ハイパーソニック・エフェクト 大橋力

オーディオの世界は凡庸な一般人にはアレな部分があって、この本にもそんな部分が若干なくもないと言えなくもないのかもしれないとぼかして書いても怒られるのかもしれない、と長々前置きをつけたほうがいいかなという不安もありつつ、熱帯雨林の環境音は騒音規制値を超える音圧でも心地よい、とか、脳は何らかの情報入力を求めている、みたいな一般人にもわかる話も。

イトゥリ森で出会った音環境

[地上最大規模の熱帯雨林]イトゥリ森で出会った音環境は、想像を絶する衝撃的、驚異的なものでした。 特に強調したいのは、その音世界の独自性です。(略)

あくまでも美しく快く豊かでありながら、 透明感や爽やかさに欠けることがありません。 しかもそれは時々刻々、劇的な変容をくり返します。

(略)

それは「音がなく静かな音環境であることがよい音環境の条件だ」といった思想が、 自然に対する知識の空白(略)からくる蒙昧妄断に他ならないことを告げるものでした。 こうして私は、「人類の棲むべき適切な音環境とは、美しく快く豊かな音世界でなければならない」ということを確信したのです。

 日本に帰って再び接した無音に近い筑波の音環境は、もうひとつの衝撃を私にもたらすものでした。 それは、イトゥリ森の音を知ってしまった耳にはほとんど不気味で、空白化した音環境が [人を死へと誘う筑波病へのメッセージ]になりうることを実感させずにはおきません。

(略)

この衝撃は、 環境学者としての私に、音環境を、ひいては情報環境を自己の守備範囲から決して外してはならない、と決意させて余りあるものでした。 同時に、 これらの体験は、[情報環境を構成する音環境のなかの〈音のビタミン〉のようなものの欠乏による情報の栄養失調が筑波病を導いているのではないか]という作業仮説を直ちに導くものとなりました。

 以上のような経緯によって、イトゥリ森から帰ったのち、 私は、情報環境の大きな柱のひとつとして〈音環境〉 の概念を改めて本格的に構成し、そこから新たに出発することになりました。 さらに、その際天啓のように顕れた問題意識として、熱帯雨林の環境音や民族音楽の音などに特徴的な、 [非言語性脳機能に親和性の高い音] というものの存在を視野からはずさないことに注意しました。

 山城祥二と大橋力

 まず、この生命現象の実質的な第一発見者、音楽家 山城祥二とその音を巡る感覚・思考・行動に触れなければなりません。山城祥二は、本書の著者大橋 力の音楽集団〈芸能山城組〉を主宰する音楽家としての名義です。そのレコード作品創りの過程のなかに、まったく未知の現象だったハイパーソニック・エフェクトとの遭遇が起こっています。以下は、山城の一人称的な主観的体験と大橋の三人称的な客観的思考・行動との交錯した記述となります。

 専門的な音楽教育をまったく受けていないアマチュアの合唱指揮者(略)だった山城は、世界諸民族の音楽に向かって平等に開かれ、西欧音楽はそのワン・オブ・ゼムにすぎないものと位置づける立場に立っていました。この姿勢は、昭和期後半の日本の音楽界に大きな影響を及ぼした民族音楽学小泉文夫東京藝術大学教授、そして中村とうようミュージックマガジン編集長(略)の注目と支援を受けるところとなりました。小泉教授には世界諸民族の音楽とその背景にある文化や社会を知るというインプットの面を、中村編集長には芸能山城組の音楽を記録したレコードを世に出すというアウトプットの面を中心に、それぞれ直接的、具体的な非常に価値ある助言と支援を受けています。

〈ハイパーソニック・ネガティブエフェクト〉

  以上を総合して観ると、ガムラン音に含まれる可聴域上限 16kHzをこえる高周波成分は、その[周波数に応じて連続的に]、かつ[正負にわたって]、被験者たちの基幹脳活性指標を変化させます。そのとき、32kHz から 40kHz までの帯域を境に、それより低い 16kHz までの周波数帯域成分を共存させると、可聴音(HCS)だけ呈示したときよりも基幹脳活性指標は低下し、この帯域をこえる 40kHz 以上の高い周波数帯域成分を共存させると、基幹脳活性指標は高まります。

(略)

 以上により、16kHzから 32 kHz付近までの HFC を含む音が呈示されたときに観察される基幹脳活性の低下とそれに関連する諸現象を〈ハイパーソニック・ネガティブエフェクト〉と呼ぶことにします。また、このとき基幹脳活性を低下に導く高周波成分を〈ハイパーソニック・ネガティブファクター〉と呼びます。さらに、これまで、実際には 40kHz以上の超高周波が呈示音中に含まれたことによって発現し、〈ハイパーソニック・エフェクト〉と総称していた現象は、必要に応じて〈ハイパーソニック・ポジティブエフェクト〉と呼んで、前者と区別します。なお、その必要がない多くの場合、これまで同様、それを単に〈ハイパーソニック・エフェクト〉と呼ぶことにします。

脳は何らかの情報入力を求めている

 私たちの開発した〈最大エントロピースペクトルアレイ法〉(MESAM)は、これまでの音響学が使ってきたさまざまな音響分析手法では鮮明に捉えることができなかった、ミクロな時間領域で変容するスペクトルそれ自体の連続性をもった高精度の描写を可能にしただけでなく、そのアレイ表示を可能ならしめたことによって、音がダイナミックに変容するありさまの全体像を認識しやすい状態で具象的に描き出すことを実現しました。

(略)

 この手法を使って〈楽器〉という人工物の世界を眺めてみましょう。たとえば、西欧近代の合理性を体現し「楽器の王者」と讃えられる〈ピアノ〉の響きを調べてみます。するとそれが、意外にもハイパーソニック・エフェクトの発現に必須の 40kHz 以上の超高周波を識別できるレベルで含んでいないという事実に出合います。

(略)

 これに対して、たとえば武満 徹 作曲の『ノヴェンバー・ステップス第一番』における横山勝也の名演によって世界の認識が改まるまで、日本でも外国でも楽器として必ずしも高い評価を与えられているとはいえなかった〈普化尺八〉の音はどうでしょうか。まずその豊富な超高周波の存在が驚異的です。ピアノの高周波が人類の可聴域上限 20kHz に達していないのに対して、尺八の超高周波はそれを10倍以上も上廻る 200kHz に達しています。そしてその三次元スペクトルアレイに現れた音構造の変容は、ハイパーソニック・エフェクトの発現を可能にする 40kHz 以上の帯域に十分及んでいるうえに、文字どおり波乱万丈に変容する高度に複雑な姿を視せます。MESAM による分析が実現する以前には想像もできなかったものです。こうして浮かびあがらせることのできた普化尺八のスペクトルアレイは、森羅万象をたったひとつの音で表現することを志す「一音成仏」というその表現理念が、虚構とはいえないことを教えます。

(略)

 ピアノと尺八という対照的なこの二つの楽器の音のスペクトルアレイの背後には、音楽をほとんど離散的・定常的な音の粒子の配列・組合せとして、つまり楽譜と同じ理念に基づいて捉えている西欧音楽と、それを主にミクロな時間領域における音の変容の側から捉えている日本音楽とのきわめて鮮明な対比が顕れています。

(略)

なお、尺八によく似た特徴をもつ音として、バリ島の〈ガムラン音楽〉の存在が注目されます。

 目を転じて、私たちが生存する[環境の中の音]を観てみましょう。この地上でもっとも複雑な生態系であろう、アフリカや東南アジアの熱帯雨林の環境音は、豊かな超高周波の存在とそれらがミクロな時間領域にみせる複雑な変容とが、尺八の音やガムランの音との共通性を感じさせます。こうした熱帯雨林の音に豊かな高複雑性超高周波を与えているその音源は何でしょうか。鳥たちの鳴き声、木々のざわめき、水音など、その音源の候補は多種多様なものが考えられます。そしてこれらの貢献も決して否定できません。しかし、それらと大きく違った熱帯雨林特有の決定的な超高周波音源となっているものが存在します。それは、[虫の音]です。

(略)

都市の人工物の発する音の特徴は、ハイパーソニック・ファクターに欠けるという点でピアノの音と共通した性質をもっています。

(略)

たとえば騒音規制をみると、〈音量・音圧〉という一次元の量的指標で構成されたおどろくほど素朴な水準にあり、存在する音そのものの内容つまり「質」はまったく問われていません。そのため次のような問題が出てきます。たとえば熱帯雨林の環境音は、しばしば都市の居室に求められる35~45 dB という値をはるかにこえ規制値を大幅に上廻る 60dB 以上 70dB に迫るほどの値を示します。ところが、こうした音圧をもつ熱帯雨林の環境音は、その値とは裏腹に、途方もなく快適に、静寂感さえ漂わせて聴こえるのです。

(略)

 このような、環境からやってくる[あってはならないもの]から目を転じて、環境のなかの[なくてはならないもの]を観てみましょう。

(略)

 新たに浮上してきた[脳は何らかの情報入力を求めているかもしれない]という問題を考えるうえで、かつて一部の研究者によって行われた〈感覚遮断実験〉は、たいへん示唆に富んでいます。

(略)

このように五感から脳に入力される感覚情報を極端に制限すると、健常な若年被験者が数分のうちに幻覚妄想を覚えるようになり、数十分のうちに錯乱状態になったと報告されています。

 人間の脳はしばしばコンピューターにたとえられます。これによって、これまでのほとんどの人びとが、脳のベースラインは[感覚情報入力のないアイドリング状態]であり、何らかの情報が入力されたときに初めて脳が活動するという暗黙の前提に立ってきたといえるでしょう。

(略)

ところが、上記の感覚遮断実験の結果から観ると、人間の脳は、自覚しているか否かにかかわらず、常に五感から入力される感覚情報に対して受容応答し続ける状態にあり、もしもそれらの情報入力が高度に遮断されると、きわめて特殊な、あるいはきわめて異常な環境からの情報入力、〈ハイ・ストレッサー〉として検知されることになります。その状態は、もはや脳が正常に機能し得ない内容の応答、おそらくは〈自己解体性の応答〉をとる可能性が大きいことを示唆しています。

 いい換えれば、脳とは、ある種の情報入力がゼロだと破綻してしまう装置かもしれないのです。

「楽器」としてのカートリッジ

CDが規格通り 22.05 kHz 以上ではすこしの再生信号も出力しないのに対して、LPはそうした帯域にも明瞭な再生信号の存在を示し、しかもそれは、微弱ながら100 kHz をこえる勢いを見せています。

(略)

つまりLPは192 kHz サンプリングPCMハイレゾ並みの周波数応答をもった、極上ともいえるハイレゾリューション・メディアだったのです。

(略)

CDでは、記録された音声信号がほぼそのまま電気信号に変換されます。それに対して、LPではいくつものステップで、決して忠実性に沿わない修飾を受けます。ところがこうして起こる信号の変質は、再生音を著しく美化する場合があるのです。

(略)

カッティングやプレスという製造工程において、続いてレコードのカートリッジによるトレースという過程で、それらの修飾は無視できないレベルに達します。

(略)

こうした非線形性が、設計者の意識・無意識両面できわめて積極的に追求された結果物として、千差万別のノンリニアーな特性をもったカートリッジたちがいわば「楽器」として誕生してくるのです。

(略)

[レコードに刻まれた音溝によって演奏される小さな楽器]、それがカートリッジの正体なのです。それは、聴こえない超高周波はもとより[聴こえる音たち]にも著しい修飾の効果をもたらすことができ、たとえばピアノのように、超高周波をほとんど発生しない楽器音も、美しく装うことがあります。

 後に述べるマイクロフォンにも、[生演奏音によってダイアフラムを震わせる楽器]という性格があり、このプロセスで効果的な修飾が施されることがあります。しかしカートリッジにおける修飾は、それとは比較にならない驚くばかりのスケールに及んでいるのです。

 すこし具体的に観てみましょう。まず音溝信号として存在することができてもカートリッジの発電素子を取り付けたカンチレバーがそれに追随して動けないような不自然な波動は、信号として拾えず音になりません。これは、限度をこえて不自然な電気信号がマスター音源に含まれていた場合、CDだとそのまま拾ってしまうところ、うまく造られたカートリッジはそれを拾わない(実は拾えない)ことによって、不快感をやわらげて自然に近づけるという効果につながる可能性があります。そしてさらに決定的にカートリッジの魅力を高めるのが、振動系のもつ固有の振動特性です。しかもそれは、カンチレバーとコイルとダンパーなどで構成されるごく小さい1個の振動システムに集約されるため、そこに構成される響きは、善かれ悪しかれ、[ひとつのまとまった固有の音宇宙を構成する]、という注目すべき結果を導きます。こうした効果につながるミクロな部分の設計が大きく成功した場合、原信号の忠実な再生ではとうてい足元にも及ばない「天来の美音」が出現する可能性があります。それは往々にして、演奏の限界をこえて音楽の完成度を高め、作曲家や演奏者の随喜の涙をさそうケースさえありうるでしょう。

(略)

 もうひとつの魔力の泉は、システムの出口で電気信号を空気振動に変換するスピーカー、とりわけ超高周波帯域を担当するスーパートゥイーターです。この分野では、〈ゴトウユニット〉というブランドに象徴される、当時の(あるいは今も)音響学の専門家から観ると明らかにオーバースペックのホーン型スピーカーユニット、しかも常軌を逸したと思われるほどの性能と価格に達しいわば神格化しているそれらに対して、熱狂的な支持が形成されています。そのマニアックな状態に対して、「何の科学的根拠をもたないオカルト」などの批判も盛大に浴びせられましたが、ブームはゆるぎもしませんでした。

ハイレゾリューション・オーディオ

周知のとおり PCM方式では〈ナイキスト周波数〉の存在によって標本化周波数の1/2の周波数までしか伝送できません。そのため、96kHzサンプリングのフォーマットでは48kHzまでが伝送可能になります。ところが、第7章3節に詳しい検討結果を述べたように、16kHz から 32 kHz にかけての周波数帯域はハイパーソニック・ネガティブエフェクトを発生し、この面からマイナスの作用を現す危険性を否定できません。また、32 kHz から 40 kHzの帯域成分は正負どちらとも判定できず、96kHzサンプリングの規格下ではわずかに 40 kHz から 48 kHzにハイパーソニック・ポジティブエフェクトの発生が期待されれるものの、全体としては、32 kHz以下のネガティブエフェクトの勢力が著しいものとなっています。つまり、96kHz サンプリング条件下では、ハイパーソニック・(ポジティブ)エフェクトの顕著な発現は期待できません。このことから観るかぎり、96kHz というサンプリングレートは、ハイパーソニック・エフェクトの発現という視点からはプラスの評価を下しにくく、どちらかといえば回避すべきフォーマットとするのが妥当かもしれません。

 それに対して、比較的広く使われている 192 kHz/24 bit という規格は、ハイパーソニック・エフェクトを発現させる 40kHz 以上の帯域成分を 96kHz まで伝送でき、特に有効な 70 kHzから90 kHz 周辺の帯域成分がそこに含まれうるので、十分実用水準に達しています。もちろん、より高密度の規格であれば申し分ありません。

 もうひとつの流れは、DSD方式によるものです。この方式は(略)超高周波領域に良好な応答をもち音質的にも優れていることは確かなのですが、宿命的に付随する〈1 bit 量子化ノイズ〉(1 bit ノイズ)の影響をいかに克服するか、という問題を避けられません。

 1bit ノイズ(略)のエネルギーは決して無視できるものではなく、標本化周波数が相対的に低い 2.8 MHz サンプリングの SACD が実用化された初期の段階では、この聴こえない 1 bit ノイズが大量に共存したディスクからのデータをそのまま再生してしまうために、超高周波領域を担当する〈スーパートゥイーター〉に過大な入力が入り、焼き切れるという事故が頻発しました。そのため、SACD プレイヤーの再生回路にこれを防止する 35 kHz~60 kHz くらいのローパスフィルターが挿入され、結果的にハイパーソニック・エフェクトの発現に有効な 40kHz以上の超高周波成分も除かれてしまった一種のハイカット音が再生される状態が起こっています。

(略)

 ハイレゾ配信でDSD方式が真価を発揮できるのは、5.6 MHz 以上の標本化周波数規格をもつ場合です。5.6 MHz条件下でのDSD では、1 bit ノイズの影響は 100kHzくらいまでは軽少であり、しかも、実際の音源に含まれている超高周波成分と協調して音質を和らげてくれる場合もあり、そこに形成される独特の柔軟な再生音は、厳密さを身上とするスタジオエンジニアリングレベルではやや「甘い」と思われるのですが、コンシューマーユースとしては申し分ありません。

ハイパーソニックサウンドに対応できるマイク

たとえば、ナチス政権下のドイツに誕生した永い歴史と、クラシック音楽収録用マイクロフォンとしておそらく現在もっとも大きなシェアをもつ〈ノイマン社〉という存在があります。このメーカーのポリシーは、それを体現したと思われる U 87 という代表的なモデルのコンデンサーマイクロフォンから推察できます。それはひとことでいえば、西欧クラシック音楽の演奏音から欠陥を抑制し長所を強調して美しい音を録ってくれるというものです。

(略)

「弾き手」がどうであろうとも、マイクロフォン自らは美しく歌わなければならない]、というのがノイマン社のポリシーといえます。(略)

[U87は大きなダイアフラム]のもつ固有振動によって「美容整形」します。このラージダイアフラムの構造によって周波数応答は 16kHzくらいから低下してしまうので、ハイパーソニックサウンドを捕えるには不適です。このような性質によって、U87 は、不規則性、不安定性が瑕疵となりがちな西欧クラシック音楽の声楽や弦楽などを、実演奏よりも、場合によっては驚くほど美しく聴こえさせてくれるのです。それは、「生演奏よりもレコードの方が音がよい」などといわれるほどの絶対的といってよい効果を発揮することがあります。

 ところが、ヨハネス・ブラームスころまでの西欧音楽に対しては比類なく有効なノイマンのマイクは、イーゴリ・ストラビンスキーあたりから後の時代の楽曲では、とりわけ民族音楽、ロックミュージック、ニューエージミュージックなどの影響が無視できなくなってくるにつれて、そしてオーケストラとともに普化尺八や薩摩琵琶などの民族楽器が使われるに及んで、U87に象徴されるノイマンのマイクロフォンだけだとまったく物足りず、「生演奏でなければ全然だめ」といったことが起こりかねない気配が漂うようになりました。

 この空白を突くようにして現れたのが、ノイマン社と同じドイツ国籍の〈ショップス社〉のコンデンサーマイクロフォンです。ショップス社のサウンドポリシーは、ノイマン社と真逆といえるほど対照的なものです。(略)

〈スモールダイアフラム〉を標榜し、入力した音楽信号を色づけせずそのまま電気信号に変換する(略)ショップス社のマイクロフォンには、初登場した1970年代のモデルのなかにすでに、100 kHzくらいまでの応答をもつものが存在していたことが、当時の録音物を取り出し計測してみることで、今にしてわかります。

(略)

 超高周波に対して優れた応答を示す製品を提供しているその他のメーカーとして、計測用マイクロフォン製作で権威のあるメーカー、デンマークの〈ブリュエル・ケアー社)(B&K)から独立した〈ダーニッシュ・プロ・オーデイオ社〉(DPA)が注目されます。100 kHzまでの応答をもつ DPA 4007 をはじめ、ハイパーソニックサウンドに対応できる有力な製品を擁しています。

 ポリシーとしてハイパーソニック・エフェクトを意識し、超高周波への応答を追究しているメーカーは、これらの他に、同じくドイツの〈ゼンハイザー社〉(MKH 8000 シリーズ)や日本の〈三研マイクロホン社) (CO-100K)があります。これらの新機軸のモデルによく目を配って、ハイパーソニック・ファクターを取り逃がさないマイクロフォンを準備しなければなりません。

ウルトラディープ方式『ハイパーハイレゾ AKIRA 2016』

 現在流通しているハイレゾファイルは、黎明期にあっては当然のことですが、いわば玉石混淆の状態にあります。

(略) 

これらのデータをあらためて検討し、ハイパーソニック・ウルトラ処理のためにきわめて適切な周波数構造をもった天然の熱帯雨林環境音のひとつを見出すことができました。それはマレーシア領ボルネオ島のよく保全された熱帯雨林の絶好の地点で、私たちがオリジナルに開発した 5.6 MHz 可搬型 DSDレコーダーにより収録してきたもので、ミクロな時間領域にゆらぎをもつ超高周波を200kHzあたりまで1bitノイズの汚染を受けていない状態で確保している驚異的なものです。

 この環境音からハイパスフィルターを使って超高周波成分だけを取り出し、それを超高周波を喪ってしまったハイカットディジタルアーカイブの、マルチチャンネル音源の場合各チャンネルごとに図15.21 のようなシステムにより、VCA を使って可聴域音声信号の振幅に相関させた動的に変動するハイパーソニック・ファクターを生成し、これを上記の可聴域成分に補完してみたところ、驚くべき有効性が発揮されました。その音質は、CDの欠陥や限界がいわば 「跡形もなく」 消滅しているだけでなく、 生音のアナローグ録音を彷彿とさせるような、 あるいはそれに優越するようなリアリティーを顕し、まったく新しい魅力にあふれる音源に生まれ変わることが体験されたのです。音素材の各チャンネルごとに、ハイパーソニック・ネガティブエフェクトも考慮して吟味した超高周波を補完するこの新しい方法を、〈ハイパ一ソニック・ウルトラディープエンリッチメント〉 (ウルトラディープ方式、ウルトラディープ処理) と名付けました。

 この新しいウルトラディープ方式の導入を前提にして 『CD AKIRA』のステレオ48kHzサンプリングディジタル・マスターおよび 『DVD オーディオAKIRA 2002』 からの4.1サラウンド 96kHzサンプリングのディジタル・マスターを比較検討し、その結果に基づいて、 96kHzサンプリングの『DVDオーディオ AKIRA 2002』 のディジタル・マスターを主音源とし、 一部にCDマスターを同期させてミックスするかたちの新音源を造ってこれらをそれぞれハイパーソニック・ウルトラディープ処理に付したのち11.2MHzDSDレコーダーに記録し、 これを素材に『ハイパーハイレゾ AKIRA2016』を制作しました。

 これらの音声信号の処理に当たっては、ミクシングコンソールの性能が、きわめて重要な意味をもってきます。というのは、CD時代に入ってから機能的な絶頂期を迎えたスタジオ用アナローグ・コンソールの有力な機種たちには、フェーダーオートメーションをはじめとする最新技術の重装備化と引き換えに、量り知れないほど貴いものを喪っているかもしれないからです。

(略)

それらのコンソールでは、48kHz/16 bit PCMという規格のもとでは存在してもしなくても実質的に差はないものとなってしまう 24 kHz 以上の高周波を、トラブルの原因になりうるといった配慮から、あえてカットしてしまう、という対処を選択してしまったことです。

(略)

 この問題は、強力なハイパーソニック・エフェクトの発現を約束するウルトラディープ処理にとっては、その死命にかかわるほどの大事です。ところが、この点についてはひとつ、ほとんど奇蹟的な幸運がありました。それは、スタジオ用電子機器類のほとんど神格化された設計家ルパート・ニーヴの存在です。特に彼の造るアナローグ・ミクシングコンソールは、そのえもいわれぬ音の魅力によって世界中のミクシングエンジニアたちの垂涎の的になってきました。ところで、このニーヴには、少なくとも60kHzに及ぶ超高周波の存在が音に魅力を与える、という経験的信念があります。

(略)

私たちがこうしたニーヴのコンソールを使うことになったとき、そのことを知った彼は出荷直前の9098i コンソールを工場に引き戻し、64のインプットチャンネルすべてについて 200kHzまでの性能を実現するように再調整して送り出してくれました。

 (略)

このコンソールを中核にして、まず始めに、4.1 チャンネル DVD オーディオデータからサブウーファーチャンネルを除く4チャンネル分全体を、上に述べた特別な熱帯雨林の超高周波(ハイパーソニック・ファクター)を材料にして各チャンネルごとにウルトラディープ処理に付し可聴音に相関させて超高周波を補完したのち、11.2 MHz DSD フォーマットで記録しました。そうすると、そこには、現行の定義に従えば一応ハイレゾに分類される96kHzサンプリング PCM の『DVDオーディオ AKIRA 2002』の音源とはまったく次元の異なる、アナローグ的感覚のリアリティーあふれる音に激変した音が現れたのです。

(略)

 こうして完成した『ハイパーハイレゾ AKIRA 2016』の真価は、市場に出回っている世界中で歓迎され大成功した『CD AKIRA』と聴き較べるとよくわかります。冒頭の曲「金田」の「雷鳴」から、『ハイパーハイレゾ AKIRA2016』のもつ生音・生演奏を彷彿とさせるリアリティーに、衝撃を受けることになるでしょう。同時に、どこまでも透明な音場と音空間、スピーカーの外側まで拡がる個々の音源の定位感、高い解像力と両立した音のニュアンスの豊かさも魅力をいや増します。2曲目「クラウンとの闘い」に入り、この曲で強調されている〈AKIRA〉のメイン楽器のひとつジェゴグが登場すると、CDとの低音表現の大きな違いに驚きます。CDの低音はどちらかというと硬質かつ直線的な音色で「叩きつける」ように迫るのに対して、ウルトラディープ処理をほどこしたハイパーハイレゾファイルでは躍動感あふれる弾力たっぷりの重低音に包み込まれる、という同一録音とは思えないほどの違いが生じたのです。実は、理由がまだわからないのですが、ハイパーソニック・エフェクトが人間の音の感受性に及ぼす影響のひとつとして、おそらく誰でもすぐにわかるほど鮮明なのが、この低音の増強感なのです。曲がさらに進み、声明を主題にした「唱名」、能を主題にした「回想」に至ると、『ハイパーハイレゾ AKIRA』には CD ではほとんどあり得ない精神性の高く深い境地が確かに醸し出され、CD とはまったく次元の異なる音宇宙が拡がるのを否定できません。

 このようなもろもろの魅力に加えて、全盛期の LP レコードを思わせる耳あたりのよさが後押しして、『ハイパーハイレゾ AKIRA 2016』に「聴き始めたらもうやめられない」魔力のようなものをもたらしています。とりわけ、性能の確かな再生システムをお使いの多くの方々では、聴き進むにつれて「もっと音量を上げて聴きたい」という気分に駆られる可能性が高いことでしょう。実はこれこそ、ハイパーソニック・エフェクトの惹き起こす〈接近行動〉の現れなのです。

むすび 〈明晰判明知〉と〈暗黙知〉とを架橋する

このような限界をもった近現代科学の〈明晰判明知〉と、バリ島伝統の〈暗黙知〉 という互いに遠く隔たった知識構造、それらを架橋できるか否かに挑む「星」を背負ったのが、私たちのハイパーソニック・エフェクト研究なのかもしれません。

 この研究の端緒は、くり返し述べたように、同じアナローグ・マスターから制作した LPレコードと CD との音質が、その音楽の作曲者兼指揮者 山城祥二には互いに違って聴こえる、しかも LP の音の方が CD のそれに較べてより美しく快く感動的に聴こえて作曲意図を実現しているのに対して CD の再生音はそう聴こえてこない、という個人の主観に属する体験です。

(略)

 しかしこの「事件」は、近現代の事実上明晰判明知に限られてしまった明示知のプラットフォーム上にあるレコード産業界に発生したもので、その知識構造からすると、ハイパーソニック・エフェクトという現象は「理屈からいってありえないこと」であり、ゆえに「あってはならないこと」だったのです。さらにこのことは、CD という新しいメディアのテイクオフが至上命令になっていた業界の事情を背景に「言ってはならないこと」のカテゴリーに類別され、もしこのことを公にするならば公益に反する不健全な発言として裁かれる宿命を逃れることができません(このことは実際に起こってもいます)。

(略)

 このような窮地に立たされた山城を救出する行動に出たのが、同じ人体・人格を共有する科学者 大橋 力でした。音楽家 山城祥二と科学者 大橋 力とが同じ一人の人間だったという偶然が、この研究が現実に実行され成功を収めた最大の背景かもしれません。

 ここで大橋の採った戦略は、[生命現象全体のなかのいずこにかかわりをもつか皆目わからず客観化もたやすくできないであろう暗黙知の世界に直観的認識を残留させた状態]を確保しながら、いい換えれば、バリ島の村びとたちの脳機能体系にあるニスカラに近い立脚点、実際には、「理屈はどうであれ超高周波を含む音楽の方が美しく感動的だ」という山城の主観を一方ではそのまま保ちながら、他方では[言語性脳機能モジュールが働く記号分節性の明晰判明の知識構造を基準とした自然科学の世界へと問題を転位]させていきます。そしてこの世界のもつ精密・厳正な手続きにも並行して題材を入力する、さらに、こちらの過程では、デカルト的明晰判明のアプローチに徹する、というものです。

 

夢・アフォリズム・詩 フランツ・カフカ

 

 ほんとうに判断を下せるのは党派だけである。しかし党派である以上、党派は判断を下すことはできない。そのためにこの世には判断の可能性はない。あるのはただそのほのかな照り返しだけである。

 

 誰もが真実を見ることができるとはいえない、しかし真実で〈ある〉ことはできる。

 

 狩りに行くという口実のもとに、彼は家を出ていく。狩りに行くのだとわかっていなければ、われわれは彼を引きとめるのだが。

 

 すべての責任が君に課せられると、君はその一瞬の機会を利用して、責任の重さに屈服してしまおうとすることもできる。しかしそうしてみたまえ、君は気づくだろう、君にはなにひとつ課せられてはいなくて、君がその責任そのものなのだということを。

 

 訊ねなかったら、お前は押し戻されていただろう、訊ねたから、お前は大海原もう一つ分先へ、押し流される。

 

 鳥籠が、鳥を探しに出かけていった。

 

 悪の手に乗って自分自身を信じ込ませられないこと――そうすれば悪に対して、なにかと秘密をもつこともできるはずなのだが。

 

 お前は練習問題だ。どこをみても生徒はいない。

 

 どうやって世の中のことをうれしく思えるだろうか、そこへ逃げてゆくとき以外に?

 

 ゴールはあるが、道はない。われわれが道と呼ぶのは、ためらいのことである。

 

 悪に対して分割払いはきかないのだが、人はしょっちゅうそれを試みている。

 

 二つの可能性――自分を無限に小さくすること、それとも無限に小さく〈ある〉こと。最初のほうは完成、つまりは無為、二番目のほうは開始、つまりは行為。

 

 悪というものはときによると、こちらが気づいているかどうかは別として、道具のように手のなかにある。そのつもりになれば、苦もなく脇にどけることができる。

 

 お前が家を出て行く必要はない。じっとお前のデスクに坐って、耳を澄ますがいい。耳を澄ますこともない、ただ待つがいい。待つこともない、すっかり黙って、ひとりでいるがいい。お前の前に世界は姿を現わし、仮面を脱ぐだろう、世界はそうするほかないのだ。恍惚として、世界はお前の前で身をくねらすことだろう。

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フィボナッチの兎 偉大な発見でたどる数学の歴史

マリー=ソフィ・ジェルマン

 これまでに行われた実験の中で、 もっとも美しいもののひとつは、ドイツの物理学者エルンスト・クラドニが行った振動板上の実験だ。クラドニは金属板の上に砂を散らし、バイオリンの弓ではじいた。すぐに砂が跳ね、 クラドニ図形と呼ばれる素晴らしい模様が浮かび上がる。ほとんど魔法のようだ。

 ナポレオンもまさに魔法だと思った。1808年、クラドニが彼の目の前で金属板をかき鳴らしたときだ。皇帝ナポレオンは、何が起こっているのかを説明できる数学者に、 金1キロの賞金を与えると告げた。 しかしほとんどの数学者は歯が立たず、大金を得ることができなかった。そこでひとりの若い女性、マリー=ソフィ・ジェルマンが問題に全力で取り組み、金属が応力を受けて曲がったり跳ね返ったりする仕組みを解明し、弾性理論に大きな進歩をもたらした。

 マリー=ソフィ・ジェルマンは数学史の中でもっとも並外れて優れた人物のひとりだ。1776年、パリに生まれ、13歳のときにフランス革命を経験した。 家に閉じ込められたソフィは、 父親の書斎で見つけた数学の本に夢中になった。 しかし数学に情熱を傾ける姿勢が女性にはふさわしくないと考えた両親は彼女の暖かい服と火を取りあげて、夜に勉強するのを止めさせた。 ソフィは寝具の下で震えながら、両親が折れて許してくれるまでさらに熱心に本を読みつづけた。

 ソフィ・ジェルマンは男性名オーギュスト・ル・ブランを名乗って名門エコール・ポリテクニークに入学したが、 結局、 学科主任を務めていた偉大な数学者、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュに身元を明かさなければならなくなった。ラグランジュは彼女の数学的な能力に感銘を受け、生涯にわたる後援者となった。

 ジェルマンが困ったのは、女性ゆえに、学校の課程のいくつかを履修することが許されなかったことだ。 そのため、天賦の才能を持ちながら、 数学の基本的知識の一部を学ぶ機会を逃してしまった。 その後オイラーの研究に触発され、1811年に弾性方程式をつくりあげ、クラドニ図形の賞の審査を行っているフランスの研究所に研究成果を提出した。 しかし、唯一の応募者だったにもかかわらず、 初歩的なミスがあったために受賞はできず、賞は翌年に繰り越された。

 ラグランジュは、彼女の研究を助ける方程式を提案した。 ジェルマンは、ラグランジュの方程式が実際にいくつかクラドニ図形を生み出すことを実証できていたものの、数学的な誤りを犯した。 そんなわけで、2度目の挑戦でまたもや唯一の応募者だったジェルマンは賞を受けられず、「名誉ある言及」 を受けただけだった。

 その後、1815年に3回目の募集があり、ついにジェルマンは賞を授与された。しかし、ほろ苦い受賞だった。彼女はほかのすべての数学者が諦めた問題の答えを出し、ようやく賞をとったが、式典の直前に賞の審査員のひとりであり、 弾性理論に取り組んでいたシメオン・ポアソンがちょっとしたメモを送ってきたのだ。 ジェルマンの論文には欠陥があり、数学的な厳密さが欠けているという指摘だった。

 その後もジェルマンは弾性現象の研究をつづけ、1825年に論文を研究所に提出した。 しかし、 ポアソンらで構成される研究所の委員会はこれを無視し、55年のあいだ論文は行方不明になっていた。 最終的に論文は1880年に発表され、ジェルマンが弾性研究の歴史において重要な一歩を踏み出していたことが明らかになった。

 ジェルマンの知己のひとりだった数学者オーギュスタン=ルイ・コーシーは、ジェルマンの失われていた論文を読み、出版するように助言した。 1822年、コーシーは、 応力波が弾性材料をどのように伝わるかを示す、画期的な論文を書いた。この論文は、「連続体力学」という科学分野のはじまりを告げた。 この分野では、材料を粒子の集合ではなく、連続した物体として扱う。ジェルマンの成果がコーシーに大きな影響を与えたとしても不思議ではない。

 ジェルマンの研究はさらに、クラドニ図形が板に表れるのは、板上の振動しない部分だということを示した。 バイオリンの弓が板を振動させると、砂は徐々にいくつかの振動しない領域に向かって揺れ動き、そこにとどまって溜まっていく。これらの振動しない領域の模様は、バイオリンの弓にこすられた板がわずかに曲がる、その曲がり方によって決まる。もちろん、板が曲がるのは1度だけではない。それは、ねじれた定規のように、前後にわずかに曲がって振動する。板のわずかな歪みは、板を通過する波として広がる振動といえる。

 ジェルマンは、弾性体に伝わる波の形状に関する研究成果を総括して、次のように述べている。 「弾性体の表面上の1点で、その点における表面の主曲率半径の総和と弾性は比例する」。

(略)

 ジェルマンは晩年をフェルマーの最終定理の研究に費やした。彼女は部分的な証明のひとつを考え出し、ある種の素数も定義した。この素数は現在ソフィ・ジェルマン素数と呼ばれている。この研究は、1990年代におけるこの難問の最終的な解決に大きく貢献した。

ナイチンゲール

 大学教育から女性が排除されていた時代のイギリスで、フローレンス・ナイチンゲールは、先進的な家庭のもと、高水準の教育を受けた。 彼女が情熱をかたむけて学んだのは、数学、特に統計学だ。彼女は9歳で家庭菜園の農産物の詳細な記録をつけていた。ナイチンゲールチャールズ・バベッジなど当時の主な知識人の面識を得て、統計学の新たな領域に触れた。

 ビクトリア朝時代、印刷と通信技術が発展し、 「ビッグデータ」の収集やその分析が可能になった。 新しいデータを手間なく収集するには、データを完全に理解し、データ内のパターンを識別する、新たな数学が必要だった。

 ナイチンゲールは、 データを表す新しい方法として棒グラフと円グラフに注目し、 そして社会問題の調査にデータを使用するという新たな試みをはじめた。 彼女は、 定量的な証拠によって、政策、特に公衆衛生に関わる政策を変えられるかを模索したのだ。その頃、人道主義者たちが、女性に看護師として働くよう呼びかけているのを知った。彼女が属する階級の女性が看護師の職に就くのは珍しかった。しかし、彼女にとって看護師は自分の考えを実地に試す完璧な職業だった。1853年、彼女はハーレー通りにある婦人科病院の無給の看護師になった。翌年3月、クリミア戦争が勃発したのだ。

 戦争中、 死者の大部分は病気によるもので、死亡率はおそらく戦闘を原因とする負傷によるものの10倍に及んでいた。こうした病気の多くは予防可能だった。今日では、よりよい食生活や感染症の防止策、衛生状態の向上などに取り組めば、 多くの命が救われるのは明らかだとわかっている。しかし当時の医学界と軍の上層部にとっては明らかではなかったようだ。

 1854年11月、ナイチンゲールコンスタンティノープルのスクタリにある陸軍病院に着任した。状況は最悪だった。最初の冬に4000人を超える患者が亡くなり、彼女が後で書いたように「兵士たちは兵舎で死ぬために入隊したようなものだった」。状況の表面的なみすぼらしさではなく、ナイチンゲールはその根本的な原因、つまり管理上の混乱に気づいた。汚物と栄養失調に加えて、処置に一貫性がなく、患者には生き残るチャンスがほとんどなかったのだ。

 ナイチンゲールはすぐに体系的にデータを収集しはじめた。 標準化された医療記録、病気の一貫した分類、食事の正確な記録、幸運にも助かった患者の回復までの時間などだ。確かなデータに基づいた分析により、解決策も明らかになった。病院の徹底した「衛生改革」と看護要員の厳格な訓練だ。ナイチンゲールの在職期間中、60%だった死亡率は2%まで低下し、彼女がイギリスに英雄として帰還したときは、詩に 「ランプ (光) を手にする貴婦人」と讃えられた。しかし彼女は、手にランプではなくデータを持つ女性でもあったのだ。

(略)

[確かな証拠を集めること]にもまして難しいのがデータの分析結果をいかに表現するかである。ナイチンゲールは後者の困難を克服するために役立つグラフを考案した。それは、腰が重い政治家たちを突き動かすほど説得力のある、わかりやすいグラフだった。

(略)

視覚的で、色分けされた図は、表の数値を比べるよりはるかに人の目を引き、 かつ有益だ。実際、広範な医療改革につながった。(略)

エミー・ネーター

 100年ほど前、ある数学者が、現代物理学を形づくる定理を発見した。 それは非常に画期的な定理で、物質とエネルギーに関する新たな洞察を生み出す上で、今なお大きな役割を果たしている。その発見者は、ドイツの数学者エミー・ネーター(1882~1935年) だ。 アインシュタインはネーターを「創造的な数学の天才」と称した。それにもかかわらず彼女は、専門家の学界の外ではほとんど知られていない。

 この不十分な評価は、おそらく彼女の性別によるものだ。当時、女性数学者に対する偏見は根強く、ネーターは彼女の足を引っ張る障害にずっと直面していた。ゲッティンゲン大学で彼女はいくつもの偉大な研究成果を上げたが、大学当局は女性が数学の講義を行うのを許さず、4年間 「ダフィット・ヒルベルトの助手」として教壇に立った。彼女の数学研究は最先端のものだったため、 専門家以外には彼女の研究の意義がなかなか理解できなかった。

 1915年、アインシュタイン一般相対性理論を世界に発表した。それは非常に理解しにくい理論だったが、 それでも数年後にネーターの定理が登場したおかげで、アインシュタインの理論に開いていた大きな穴がふさがれ、物理学の保存則に関する新たな洞察を深めることになった。

(略)

 ニュートンの運動法則のひとつは、運動量保存則だ。横一列に並んだ金属球の両端の球だけが左右に振れる不思議な動きで目を楽しませてくれるニュートンのゆりかご (日本では 「カチカチ玉」とも呼ばれる) は、運動量保存則を表す格好の例だ。ほかに角運動量保存則もある。 スピンするスケーターが、腕を縮めると速度が上がるのも角運動量保存則が成り立っている証拠だ。

(略)

一方、エネルギー保存則は、19世紀以来、 自然のもっとも深遠な法則のひとつとして認識されている。これは、どんな系においてもエネルギーの総量は常に変わらないという法則だ。 (略)この法則は非常に基本的であり、どんな物理理論でも無視できないとされた。

 しかし、 アインシュタインの理論においては事実上無視されていた。

(略)

ヒルベルトとクラインは、不変量の数学の専門家の助けが必要であることに気づいた。(略)そして彼らはゲッティンゲンにいる同僚、エミー・ネーターに声をかけた。

 ネーターは物理学にまったく興味がなく、エネルギー保存則の問題を純粋に数学的な問題として捉えていた。 彼女はこの問題に、当時の最先端の数学である変換と対称性を用いて取り組んだ。変換とは、たとえば物体を拡大、回転、平行移動 (場所のみを移して他に何も変えない)したときに何が起こるかについて考える分野である。一方、複雑な代数方程式を解くために対称性 (類似した項の群) を使うという発想は、 さらに1世紀前、ガロアによって導入された。ネーターの頭脳は、代数方程式を解くために使うのと同じように、 対称性を使って保存則を探索しはじめた。

 ほどなくネーターはふたつの定理に行き着いた。そのうち2番目の定理は、一般相対性理論が特殊な事例であることを示した。 ヒルベルトとクラインが疑っていたとおりだ。エネルギーは、一般相対性理論のもとでは局所的に保存されないかもしれないが、宇宙全体では保存される。そして、真に画期的だったのは1番目の定理のほうだった。

 ネーターの1番目の定理は、すべての保存則に共通する性質があることを示した。 エネルギー、運動量、角運動量、そのほかすべてだ。すべてが対称性によってつながっているのだ。すべての保存則にはそれにかかわる対称性があり、その逆も成り立つ。ネーターの定理は、各保存則の基礎にある対称性を見つけるための方程式を提供する。エネルギー保存則には、時間の並進対称性、運動量保存則には、空間における平行移動の対称性がそれぞれ対応する。言い換えれば、これらの保存則は、物体がどちらの方向を向いても、時間をさかのぼっても同じだからこそ成り立つ。基本的な物理方程式は、空間や時間に左右されないのだ。

 ネーターの論文 「不変量の変分問題」は1918年7月23日に発表された。

(略)

 ネーターの画期的な論文以来、彼女の1番目の定理の影響力はますます大きくなっている。1970年代、物理学者はすべての既知の素粒子を、標準モデルと呼ばれる枠組みに収めた。これはネーターの定理によって組み上げられた枠組みで、対称性に依存する。対称性によってヒッグス粒子の存在が予測され、2012年に最終的に確認された。

 驚くべきことに、今日の物理学者はネーターを保存則と対称性に関する定理の発見者として崇拝しているが、その一方、数学者は、ネーターを抽象代数学へ大きな貢献をした人物として記憶している。抽象代数学は、代数的構造の全体を理論的に研究する分野だ。エミー・ネーターは、間違いなく20世紀のもっとも偉大な数学的頭脳のひとりだった。