マルクスのバクーニン批判

私は奴隷だが、私の皇帝は無敵だ - 本と奇妙な煙
上記の流れで下記本の「バクーニン」だけ読んでみた。






時局論〈下〉芸術・文学論/手紙 (マルクス・コレクション)
作者: カール・マルクス,村岡晋一,小須田健,吉田達,瀬嶋貞徳,今村仁司
出版社/メーカー: 筑摩書房
発売日: 2007/01

マルクスバクーニン批判書簡から

労働者階級は政治にたずさわってはならない。労働者階級がすべきなのは、労働組合のなかで組織をつくることだけだ。それでいて、いつの日か労働者階級がインターナショナルの力ですべての現存する国家にとってかわるというのだ。この男がぼくの教説をなんとこっけいなものにつくり変えてしまったかは、一目瞭然だろう。現存する諸国家を協同組合に変えることこそがわれわれの最終目標なのだから、支配階級の最大の労働組合である政府には好きなようにさせてやらねばならない、なにしろ、政府にかかずらうのは、それを承認することになってしまうのだから、というわけだ。まったくごもっともだ! それこそは、かつての社会主義者たちの言い草にほかならない。いわく、賃金労働の廃止を求めるのなら、そもそも賃金問題にかかずらってはならない。賃金の高さをめぐって資本家たちと闘争することは、賃金システムを承認することになってしまうというわけだ。どんな階級運動も、階級運動である以上は必然的にいつだって政治運動になるのだし、そうでしかありえなかったということこそが、このばか者にはけっして理解できないのだ。






エリートの反逆―現代民主主義の病い
作者: クリストファーラッシュ,森下伸也
出版社/メーカー: 新曜社
発売日: 1997/09/25

ミッキー・カウスによれば、今日において民主主義に対する最も深刻な脅威となっているのは、富の不平等な配分というよりも、市民が平等な人間として出会う公共的な制度の衰退または放棄である。
(略)
 カウスによれば、公共政策は市場の作用(それは所得の不平等を不可避的に促進する)をそこなわしめるのではなく、その作用の範囲を限定すること――つまり「金銭がものを言う生活領域を制限すること――をめざすべきである。彼はマイケル・ワルツァーの『公正の領域』を引用しながら、「金銭上の自由主義」と区別された意味での「市民的自由主義」の目標は、「金銭が価値をもたない生活領域を創造すること、金持ちが金持ちであるがゆえに自分は偉いんだと思いこんでしまわないようにすること」だと主張する。ワルツァーもまた同様に、彼の言葉で言えぼ「市場から富だけでなく、威信や影響力をも引き出してしまうこと」を制限することに関心をいだいている。
(略)
所得の平等な配分を確保することではなく、あらゆる社会的財を商品に変えてしまう市場帝国主義に限界をあたえることによってこそ平等原理は最高に機能する、とワルツァーは主張する。

キョウモコレダケ、にしようかと思ったが。

熱湯コマーシャル試論

ぬるま湯でリアルな熱湯苦悶を見せられるのは本当の熱湯に入ったことがある者だけなのです。ガチ熱湯を体験したものだけがそれを演じられるのです。では彼等はいつ投入されるのか。それは「今日は長めにCMしたいのでぬるめにしました」という状況である。こんなに長く入湯してるなんて熱湯じゃないんじゃないだろうか、というお茶の間の疑問を払拭すべくたけし軍団&ダチョウが投入されるのである。そこに悲哀がある。当然その日のCM応募者は「なーんだ、ぬるま湯じゃない、熱湯じゃないんだ、たけし軍団、ヤオだな」と思う。無念だ。奴等はチキンなのか、いや熱湯を体験しているからこそなのである。それを忘れちゃダメ。本当に死にかけたことがあるからこそ「殺す気かあ」なのである。なんかこの話前に書いた気がする。というよりプロレスラー最強説みたいな口調になってきて哀れ。
でも、そんなこと、どうでもいいんですけどねby三津間ジャパン
(訳:でも、そんなの関係ねえ)。