初めてピロスマニの絵を前にしたときに、私は、その絵が想像より大きいことや筆使いがたくみで、早描きとは思えない丁寧な筆致、とくに背景の仕上げに心をくばっていることに感銘を受けた。背景は単色なのに無機的な印象は受けない。モチーフと有機的な関係を失っていないことが不思議だった。
(略)
 ピロスマニの絵は一見ラフに見えても、一分の隙もない。彼は『タンバリンをもつグルジア女』など、同じモチーフで何枚も絵を描いている。そのなかにはいまひとつの絵もあるが、かならず一作、きわめて完成度の高い作品がある。その絵には力があり、細部まで緻密に構成されていて、どの線もそうあらねばならず、一ミリも動かすことは考えられない。
(略)
 あの独特のスタイルを生涯変えることなく、絵を描きつづけることは、つよい信念がなくてはできないことだ。

『庭番』

ムシャンバ、黒地に描く

 ピロスマニは、絵の多くを、ムシャンバという黒い油布に描いたといわれている。けっして安価なものではないらしい。しかし、このムシャンバの性質のおかげで、一世紀たった今日でも、絵の質が落ちていないという。
 このキャンバスについて、グルジア国立美術館館長ギヤ・マルサギシュヴィリ氏によれば、デルマティニという馬の背をおおう黒い皮革という説もあるという。そのほかには、厚紙に黒い下塗りをして描いた作品も多い。
(略)
 初期には下地を黒く塗ったこともあったようだが、ムシャンバを使うようになってからは、黒い絵の具は、補足的にしか使わない。黒で描かれるべき個所は、器用に下地を塗り残している。ピロスマニは下書きをしない。下書きなしで髪や瞳、輪郭線を、描いたかのように塗り残す技術は驚くべきことだ。またそれが独特の効果にもなっている。
 たとえば『庭番』の帽子、眼、上着、靴や杖は、黒い下地をそのまま塗り残し、前掛けの薄い影は、白を薄く塗ることによって、下地の黒が透けて陰影のように見える。それにしても、これ以上ないほどのシンプルな構図と色使いで、この男のつよい存在感はなんなのだろう。眼は射るように鋭く、誇り高い。同時に生活の厳しさ、怒りや哀しみまでもが伝わってくる。
 『馬盗人』の大部分を占める黒いところは、すべて下地の黒だ。絵の具はほとんど使っていないことになる。それにもかかわらず月の光の印象的なこと。とても真似のできることではない。ピロスマニは描く前に、心のなかで絵をほとんど完成させている。
(略)
かつてはこの技法を、絵の具の節約、早描きに適しているからといわれていたが、それだけではない。なぜなら黒い下地に、別の色を広く塗り重ねることもしているからだ。
 また、よく見てみると、ムシャンバの黒い地の光の反射が、絵の具のものと同質であることに気づく。生地の黒が、絵の具によるものと錯覚して見える。
(略)
 黒地に描くというピロスマニ独特の技法は、白地に描くという現代の私たちの常識とは正反対の発想から生まれている。この技法はかつてビザンティン美術や、中世グルジアフレスコ画でも用いられていたらしい。なによりも絵の具の発色を高める効果があるとともに、モチーフを神聖なるものとして表す効果がある。ためしに黒地の上に対象を置いてみると、それは光を内包するように、内側から明るくなってくる。

白は神聖な色

 ピロスマニにとって、白は聖なる光を示す、神聖な色である。白を際立たせるために、壁塗り用ペンキの鉛白を使っていたらしい。キリストの布、月、愛する女性たち、特別な対象には白を使っている。『オルタチャラの美女』について、彼はこのように語っていた。「(歓楽地である)オルタチャラの身をもちくずした女性たちを、黒い生の流れの底に描いた。私たちと同じように生を愛する彼女たちを、私は花や鳥で飾った。白い布のなかで、彼女たちを憐れみ、その白さで彼女たちの罪をあがなった」。

『ツヘニスツカリ河畔の祭』

私はただ不幸な者であるだけだ

 同じテーマで描かれた、ピロスマニの最晩年、1917年に描かれたという『ツヘニスツカリ河畔の祭』は、とくに心を揺さぶる。
 右上の小さな教会に、大勢の人たちが群れになって歩んでいる。少し大きく描かれた人は、ピロスマニ自身ではないだろうか。左下から右上に向かう、対角線のような構図は力づよい。キリスト教の祝祭を描いた作品だが、彼は病気で体力も落ちていたのだろう。群衆がおぼろげできちんと描かれていない。しかし、そのためもあり、全体に神霊的な雰囲気がつよまっている。
 右の山腹では、熊が猟師に銃で撃たれている。その反対側、左の山腹では、そのつがいと思われる熊がとらわれて、その様子を眺めている。なんと悲痛な光景なのだろう。この絵では、いつもの宴会はおこなわれていない。なぜなら宴会は終わったからだ。身ぐるみはがれる男もいない。なぜならこれ以上、ピロスマニには脱ぐものがないからだ。この頃、ピロスマニは窮乏し、絶望と虚無の中にいた。心身ともに追いつめられていても、はたしてこのような絵を描けるものなのか。ここにはピロスマニの祈りだけがある。この世の哀しみにとらわれながらも、右上の教会の方へ、残ったわずかな力で道をたどろうとするピロスマニの意志を感じる。涙を禁じえない。

彼はこういう言葉を残している。「私はひとりで生まれて、ひとりで死んでいく」、そして、
「私を見て驚くな。私はただ不幸な者であるだけだ」