1976年の猪木とルスカ

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

1976年のアントニオ猪木

1976年のアントニオ猪木

一番面白かったのがルスカがメインの第二章「ヘーシンクになれなかった男」、プロレスファン以外にもオススメ。
タイトルと紹介文から予測していたよりは内容充実で面白かった。
ルスカが所属したNAJAは、

ヘーシンクが所属するNJJBを、武士道の精神を修養する神聖なる柔道から金銭的な利益を得ようとする不逞の輩として非難し、NJJBは、NAJAを、せっかくスポーツとして急速に発展しつつある柔道を怪しげな精神性の中に押し戻そうとする胡乱な連中として軽蔑した。

ルスカの師となるブルーミングはNJJB主導による予選選考に異を唱え

「NJJBから世界選手権の候補選手を5人出して、私と戦わせてほしい。もし私がそのうちのひとりにでも負けたら諦める。でも、私が全員に勝てば、私をパリに行かせてほしい」
 ブルーミングはデモンストレーションのために報道陣を集め、NAJAの黒帯と茶帯を相手に75人掛けを行った。ありとあらゆる技を使って投げまくり、所用時間はわずか26分だった。
 「ブルーミングにチャンスを与えないのは信じられない暴挙だ」
 新聞はセンセーショナルに書きたてたものの、ブルーミングに予選出場権が与えられることはなかった。ヘーシンクを世界王者にすることは政府とNJJBの既定方針であり、突然割り込んできたブルーミングはただの邪魔者に過ぎなかったのだ。
 パリの世界選手権に優勝したヘーシンクが国民的英雄となっていく一方、自分にはチャンスさえ与えられなかった。28歳のブルーミングが失意の底に沈んでいた頃、柔道を始めてまだ日の浅い22歳のウィリエム・ルスカに出会った。

東京オリンピック代表選考でルスカは全勝したが、選ばれたのはNJJB所属選手だった。翌年政府命令で両団体は統合された。72年ミュンヘンオリンピックでヘーシンクを超える二個の金メダルを獲得したルスカだが、娼婦のヒモだったからなのか、クレバーじゃなかったからなのか、金も名誉も手にできなかった。
なんだかんだで猪木と闘うために来日

 数日後、ルスカとドールマンは世田谷区上野毛にある新日本プロレスの道場に呼ばれた。この時初めて、クリス・ドールマンはこれから行われる試合の真の姿を知った。
 「ルスカと猪木は、道場で2度リハーサルをした。その時私は、試合の結果があらかじめ決められていることを初めて知った。(略)
休憩時間に、私は藤原喜明とスパーリングをした。リングの上ではなく、木の床の上だった。私は何度も藤原を叩きつけたが、彼は決してギブアップしなかった。木の床にこすられた藤原の顔からは、やがて血が流れ始めた。ルスカは私に『それくらいにしておけよ』と声をかけ、私もストップしたかったが、藤原が拒否した。猪木は微笑しながら、その一部始終をリングの上から見ていた。結局我々は30分以上も戦い、私の道衣は藤原の血で赤く染まった。藤原は真のファイターだ。(略)」
 ドールマンによれば、ルスカがサインした新日本プロレスリング株式会社との契約には「猪木に勝ってはならない」という一項があったという。

『OK。仕事だよ』

[ミスター高橋談]
「ルスカは強いですよ。裸で戦っても、あの長州力がまるっきり赤ん坊扱い状態だったと聞きました。プロレスラーとしてはとても扱いやすかった。逆に扱いやすいからこそうまくいかなかった部分もある。『ルスカ、今日は負けてくれない?』と頼むと『OK。仕事だよ』と何でも受け入れてしまう。ブルーザー・ブロディのように『うーん、今日はちょっとなあ。オレは負けてもいいけど、こうやってオレが勝った方がいいんじゃないか』と言えたら、つまりもう少し悪い人間だったら、もっと成功したんじゃないかな」

もうアキラは便所でシメない時代になったんでしょうか(著者は佐山支持者みたい)

「1989年、私は大阪のスタジアムで前田と戦った。とても興奮したよ。私はもう44歳になっていたし、フィックスト・マッチを恥ずかしいとは思わなくなっていた。猪木とルスカの試合はショーに徹したもので、アバウトなものだったが、私と前田の試合はよりスマートかつテクニカルなもので、ひとつ間違えると危険になる。もちろん充分に打ち合わせを行ったが、何よりも重要なのは信頼関係なんだ」(クリス・ドールマン

脳梗塞に倒れたルスカにかつての面影はないという」

  • アリ戦

アリはプロレスのつもりで日本にきた。アリ側の台本。
1.アリにボコボコにされた猪木が狂乱剃刀で自傷行為、試合中止をアピールするアリを後ろから猪木が真珠湾攻撃フォール勝ち
2.二人の間に割って入ったレフリーが誤ってアリに頭突き、チェックするふりして親指剃刀でアリ流血ドクターストップ
ところが猪木はリアルファイトだと主張。急遽両者が対等に闘えるルールが作られ、それに則り試合は行われた。猪木側が語ったタックル禁止他のがんじがらめ裏ルールなどはなかった。では何故猪木はタックルしなかったのか。できなかったのだ、その技術がなかったのだ、ゴッチはグラウンドしか教えてくれなかったのだ。

猪木の戦法に憤りを感じたことはない。むしろ敬服する。あの戦法は彼がアリに対していかに敬意を払っていたかを表していた。(チーフセコンド:アンジェロ・ダンディ

著者の推測する猪木がガチを選択した三つの理由

だが「モハメッド・アリという大権威とプロレスをしたから猪木は凄い」という論理は、結局のところ「NWA王者という権威とプロレスをしたから馬場は凄い」という馬場の論理と同じものであることに猪木は気づいた。
あらゆる手段を使ってでも馬場に勝ちたい。だが自分が馬場の論理の延長線上に立ってしまえば、いままで自分が言い続けたことが嘘になる。[権威にすがるのではなく、権威を倒さなければ]

第二はボクシングとちがってプロレスはショーだとバカにされてきた鬱屈
第三は馬場にも高額ギャラでアリと試合されたら台無しだ。「リアルファイトでアリを痛めつければ、アリはもう二度とレスラーとは戦わないだろう」

  • パク・ソンナン

アリ戦で借金背負ってんのに安いギャラで韓国の馬場なんかに負けたくないとリアル・ファイトで目潰し

アリ戦を見たパキスタンのボル兄弟、フェイクマッチで寝転がっていただけの猪木なんかチョロだろうと招聘。プロレスだと思ってやってきた猪木はガチだと聞かされ激怒。そうアリをはめた猪木が、今度はハメられてリアルファイトを仕掛けられた。

ベアハッグで背骨を折り、カラチの病院で1ケ月ほどヴァカンスを楽しんでもらえばいい。

なぜ持久戦になったか

サイドポジションを取っても、有利なポジションを死守して、可能な限り早く試合を終わらせてしてしまおうとしているようには見えない。
 「(略)でもビル・ロビンソンはあれでいいと言う。落ち着いて、焦らずに、自分はリラックスして休みつつ、相手を抵抗させることで消耗させる。相手が動いたところを次の展開でしとめる。あれは素晴らしい戦術だ、と」(宮戸優光
(略)
一見、スローで古い時代のプロレスのように見える。私たちが知っているプロレスとも、総合格闘技の戦い方ともまったく異なっている。この試合は打撃のないリアルファイトのレスリングなのだ。

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