サリンジャー 評伝 その4 暴露本

前回の続き。

三人目の妻・コリーン

AP通信 本日未明、J・D・サリンジャーの自宅が火災によって激しく損壊した。怪我は出なかった。消防署長マイク・モネットは、サリンジャー氏の妻コリーン・オニールが火事の通報を行ったと述べた。署長は、隠遁生活を送る作家が在宅であったかについて言及することを避けた。火災の原因と被害の詳細はまだ判明していない。

 

デイヴィッド・シールズ 一九九二年のことだったが、このときはじめて世間はサリンジャーの三人目の妻の存在を知ることになった。四十歳年下のコリーンは、住み込みでアメリカの家庭のベビーシッターをしていた看護学生で、一九八〇年代初頭に結婚したものの、サリンジャーと出会って文通を交わすようになり、この書き手のために夫の元を去った。

ジョイス・メイナード

シェーン・サレルノ 自叙伝『ライ麦畑の迷路を抜けて』を二百ページほど書いていたジョイス・メイナードは、十一月五日、四十五歳の誕生日にコーニッシュへ向かい、サリンジャーの家まで車を走らせ、玄関先まで歩いて上り、不安げにドアをノックした。この対面が本の結末をもたらしてくれると信じて。

(略)

ジョイス・メイナード トラックを借りてコーニッシュに向かった。サリンジャーの家までの正確な道を覚えていることに気づいて驚いたわ。丘を上って、トラックを停めた。家はびっくりするくらい何も変わっていないように見えた。昔と違ったのは屋根のうえにパラボラアンテナが載っていたくらい。菜園は冬に向けて刈り込まれていた。私は玄関のドアまで階段を上っていって、考えた。「こんな時って、すごく恐がった方がいいんじゃないかしら」。でも恐くはなかった。とても落ち着いていた。私はドアをノックした。キッチンからばたばたする音が聞こえて、それから女性の声が私に呼びかけた。「なんの御用かしら」。私は答えた。「ジェリーに会いに来たの。彼にジョイス・メイナードが来たって伝えてもらえる?」。彼女は振り向いて、窓越しに私を見てにっこり笑った。コリーンだってわかった。数年前に送ってもらった結婚式の写真に写っていた、青いタフタドレスに身を包んだベビーシッターの少女の顔だったから。今では少し老けていたけれど、それでも私より随分若かった。私はそこに立ったままで待った。(略)

ドアが開いて、そこに彼がいた。バスローブを着ていて、今でもすごく長身で、でも背中は前よりちょっと丸まっていた。髪の毛はまだ生えそろっていたけど、真っ白だった。顔には皺がめっきり増えてた。私にとって馴染みのある顔だった。でもその表情には見たことのない激しい怒り、怒りという以上の何か――憎悪――が浮かんでいた。彼は拳を振り回して言った。「そこで何をしてる?なぜ手紙を書いて寄こさなかった?」。「ジェリー、手紙ならたくさん書いたわ。あなたは決して返事をくれなかった」。彼は再び訊いた。「そこで何をしてるんだ?なぜここに来た?」。

「あなたに質問しに来たのよ、ジェリー。私はあなたの人生にとって何だったの?」。私がそう訊ねると、すでに軽蔑に満ちていた彼の顔は、もっとひどい表情になった。「君はその質問の答えに値しない」と彼は言った。「いいえ、値するはずだわ」。

 彼は下劣な暴言をまくしたてた――かつて誰よりも美しい言葉を手紙に綴ってくれたこの男から受け取った、もっとも醜い言葉だった。私のことを、浅はかで無意味な存在として生きてきたなんの価値もない人間だと彼は言った。

(略)

「君が何か書いていると聞いたんだが」と彼は言った。すごく彼らしいわ。(略)

「ええ、本を書いているのよ。私は作家なの」。

(略)

私はそれまで決して「私は作家だ」とは言わなかった。いつでも「私は書いている」という言い方をしていた。

 これは突破口だ、これで心置きなく本が書けるんだ、と思った。恥じることは何もなかった。他の人は違うように言うかもしれない。でも私は私が生きてきた物語を語っていたの。

ジョイス、君の問題は」とジェリーは言った。「君が世界を愛していることだ」。

(略)

彼がそう言ったとき、まるで彼が私をやっと解放してくれたように感じた。私にとって彼の言ったことはまったく問題じゃなかったから。「ええ。私はまさしく世界を愛しているし、世界を愛している子供をを三人育ててきたし、そのことを嬉しく思ってるわよ」と私は言った。彼はこう答えた。「君がこういう存在になるってことはずっとわかっていたとも――とるに足らない存在になるとね」。かつて私に手紙をくれて、私は本物の作家だということを決して忘れるな、違うことを言ってきた奴らのことは放っておけ、と言ってくれたのはこの男だったのに。「今度は私を食い物にしようって言うのね」。(略)

「ジェリー、この玄関先に立っている誰かが、この玄関先に立っている誰かを食い物にしたんだろうけど、どっちがどっちなのかを決めるのはあなたに任せるわ」。 私は別れを告げた。それがJ・D・サリンジャーに会う人生最後の時だったってことはよくわかってる。

 

ポール・アレクサンダー 歩き去っていく彼女に、サリンジャーは後ろから叫んだ。「私は君が誰かさえ知らん!」。

 

ジョイス・メイナード 彼が最初に私を拒絶した時以来、異なる苦悩の段階があった[と私は感じていた]。私は彼と永遠に一緒なんだって思ってた。本当にね。何年ものあいだ、彼の軽蔑と侮辱の残響を感じてた。で、余計なものがほとんどすべて取り去られたあとに残ったのは、かつて私は特別な存在で、彼に深く愛されていた、という考えだった。彼からの承認を得るために私は生きていたし、それを失うのはとてもつらいことだった。でもやがて私には、実のところ自分は唯一無二で希少価値のある存在なんかじゃなかったんだってことがわかったの。私はその他大勢のなかの一人だった。

 

ゴア・ヴィダル メイナードは被害者だったから先に文句を言う権利を持っている。彼女は一人の老人の色情の被害者であり、何であれ二人のあいだで起きたことの被害者だったんだ。誰にもわからない。誰も気にかけない。裁判においてはいつだって原告側が先に申し出る権利を持っているものだろう。だから彼女はそうした。そういうことだよ。

 

ジョイス・メイナード 二十五年のあいだ、私は何が起きたのかを話しも書きもしなかった。[批評による]攻撃は、私の本だけでなく私の人格にまで向けられていて、残忍で、きわめて個人的で、容赦がなかった。それに今でさえ――数年経ったというのに――「おや、君はサリンジャーについての本を書いた人じゃないか」って、誰からも言われずに一週間が過ぎることなんてめったにない。そう言われて怒ることは決してないわ。(略)私の返事はこう。私はJ・D・サリンジャーについての本は書いてない。自分自身についての本を書いたの。それに、J・D・サリンジャーの方が私の人生の一部になることを選んだのだし、私はもうその事実を自分の人生から締め出さないことを選んだの。

(略)

不気味なほど私の場合と似通ったかたちでJ・D・サリンジャーとの文通をしていた三人の女性からも手紙をもらったわ。そのうち一人は、彼が私との連絡を絶ってから数週間と経たないうちに文通を始めていた。それぞれのストーリーが真実であることに疑いは持ってない。彼女たちが引用していたサリンジャーの手紙の文面の数々は、私に宛てた手紙とほとんど同じだったし、その内容はどこにも公開されていないものだったから。私と同じく、彼女たちも十八歳の時にサリンジャーからアプローチを受けていた。私と同じく、彼が誰より賢い人間であり、ソウルメイトであり、運命の相手だと一度は信じた。私と同じく、最後には徹底的で破壊的な拒絶を経験した。そして私と同じく、私が今まさに受けているような非難を受けることへの恐れから、自分たちは秘密を守ることを義務づけられているんだという考えを長年保ち続けてきた。私の本は必ずしもJ・D・サリンジャーについての物語ってわけじゃないの。恥ずかしい思いについての物語であり、それから自分のパワーをより一層パワーのある年上の男性に引き渡してしまった若い女性についての物語であり、それは割合普遍的な、少なくともよくある物語なのよ。

(略)

明らかに多くの批評家たちにとって、私の人生の唯一の重要性は私が偉大な男と寝ていたことだった。

(略)

ラリサ・マクファーカー この二十五年間で、メィナードは家を買い、神経衰弱に陥りかけ、『ピピン』のサウンドトラックを聴きながら処女を喪失し、メアリー・タイラー・ムーアモハメド・アリに出会い、レイプされ、結婚し、テレビに登場し、三人の子供をもうけ、大西洋に母乳を搾り出し、ガーデニングをし、破産し、中絶し、失くした歯列矯正器具を捜してゴミの山をほじくりまわし、三冊の小説を書き、両親が離婚して死ぬのを目の当たりにし、自分自身も離婚し、別の家を買い、胸部インプラントを入れてからそれを取り出し、テニス教室に通い、財産の大部分を売り払ってニューハンプシャーからカリフォルニアに引っ越した。長年にわたって、彼女はこうしたイベントを新聞のコラムや女性誌の記事のなかで物語ってきた。

 

エリザベス・グレイック (略)「ジョイス、いつの日か、他の誰でもなく自分にとって重要だということが何よりの動機となって、語りたいと思う物語が出てくるだろう」。そうサリンジャーは彼女に[かつて言った]。「リアルだと思うもの、真実だと思うものを書くんだ」。おそらく、それがこの本なのだ。ただし、サリンジャーや多くの優れた作家たちが自分の真実をフィクションに変えて、読者にとっての新しい世界を切り拓いてきた場所で、メイナードは自分の足場に当てた小さなスポットライトの範囲を超えたものには一切光を投げ掛けなかった。(略)

 

シンシア・オジック 我々が見ているのは二人の有名人だ。片方はかつはて実質を伴う本物の作家であり芸術家であった。もう片方はいまだかつて芸術家だったことはなく、本当の中身が伴っていたこともなく、自分自身を本物の芸術家に付着させて、彼の名声を吸い出そうとする。(略)

 

ジョイス・メイナード どうしてあなたたちは一人の女性の行動にすぐさま売名行為を見出そうとするのかしら――永遠に愛すと約束を交わし、自分の元に住ませるためにすべてを投げ出すことを誓わせた三十五歳年上の男に十八歳で見初められた女が、二十五年間、彼女の物語(繰り返すけど、「彼の」じゃなくて「彼女の」よ)を書くことを控えていたのよ。それでもあなたたちは、そんな行動をとった男の方の搾取は見えないというのね。

(略)

キャサリン・マクギーガン 今、二十七年の時を経て、「ミス・メイナード」(略)が、その手紙と他十三通を、来月ニューヨークで行われるサザビーズの公開オークションに出品しようとしている。(略) サリンジャーの手紙という、なんとも貴重な品は(略)サザビーズによると(まとめて)六万ドルから八万ドルの値が付くとみられている。(略)

 手紙を売ることは現実的な判断だと彼女は言う。「私は三人の子を持つシングルマザーなので」。四十五歳のメイナードは、カリフォルニアの自宅でそう説明する。(略)

この新たな手紙は、とりわけショッキングなわけでも秘密に満ちているわけでもない。メイナードはすでにその内容を自叙伝のなかで描いている。それでも、実際にそれらの手紙を読むことは(略)喜びを与えてくれる。(略)「この手紙のなかには素晴らしい物事が詰まっています」とメィナードは言う。

(略)

 メイナードの書く文章や彼女の知性を称賛し、自分たちはソウルメイトだとほのめかすサリンジャーは、実に誘惑的である。手紙の締めくくりに、彼は「ラブ、ジェリー」と記している。才気に溢れ、敏感で、有名な作家からこんなことを言われて、聡明だが繊細な、文学的野心を持った十八歳の少女が恋に落ちないなどということがあるだろうか?

(略)

ジョン・ディーン メイナードがサリンジャーの手紙を売ろうと決めたとき、サリンジャーランダムハウス社に対して起こした訴訟があったおかげで、彼女は手紙の内容まで売ることはできないということを十分理解していたはずだ。彼女にできたのは手紙を物理的に所有する権利を売ることだけだった。彼女はそれを売るために手紙をサザビーズに手渡した。彼らが売ったのは物理的な紙だけなのだ。

(略)

フィービー・ホーバン (略)[手紙が]サリンジャーの手元に戻っているたったひとつの理由は、ソフトウェア開発者のピーター・ノートンが、これは誠実さを欠くひどい行為だと考え、自ら手紙を買ってサリンジャーに返したからだ。

(略)

マーク・ペイサー ソフトウェア界のミリオネアでありアートコレクターでもあるピーター・ノートンは先週、渋々ながら十五万六千ドルもの大金を支払い、一九七〇年代に隠遁作家サリンジャーと共に暮らした自己陶酔的な作家ジョイス・メイナードから、サリンジャーの手紙を購入した。ノートンはメイナードを批判してはいない。彼はただ、手紙によってサリンジャーのプライバシーが損なわれてしまわないように望んでいる。

今度は娘が暴露本

デイヴィッド・シールズ メイナードからの攻撃を生き延びたサリンジャーは、休むまもなくメイナードとほとんど同じ年齢の若い女性との闘いのためにギアを上げなければならなかった。相手は、娘のマーガレットである。

 

ドリーン・カルバハル (略)彼女の幼少期と父親との関係について書いた回顧録出版の準備を進めている。四十三歳のマーガレット (ペギー)・サリンジャーによって書かれたこの本には『ドリーム・キャッチャー』という仮タイトルが付けられており(略)二十五万ドル以上の前払印税が支払われた。

 

デイヴィッド・シールズ (略)[『ドリーム・キャッチャー』]には、狂信的に東洋思想を追究し、漢方薬を使い、なんらかのご利益と治癒を求めてオルゴンの箱に座り、自分の尿を飲むサリンジャーの姿が描かれている。マーガレットは、父親は自分にとってのキャッチャーではなかったと述べ、読者にとってのキャッチャーであるべきでもないと示唆している。

(略)

ディニシア・スミス (略)父親は自分を愛してくれていたが、同時に病的なまでに自己中心的だったと彼女は言う。(略)彼女の母親であるクレア・ダグラスを口汚く罵り、友人や家族に会いに行くことも認めようとせず、コーニッシュの家のなかで事実上囚人のように扱い続けたという。(略)病気を抱えた彼女が妊娠したとき、手助けを申し出るかわりに、彼女の父親は「この汚らわしい世界に子供を産み落とす権利はお前にはないのだと言った」と彼女は綴っている。「彼は私が中絶を検討することを望んでいた」。

 

ジョイス・メイナード (略)ペギーの本を読んだ。(略)

彼女は強くて、毅然としていて、ちょっと悪い子だった。(略)

J・D・サリンジャーに歯向かえる人間はそう多くないけれど、彼女はそうした。(略)文学的・学究的なタイプしゃない。バスケットボールに情熱を注ぐような女の子よ。彼女にはネイティブアメリカンのボーイフレンドがいたの。二人でカウチに座ってだらだらして、ソーダを飲んでテレビを観ていたわ。「どうしてそんなことができるの?」って思った。彼女は自分自身という人間でいられたの。

(略)

ロン・ローゼンバウム (略)

ニューハンプシャーの丘の上の避難所に身を隠しながら、サリンジャーは次々とスピリチュアルな兵器を持ち出して平和のための戦争を遂行していた。彼の娘が年代順に記録しているところによると、その兵器は以下の通りだ。「禅仏教、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派、一九五〇年代に断続的に。クリヤ・ヨガ、一九五四年から五五年。科学者キリスト教会、一九五五年から現在まで断続的。当時はダイアネティックスと呼ばれたサイエントロジー、一九五〇年代。エドガー・ケイシーの著作に関係するもの。ホメオパシー、鍼療法、一九六〇年代から現在まで。マクロビオティック、一九六六年(略)」。

(略)

 マーガレットは、ほとんど生まれた時から、父親のスピリチュアルなものへの傾倒のためにモルモットとして扱われていたと述べている。まだ幼かった頃、彼女は病気になっても医者に診てもらうことができなかったという。

(略)

デイヴィッド・シールズ 本にはマーガレットと父親が愛情いっぱいに抱き合っている写真が数多く載せられている。だがこれらの写真は、彼女が青年期を終えるよりだいぶ前で止まっている。そこでサリンジャーも、一人の女性となった少女を愛することを止めたのだ。彼女はもう汚れてしまったのだ。

(略)

ジーン・ミラー とても強い関心をもって読んだわ。ジェリーは幼い娘に、「人間の肉が焼ける匂いを決して忘れるな」と言っていた。私もかつて同じことを言われたし、それは私を動揺させた。それは彼がたえず抱えているものだった。それからマーガレットは、彼が最初の妻から手紙を受け取ったことにも言及してる。(略)

彼女から手紙を受け取って、それを開けもしなかったって私に言ってたんだから。彼はそういう人だった。彼が誰かと縁を切った時には切れるんだって、マーガレットは言っていた。それってまさしく真実だと思うわ。関係が終わったら終わりなのよ。

(略)

デイヴィッド・シールズ 王は自分自身で王国を守ることを選ばなかった。忠誠心のある歩兵を送り出したのだ。何年も前に父親の別の野心――俳優になること――を満たそうと努力していた、マシューである。

 

マシュー・サリンジャー 僕は父親のことが大好きだし、変わってほしくない。彼ともっと会えたらいいのにと本当に願ってる。父のパブリックイメージは、怒れる人々のレンズを通してフィルター処理されてしまっている。娘や元恋人やジャーナリストたちといった、インタビューすることのできない人たちのことだ。

 姉とは今は連絡を取っていないし、これからも取らないだろう。ただ、父は珍しいことにこの本によってなんの変化も起こしていない。僕の方が取り乱してしまったよ。彼はすばらしい父親だったし、とても優しい人間なんだ。僕は素敵な子供時代を送った。

(略)

 もちろん、なんらかの権威をもって彼女が意図的に何かをでっちあげたのだと言うことはできない。僕にわかるのはただ、僕は姉が描いているものとは全然違う家庭で、全然違う二人の両親に育てられたってことだ。母が姉か僕を叩いた場面なんてひとつも記憶にない。ひとつもね。それに、どんなかたちであれ父が母を「虐待」している場面というのも、ひとつも記憶にない。家のなかで唯一時々おそろしい存在だったと記憶しているのは、実際姉だけだよ(自分の本のなかで、ご都合主義的に自分を僕の親切な保護者の役として描いたのと同じ人物だ)。彼女が覚えている父は「自分の靴紐も結べなかった」というが、僕が覚えている父は、僕が結び方を学ぶ手助けをしてくれたし、具体的に、プラスチックが磨耗したらどうやって紐の端をくくりつけ直せばいいかまで教えてくれたんだ。

結論

戦争が終わって、彼の人生は何にもまして宗教的な癒やしと宗教的なアイデンティティの探究へと向かっていった。(略)一九四八年以降の彼の人生のあらゆる側面において宗教がいかに中心を占めていたかを理解することなしに、サリンジャーの考えを探ろうとすることは不可能である。(略)

不浄なる現実から遠く離れて、彼はヴェーダーンタ哲学の慰めのなかに消滅し、ますます完全に抽象的な領域へと入りこんでいった。

(略)

 戦争という悪夢を経験したのち、サリンジャーは勇敢にも再び世界に参加しようと試み、ニューヨークシティにおいて愛想のいい人間を演じたが、そのようなパフォーマンスに成功の見込みはなかった。(略)

戦争が終わって、サリンジャーの精神はいまや「輝かしい不完全さ」、「震え」、「ふらつき」といったもので満ち満ちていた。戦後のマンハッタンにおける世俗的で物質主義的な生活はグロテスクに感じられた。ニューヨークを去って田舎で孤独に生きたいというホールデンの夢――サリー・ヘイズとの逃避行――を作中に描き、とある出版パーティーの場である女性に半ば本気で雄大な田園生活に逃げ出そうと誘ったのち、一九五二年、コーニッシュに移り住み、この夢を成就する仕事にとりかかった。その土地はショッキングなほどヒュルトゲンの森と似通っていた。

(略)

彼はホールデン・コールフィールドやグラス家など架空のキャラクターを思い通りのやり方で愛したが、人間に対しては――とりわけ自分の家族に対しては――そうできなかった。(略)

クレアとのセックスは子作りに限り、彼女が妊娠した途端、彼女に嫌悪感を抱くようになった。クレアが離婚の理由に挙げたことのひとつは、夫が自分とコミュニケーションを取ろうとしないことだった。抽象的な原理への忠誠心から、彼はまるでクレアが存在していないかのように無視した。

(略)

若き日のマーガレットが急性の病にかかったとき、父親が彼女に送った手紙に入っていたのは金銭ではなく科学者キリスト教会のパンフレットだった。

(略)

マシューは従順で、うやうやしく、面倒見がよく、鑑識眼があった。現在、彼はサリンジャー遺産財団の管理者を務めている。

(略)

マシューはサリンジャーの、従順・アイビーリーグ・感越・「良家の坊ちゃん」・「東海岸部隊」を担った(略)

一九六〇年に共和党に入党した彼の父親には俗物根性があり、女性嫌いだったのだ。マーガレットはサリンジャーの、激しい憤怒・反体制・実存的迷いを担い、そこから全力で逃げ出そうとしていた。

 マーガレットは、サリンジャーがフラニーのなかに見いだして崇めていたような勇気を体現してみせた。マシューは、サリンジャー自身が現実世界において振る舞ったように振る舞った。

(略)

 ミリアム、ドリス、シルヴィア、ウーナ、ジーン、ジョイスが、それぞれ十八歳だった頃の写真を見てほしい。彼女たち全員が驚くほどよく似ていることを見逃せるはずがない。彼女たちにはそれぞれ意図や目的があったにしろ、サリンジャーの想像のなかではみな同一の女性であり、同一の少女であり、同一の癒しを与える母であり、同一の救いの天使であり、同一の第二の自我であり、同一の理想的かつ理想化された子供時代の遊び相手(むろん成熟してしまうまでのこと)だった。なぜサリンジャーは、作品中においても実人生においても、セクシャリティが芽生えつつある少女に執着し続けたのだろうか?なぜ彼の作品では、あれほど多くの男性主人公が、彼女たちの足を崇拝し抱擁することで少女への情熱を表明するのだろうか?サリンジャーが情熱を注いだのは、判断以前の身体性であり、「堕罪」以前のセクシャリティであり、ウーナ以前、戦前であった(戦後の彼は、人間の身体を損なわれたものとしてしか見ることができなかった)。少女たちは自らを苦しめる拷問台である。それを通じて彼は何度も何度も、彼の身体が欠損を抱えたものとみなされる以前、ウーナ以前、戦争によってすべての身体が彼にとって死体となってしまう以前の時間へと戻っていった。

 生涯を通じてサリンジャーは、女性になる直前の少女たちと、際限なく同じパターンを繰り返した。永遠にウーナ―チャップリン―ジェリーの三角関係を反復していた。自分と、二人目の妻クレアと、彼女の当時の夫コールマン・モックラー。自分と、メィナードと、サリンジャーが言うところの彼女が愛し、彼が愛さなかった世界。こうした女性=少女の多くは、ユダヤ人かユダヤ人のハーフ、あるいは「ユダヤ人っぽい」見た目をしていて、イノセンスを失う瀬戸際に立つイノセントな相手だった。関係を成就するやいなや、彼女たちは即座に魅力を失ってしまうどころか嫌悪感を催させるようになり、即座に彼の人生から排除されるのだった。

(略)

生涯を通じて彼は、この子供と大人のあいだの回転軸に縛りつけられていた。(略)

九十歳にして、ダーマス大学で行われる女子バスケットボールの試合観戦の常連だった。

 サリンジャージョイス・メイナードに、イェール大を退学して、ニューヨークシティにおける作家としての有望なキャリアもなげうって、コーニッシュで隠遁生活を送るよう説得した。彼女を何から救い出そうとしていたのか?経験である。彼はイノセンスに対するオブセッションを抱えていた。

 

サリンジャー 評伝 その3 『キャッチャー』は戦争小説

前回の続き。

『キャッチャー』は戦争小説

 サリンジャー最初の六章をノルマンディーのビーチに持って行き、ヒュルトゲンの森にも持ち込み、強制収容所にいたあいだも持ち続け、精神科病棟にも持ち込んだ。戦争の間中、彼は想像力のなかでその長編小説を運びつづけた。それを、もはや支えきれないような日々にもずっと彼の精神を支え、耐えきれないような日々にもずっと彼の心を耐えさせた。それは、彼と崖のあいだに立っていたのである。

(略)

 エドワード・ノートンは、「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』初体験は、ホールデンが自分の友達なんだと思うことじゃない、ホールデンは自分なんだって思うことなのさ。文字通りの意味でね」と語っている。

(略)

 ホールデン・コールフィールドは、ジェームズ・ディーンが現れる前のジェームズ・ディーンであり、「クール」以前のクールだった。

(略)

一九五七年には、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』がビート・ジェネレーションを打ち立ててもてはやされることになるのだが、ケルアックは六年遅かった。それはサリンジャーがすでに成し遂げていたことだった。ビート族はアメリカを求めて長いハイウェイをヒッチハイクで旅したが、彼らのジーンズには『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が詰め込まれていた。

(略)

「[ホールデン・コールフィールドは]郊外に暮らす白人少年たちにとってのマルコムXなんだ」と、俳優ジェイク・ジレン ホールは語った。

 

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 作家アンディ・ロジャースは異なる理論を持っている。『キャッチャー』は一九五〇年代に出版されたが、一九四○年代の小説だというのだ。戦争小説である。

(略)

ホールデン・コールフィールドは疎外されたティーンエイジャーよりも、トラウマを背負った兵士と、より多くの共通点を持っている。若者にふさわしくないホールデンの白髪はからかいと自信喪失の種になっているが、かなり明白にある事実を象徴してもいる。すなわち、ホールデンは若者の肉体のなかにいる老人であるということだ」(略)

 

 アリーの嘘くさい墓石にも雨が降っていたし、彼のおなかの上に生えている草にも雨が降っていた。

 

(略)

彼が書いたのは、社会と自分自身との戦争を行う若者についての本だ。そしてサリンジャー同様に、ホールデンは治癒するために必要だった救済を見つけ出すことができなかった。「彼[サリンジャー]を助けるためにそこにいたメンタルヘルスの専門家たちは、彼が見てきて堪えてきた恐怖の数々を物語っても、それに耳を傾けてくれない。そこでサリンジャーは、精神科病院の外に留まることを決心して家に帰り、やがて自らの症状を隠した[彼の姿を]見て大喜びする虚飾まみれの社会を目撃する」。(略)

「戦争の野蛮さ、愚かさ、残酷さ、恐ろしさは、甘ったるくて下らない会話や歌や映画へと形を変える。人々は戦争についてよく知らないどころかまるで気にしていない、という状況のなかで、戦争についての真実を指摘することに、どんな良いことがあるだろうか」。

 

 しばらくそこに座って、そういうインチキ連中がインチキな拍手をしているのを見ていると、もう世界中のすべての人間を憎んでやろうかっていうような気持ちになってくるんだよ。まったく、嘘じゃなくてさ。

 

 ホールデンの怒りに燃料をくべるのは、そういう無関心だった。

(略)

サリンジャーの異議申し立てが、もし自分自身の存在そのものとの苦闘でないとすれば、それはもはや彼のことをたえず傷つけてきた一連の経験に対してではなく、社会の意図的な無邪気さ(略)に対して行われているのである」。

 サリンシャーは、それについて直接書くことはできなかった。「文脈を変えて、戦争と関係のないような人物と状況を選んで、幅広く人々に受け入れてもらうために疎外の感覚を普遍化させなければ」ならなかった。

(略)

サリンジャープレップスクールに通う少年には二度と戻ることができない(略)だから、ホールデンサリンジャーなのであり、しかも決して戻ることのできないサリンジャーなのだ」。

 

 そのうちに僕は真剣に酔っぱらってきて、腹に銃弾をくらったっていう、しょうもない例のやつをまたやり始めた。僕はそこのバーではただ一人、腹に一発撃ち込まれた男なんだ。そこらじゅうを血だらけにしないために、上着の中に手を入れて、腹をぐっと押さえているわけさ。自分が傷ついていることさえ、まわりに気づかれちゃならない。自分が深手を負っているという事実を、僕はひた隠しにしているわけだ。

僕たちは一緒に駆け落ちするべきなんだ

ある編集者の妻 とてつもないインパクトをもつ彼の肉体的な存在感を前にして、私は心の準備ができていなかった。彼には真っ黒いオーラがあった。黒い服に身を包み、真っ黒い髪に、漆黒の瞳。それにもちろん、すごく背も高かった。彼の呪文にかかってしまったみたいだったわ。でも私には夫がいたし、妊娠していたの。私たちは語り合って、お互いのことをすごく気に入った。それから、お別れの時間になった。私は夫と別の友人夫婦と一緒にそのパーテに来ていたのよ。それで、二階に置いていたコートを取りに階段を上がった。ジェリーが部屋に入ってきたのは、ちょうどコートを手にした時だったわ。彼は私のところにやって来て、僕たちは一緒に駆け落ちするべきなんだ、と言った。「でも私、妊娠してるのよ」って言ったら、彼はこう言ったの。「そんなの問題じゃない。僕らはまだ逃げ出せる」。本当にその気でいるみたいだった。嬉しくなかったと言ったら嘘になるわ。それに多分、ちょっとばかりその気になってもいたの。

 

デイヴィッド・シールズ サリンジャーは様々な面でホールデン的だが、その少なからぬ一部は、熱狂的にのめり込み、それから姿を消すところにある。俳優の資質でもって完璧な素振りを見せながら、彼はいつでも消失を遂行する。

コーニッシュ、シャーリー・ブレイニー

エバーハート・アルセン コーニッシュは彼が避難した城だったのだろう。それが世界中のあらゆるものから彼を護ってくれていたのだ。

(略)

 

エセル・ネルソン 私は[コーニッシュに引っ越した直後の]ジェリーと一緒に遊んでいた高校生グループの一員だった。しょっちゅうジープで球技の試合に連れていってもらってたのよ。彼は単に私たちの仲間のひとりだった。誰も彼を前にしてかしこまったりなんてしてなかったと思う。もう『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を書いた後だったんだけど、私たちはそんなことも全然知らなかった。彼のことが好きだったのは、ただ彼がそこにいたがって、私たちを遊びに連れて行ってくれて、一緒にいて楽しい人だったからなの。彼はいい人だった。あの当時、他人のことに構ってくれる人なんていなかったでしょう?(略)

遠征試合に行くときはジェリーがジープに乗せてくれて、ぎゅうぎゅうに乗れるだけ乗りこんだ。(略)

 古いオープンジープで、フードもなにもついてなかった。全部がオープンで、それが楽しかった。女の子はみんな一緒に行きたがった。みんなで試合に行って、それから親の許可を得た女の子たちが何人も残って、彼と一緒にレストランで食事をするの。(略)

ウィンザーには私たちがたまり場にしてたソーダ・ファウンテンがあって、よくジェリーもそこに混ざってた。よほど若い人たちのことが好きだったみたい。ジェリーはすごくエネルギッシュで、周りにいるみんなに力を与えていた。そのエネルギーがさらに人から人に広がっていった。女の子たちは叫んだり笑ったりはしゃぎまくっていて、頭痛がするほどだった。

(略)

彼が大人だなんて考えることもなかった。実際は大人だったんだけど、でも彼はのんびりしていて、一緒にいて楽しくて、とてもハンサムで、肌もサラサラで、すごくスリムで、いつも行きたいところに快く連れて行ってくれて、まるで世界中の時間を手にしてるみたいだった。(略)

そのうちシャーリー・ブレイニーがジェリーとすごく親しくなって、何度かデートもするようになったの。

(略)

彼女は学校年鑑の編集委員だったの。高校時代、新聞の仕事もたくさんしてたから、二人には書くことへの愛という接点があった。それがシャーリーとジェリーが近付く大きな理由だったんだと思う

(略)

シャーリーはジェリーのことを真剣に考えはじめて、友達以上になりたいと思うようになった。

(略)

彼女は学校でもすごく人気があったの。美少女で、髪は美しいブロンドだった。学校の男の子たちもみんな彼女とデートしたがっていた。

(略)

シャーリー・ブレイニー 結局、彼はティーンエイジャーについての新しい小説を書いていて、私たちは彼のモルモットなんだって結論に達したわ。もちろん、私たちを見下してたとか、私たちをピンで留めてたとか、そういうことじゃないの。彼はすごく誠実だった。インチキなところはまったくなかった。ほんとに良い人なのよ。いちど私は彼に、作家になりたいと思ってる、夜は横になりながらアイデアを出そうとしてる、って言ったことがある。彼は心から共感した様子で頷いて、こう言ってくれた。「それが一番良いんだよ。忘れないように、起きてメモするようにしたらいい」。

 

ジョン・C・アンルー サリンジャーには、若者たちのイノセンスを保存しようという強い欲求があった――できる限り時を止めておきたいという欲求である。

クレア・ダグラス

ポール・アレクサンダー シャーリー・ブレイニーとの出来事の後、サリンジャーは外の世界へ出て彼のコミュニティの人間たちと再び繋がることを決めた。大人たちと友好的になるよう心がけ、招待された様々なパーティーにも赴いた。

 

シェーン・サレルノ 一九五〇年の秋、三十一歳のサリンジャーは十六歳のクレア・ダグラスと出会った。クレアはペンシルヴァニア州ブリンマーにある全寮制女子校シプリー校の最上級生だった。

(略)

マーガレット・サリンジャー パーティーに現れた彼女は驚くような美しさだった。大きな瞳で、儚げで、まるで『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーンか『恋の手ほどき』のレスリー・キャロンみたいな雰囲気があったのよ。(略)

私の両親が出会った夜、(略)彼女は深い青色のベルベットの襟がついた青い麻のドレスを着ていて、まるで野生のアヤメのように飾らずエレガントだった。

 

クレア・ダグラス ああ、あのドレスは大のお気に入りだった。(略)私の瞳の色にすごく合っていたの。人生であれより美しいドレスを着たことは一度もないわ。

 

シェーン・サレルノ (略)次の日、サリンジャーはビー・スタインに電話をかけてお礼を言い、シプリーにいるクレアの住所を尋ねた。翌週クレアはサリンジャーからの手紙を受け取った。サリンジャーはクレアが高校生だった一九五〇年から五一年の間中、クレアへの電話と手紙を欠かさなかった。

 

ポール・アレクサンダー サリンジャーはクレアを見たその瞬間に夢中になった。彼女は愛嬌があり、人当たりもよかった。魅力的な仕草のなかに可愛らしさがあり、柔和さと上品さが備わったクレアは、サリンジャーにとって実に魅力的だった。

(略)

サリンジャーは、クレアの父が非常に名の知れたイギリスの美術批評家ロバート・ラングドン・ダグラスであることを知った。興味深いことに、クレアは父と母の年がかなり離れている家庭に生まれたため、サリンジャーに心惹かれるのは、彼女にとって不自然なことではなかった。

 

デイヴィッド・シールズ クレアは著名な一族の出だった。年の離れた腹違いの兄(略)は貴族の一員となり、貴族院の議員にもなった。

(略)

サリンジャーと同じようにクレアもアイルランド系のハーフだった。

 

マーガレット・サリンジャー 母は基盤と言えるものが何もないなかで幼少時代を過ごしたの。五歳の時に修道院の寄宿学校に送られて、八つの異なる里親の元を転々として、また別の寄宿学校へ送られた。

(略)

シェーン・サレルノ クレアはよく東五十七丁目のジェリーの住まいを訪ね、彼の黒いシーツの上で夜を過ごしたが、彼らの間に性交渉はなかった。

(略)

クレア・ダグラス 黒いシーツ、黒い本棚、黒いテーブルとかそういうものは、彼の憂鬱にマッチしてたわ。彼はブラックホールにはまり、身動きもとれず、ほとんどしゃべることもできない状態に陥っていたのよ。

 

シェーン・サレルノ (略)一九五三年、サリンジャーニューハンプシャーに引っ越した後、ラドクリフ女子大学にいるクレアを訪ね、川辺を散歩しながらの長い会話のなかでクレアに求婚した。しかし、会いにくる以外のときの彼の態度はよそよそしく、彼女は見放されていると感じていた。学校を退学して一緒にコーニッシュに住んでほしいとサリンジャーに言われたとき、彼女は驚き、それを拒否した。傷ついた彼はその場を去った。クレアは取り乱し、彼と話をするために車でコーニッシュまで向かった。しかし彼はどこにもいなかった。

(略)

デイヴィッド・シールズ サリンジャーはヨーロッパで数ヶ月を過ごした。

 

シェーン・サレルノ この頃、彼はジーン・ミラーとも連絡を取り合っていた。

(略)

デイヴィッド・シールズ モックラーは病院ヘクレアを何度も訪ねた後、彼女にプロポーズをした。サリンジャーの沈黙の影響から、彼女はプロポーズを受け入れた。しかし一九五四年の夏、サリンジャーはクレアのもとを訪れた。(略)

クレアは間もなくモックラーと離婚した。ラドクリフ女子大学を卒業するまであと四ヶ月というところで、サリンジャーはクレアに、自分を取るか、大学の学位を取るかという選択を突きつけた。

 

シェーン・サレルノ クレアのサリンジャーへの感情は強いままだった。モックラーとの離婚後、クレアはサリンジャーのもとに引っ越してきた。二人は一九五五年二月十七日にヴァーモント州バーナードで結婚した。みぞれが降る二月の寒い日に、サリンジャーとクレアは法務官の立ち会いのもと結婚するため、車を走らせた。サリンジャーは結婚証明書に初婚だと記し、彼の最初の妻、シルヴィア・ヴェルターの法的な痕跡を一切消し去った。

(略)

ポール・アレクサンダー サリンジャーからクレアへの結婚プレゼントは「フラニー」の原稿だった。フラニーはクレアをモデルにしているようだ。そして、サリンジャーが描く痛々しいまでに凡庸なフラニーのボーイフレンド、レーン・クーテルの人物像は、かなりあからさまにモックラーを馬鹿にしたものだということが容易にわかる。

ニューヨーカー編集者・ウィリアム・ショーン

デイヴィッド・シールズ サリンジャーにはサリンジャー家とグラス家があったが、ウィリアム・ショーンを家長とするニューヨーカーという三番目の家族もあった。今時の言葉で言えば、彼はサリンジャーの助長者[イネーブラー]だった。彼はサリンジャーの最良の傾向(文芸への献身)を促したが、同時に最悪の傾向(忌避や退却、孤独、放棄、純潔、内面的本質、さらには沈黙に向かう傾向)を促しもした。サリンジャーはショーンのなかに、芸術的で、神経症的な心の友を見つけた。サリンジャーが彼との交流から得られる芸術的な利益を享受しているあいだ、外部から閉ざされたコーニッシュの楽園に取り残されたクレアと子供たちは、自分たちでなんとかやりくりする以外になかった。そこはサリンジャーが他人のためではなく自分のためにつくった場所だった。

 

ロジャー・エンジェル サリンジャーが初めて[ニューヨーカーに]やって来たときは、ガス・ロブラノ[とウィリアム・マックスウェル]が担当だった。しかし、[ロブラノが亡くなった後]ウィリアム・ショーンが引き継いだんだ。(略)私が小説部に来たとき、ショーン以外の部署内の編集者は誰もサリンジャーとやり取りをしていなかったよ。

 

ベン・ヤゴダ ショーンの職業的地位を高めたのは第二次世界大戦だった。ショーンは戦争を利用して、洗練されたユーモア雑誌からシリアスな記事を発行する雑誌へとニューヨーカーを変えた。そのひとつの到達点がジョン・ハーシーの「ヒロシマ」という記事の掲載だ。ニューヨーカーは、この記事のためにひとつの号をまるまる充てたのである。この企画の中心となったのがショーンだった。彼はハーシーとともにアイデアを練り、一冊まるまる使って取り上げるべきだと主張して、編集を行い、印刷にまでこぎつけた。そのことによってニューヨーカー内と文芸界におけるショーンの地位は向上した。

 

トーマス・クンケル ショーンは作家になりたかった人だから、作家の精神というものを大抵の人よりもずっと深く理解することができた。彼は作家たちが成そうとしていること、それがいかに大変であるかということを理解していたし、どうすればそれを出版できるかという術を知ってもいた。

 

スコット・バーグ ショーンは人前に出たり名が知られたりすることを好まず、作家が書くものを無私無欲で出版しようとした。そして、作家が編集者を必要とするのは本がすべて書き上がったときではなく、実際に執筆している最中であることが多いということを知っていた。ショーンはサリンジャーの右腕となった。

 

ヴェド・メータ ショーンはニューヨーカー内のどんな些細なことにも関わりを持った。J・D・サリン ジャーは天才だらけの家族について書いていたが、ある意味ニューヨーカーの雰囲気は拡大サリンジャー一家といった感じだったよ。ショーン氏は賢い父の役割を引き受けるのは嫌がっていたが、十九階の賢い兄といった感じだった。人は彼にどんなことでも助言を求めた。(略)

ショーンは決してうわさ話をしなかった。(略)

彼は、たぶんJ・D・サリンジャーを除いて、僕が知る限り最も秘密を守る人物だった。

 

ローレンス・ウェシュラー 世界で一番恐がりの男がいるとしよう。彼は周りがすべて水で囲まれた町に住み、橋や、トンネル、バス、リムジン、ヘリコプター、飛行機、フェリーなど、すべてを恐れている。彼はその島から外に出ていくことはできないが、世界で一番好奇心の強い男でもある。彼は何もかも、誰もかも、どんな場所でも知りたいと思っている。で、この男が何かの偶然で無限の富を手に入れることになったとしよう。すると彼は人々を連れて来て、彼の代わりに外に送り出す。(略)「行ってこい――どんなに長くかかっても、そこがどんな場所かを書いて送ってくれ。人々がどんなことを言い、感じているのか、どのように生活しているのか、何を不安に思っているのか――すべてを書いてよこしてくれ。完璧に、鮮明に、まるで私が自分でそこへ行ったかのように鮮明に書いてくれ」。そして男は毎週彼らの手紙やレポートをひとつに綴じ、自分だけのための、小さな私用の雑誌を作る。他の皆は男の肩越しにそれを読もうとする(男は気にならないし、ほとんど気がつきもしない)。ウィリアム・ショーンの下で働くっていうのはこんな感じだ。彼はまさしくニューヨーカーそのものだったんだ。

(略)

トーマス・クンケル ショーンは非常に決まりきった日常生活のパターンを持っている人だった。決まった種類の鉛筆でのみ編集をした。彼には風変わりなところが多くあったが、それが彼の本質的な部分だった。作家たちが彼にとてもよく反応した理由のひとつは、彼の不安定さや病的なまでの恐怖心に、人間味がちらりと見えたからだと思う。

 

ポール・アレクサンダー ショーンは毎日アルゴンキンにランチに出かけ、コーンフレークを注文した。

 

ベン・ヤゴダ 夏の間、ショーンはウールのスーツ、セーター、オーバーコートという格好だった。死ぬまでの五十年間で、ニューヨークを離れたことはたった一度しかない。シカゴにいる家族を訪ねるためだった。内向的な性格で、インタビューを受けたことは一度もなかった。人生のすべてがニューヨーカーと自分の作家たちのことばかりで、死ぬまでそうだった。オフィスの外には二人の従業員がいて、予期せず人がオフィスに入ることを防いでいた。

 

トム・ウルフ ショーンはアタッシェケースを携えて四十三丁目のニューヨーカーのビルに出勤していたんだ。ビルに入るや否や、オペレーターがエレベーターの入り口を手で塞いで、他の誰もなかに入れないようにした。ショーンはエレベーターで彼のオフィスへ上がっていく。アタッシェケースのなかには手斧が入っていた。階の途中でエレベーターが動かなくなった場合に手斧で脱出することができるようにってね。殺されるには悪くない方法だよ。それがショーンの性格だったのさ。

 

トーマス・クンケル ニューヨーカーの編集スタイルは様々な点において強迫観念的といえるものだった。編集者は――とりわけショーンは――どこにカンマを置くか、ここにダッシュは必要かどうかというところまで手を抜かずに真剣になった。作家は数えきれない質問に答えなければならなかった。ただひたすら、何度も何度もゲラの繰り返しだった。

 最後の校正者が、カンマが必要だと思う場所を見つけた。彼はマックスウェルのところへ行き、マックスウェルはそれを見て「確かに、カンマが必要に思える」と言った。二人はサリンジャーに連絡をとることができなかったため、先立ってカンマを入れた。小説が世に出たとき、サリンジャーがそのカンマについてふさぎ込んでいて、決して忘れなかったとマックスウェルは語った。マックスウェルは、「その後二度と、本人と話さずにサリンジャーの小説に句読点を付け加えることはしなかったよ」と言っていた。

次回に続く。

 

サリンジャー 評伝 その2 ジーン・ミラー14歳

前回の続き。

サリンジャーのアドバイス

マイケル・クラークソン (略)

[サリンジャーに手紙を渡そうとすると]

「だが私はつらいんだ。この二十五年、こういうことが何度もあってうんざりしてる。(略)

他人を助けられるような助言なんて誰にもできやしない。誰もがそれぞれの道をゆくしかない。はっきりしてるのは、私はただの子持ちの父親ということだけだ。運転してる息子を見ただろ。私は君のような問題を抱えた人を助けるためにここにいるんじゃない。教師でも予言者でもないんだ。(略)

枕の下に置いて寝れば、目が覚めたとき優れた作家になっているような魔法の二十五セントをあげることはできない。誰かに書き方を教えようとするのは、目が見えない人が目が見えない人を導くようなものだ。孤独を感じるとき、ものを書くといくらか癒されるという効果がある。色々な人のものを読むことをおすすめするよ。事実は書くな。自分の経験に溶け込ませるんだ。物語は注意深く組み立てろ。性急な結論は出すな。批判やくだらん心理分析は気にしすぎるな」。

 それで円満に別れて、私はカナダに帰ったんだ。

ヘミングウェイに会う

[パリ解放]

レイラ・ハドリー・ルース ヘミングウェイサリンジャーの憧れだった。サリンジャーヘミングウェイの書き方を愛してたの。ホテルでヘミングウェイが暮らす部屋まで上っていって、サリンジャーは作品への敬意を伝えた。

 

カルロス・ベイカー サリンジャーは、ヘミングウェイが友好的で、寛大で、名が知れていてもいばるところがなく、作品に垣間見える厳しさや激しさとは反対に「柔らかい」人であると感じた。二人はとても気が合ったようで、ヘミングウェイは進んでサリンジャーのいくつかの作品を検討したりした。

(略)

ショーン・ヘミングウェイ サリンジャーは、第二次世界大戦について書いた「最後の休暇の最後の日」が載っているサタデー・イヴニング・ポストを一部持ってきていた。祖父は、若い兵士としてのサリンジャーに感銘を受けただけでなく、彼の書いたものにも同じだけ感銘を受けていたんだ。

(略)

エバーハート・アルセン ヘミングウェイは誰かに「すごいぞ、彼はとんでもない才能を持ってる」と言ったとされている。おそらくサリンジャーの耳にも入っただろうし、彼はいたく喜んだに違いない。

(略)

カルロス・ベイカー サリンジャーは少しの高揚とともに部隊へ戻った。

(略)

A・スコット・バーグ ヘミングウェイサリンジャーに多大な影響を与えたが、主に文体に関して影響を与えたのではないかと思う。ヘミングウェイは彼のいう「氷山の理論」に従って執筆することに自信を持っていた。その理論は「午後の死」で初めて言及され、それからいくつかのインタビューや本でも紹介されている。彼は言う。もし作家が自分の書いている主題を熟知しているなら、物語中のいくつかの出来事は省いて構わない。それどころか、何かを省略するたびに、物語は強化されていくのだ。彼はそのことを、八分の七が水面下に隠れて頂上しか見ることのできない氷山にたとえている。何かを省けば、そのたびに水面下の氷山は強固なものとなり、読者により良い読書体験を与えることになる。なぜなら[読者は]基本的に、自らの想像の裡にある映画を再生しながら物語を追いかけていくからだ。

 当然、逆の帰結ももたらされる。ヘミングウェイは、もし作家がよく考えもせず何かを省略したら、読者はすぐそれに気づき、物語に大きな穴があくとも言っている。

 サリンジャーは氷山の理論の優れた実践者のひとりだ。彼はそれをとても上手く行っている。彼の物語には余白があると同時に、すべての言葉が自らの手によって選ばれているように感じる。

(略)

 もうずっと言われているように、ヘミングウェイは他の誰よりも二十世紀のアメリカの文体に影響を与えた人物で、初めは短編において、その後『日はまた昇る』においてより一層、読む者に新たなスタイルと新たな声をもたらした。この鍛え抜かれ削ぎ落とされた新しい文体は実に広く普及した。ヘミングウェイは、二十世紀のどんな作家よりも多くの模倣者を、多くの質の悪い模倣者を生んだ。サリンジャーヘミングウェイを模倣したとまでは言わないが、彼からリズムやいくつかの技術を学んだのだろう。

倒錯の森

 ヒュルトゲンの森の戦いはサリンジャーと第四歩兵師団に計り知れない打撃を与える。アメリカ軍の犠牲者はふくれあがった。

(略)

 もしアメリカ軍が渓谷に降り立っていたならば、ドイツ軍はダムへ向かって南へ迂回しながら進んだかもしれない。ダムのない森は無価値だが、森のないダムは貴重だ。しかし大将たちは何を勘違いしたのか、森へと向かっていったんだ。

 こうしてヒュルトゲンの森の戦いは、犯罪的とも呼べるほどきわめて愚かな失策とともに始まった。

 

エドワード・G・ミラー (略)連合軍の楽観が、この戦いを決断させた。ノルマンディーでの予期せぬ成功が、第一軍の第七軍団(と残りの連合軍)の兵士たちに、相手は瀕死だと思い込ませていた。

(略)

ワーナー・クリーマン (略)ドイツ軍はあらゆる道を把握し、頭上の木を爆破して枝を落とし兵士を殺すための砲弾を用意していた。あのミッションは、私からすれば、自殺行為だった。

(略)

アレックス・カーショウ ドイツ軍は木の爆発を利用した。八十八ミリ砲弾が木のてっぺんで爆発するようにヒューズを調節していたのだ。爆発によって、砕け散った樹木や高温の爆弾の無数の破片が次から次へと降り注いだ。

 

レイモンド・G・バートン少将 密集する高い木々、急な坂、道なき道といった自然の障壁に加えて、その区域には地雷原や有刺鉄線や仕掛け爆弾が敵の手によって何週間も前から配置されていたんだ。降り続く雨と雪、それから凍てつく寒さによって我々の作戦はことごとく阻害された。塹壕足炎と低体温症による連隊の犠牲者は、爆撃での犠牲者と同じくらい多かった。

 

アレックス・カーショウ そこは肉処理工場と言われていた。なぜならあまりに多くのアメリカ兵が道に倒れていたからだ。一メートルごとにひとりは倒れて死んでいた。

冬の死者たち

ダニー・S・パーカー 早朝のことだった。経験豊富なドイツの歩兵隊が、エヒテルナハの両側から第十二歩兵連隊に侵攻してきたんだ。

 

アレックス・カーショウ 最も激しい戦闘のあいだ、サリンジャーの仲間たちは凍死を怖れてたこつぼで眠りにつくこともできなかった。それはナチスドイツ最後の大きなあがきであり、アメリカ兵はその攻撃の矢面に立たされながら耐えていた。

 

ジョン・トランド バルジの戦いはアメリカがそれまでに経験したなかで最大の激戦だった。そして、厳寒の冬に行われた唯一の大きな戦闘でもあった。その規模はスターリングラード の戦いにも匹敵する――百万人以上の兵士と何千人という市民が巻き込まれたのだ。第二次世界大戦のほかの作戦と異なり、今回はすべてがアドルフ・ヒトラーによって考え出されたものだった。ヒトラーによる最後の猛攻であり、最後の大きな賭けだった。

(略)

アレックス・カーショウ 突然、抗いようもなく、サリンジャーの第十二歩兵連隊を含めたアメリカの分遣隊は、下は十五歳、上は六十歳ほどの敵と戦うことになった。ヒトラーはその戦いにすべてを注ぎ込んだ――大量の兵器と物資が東部戦線からアルデンヌに持ち込まれた。ヒトラーにとって、これが主導権を握り思惑通り戦争を終結させる最後のチャンスだったからだ。ヒュルトゲンの森の戦いを生き抜いたサリンジャーら第十二歩兵連隊の者たちは孤立していた。約五十五キロにわたる前線に散らばっていたためである。その孤立は、ドイツ軍の攻撃の激しさと相まって恐怖を生んだ。もしも我々の部隊が陥落したら、もしも戦況が悪化して敵に完全な制圧を許すことになったら、Dデーで得たものはすべて覆され、この戦争の行方もひっくり返ってしまうのではないか。 ヒュルトゲンの亡霊が再び現れた。師団がまるごと敵に包囲されてしまうのだろうか。

(略)

デボラ・ダッシュ・ムーア 雪と霧と恐ろしい寒さのなか、サリンジャーの第十二歩兵連隊を含む多くの部隊が、ドイツ軍による戦線への突撃によって突然分断されてしまった。

(略)

アレックス・カーショウ  (略)まる一ヶ月間、サリンジャーの第四師団は、この戦争のなかでもとりわけ熾烈で血にまみれた作戦を戦い抜いた。

まだ燃えている

アレックス・カーショウ 一九四五年の春に、ドイツの強制収容所に入ったとき、J・D・サリンジャーナチス政権の純然たる悪を目撃した最初のアメリカ人の一人となった。想像を絶する恐怖を目にしたことだろう。そこにあったのは、うずたかく積み上げられた焼死体の山だった。

(略)

ロバート・アブズグ 手入れの行き届いた美しいドイツの村を歩いて抜けると、道の終わりに、死体が積み重なった地獄のような収容所があった。

(略)

エバーハート・アルセン サリンジャーはカウフェリンクの強制収容所で目撃したものを決して文章にしなかったが、それは彼の人生と作品に染み渡っている。

(略)

J・D・サリンジャー どれだけ長く生きても、あの燃える人肉のにおいが鼻から完全に消えることはないだろう。

 

ジーン・ミラー 彼は戦争や自身の戦争経験については話さなかった。ひとつだけ私に言ったのは、燃える人肉のにおいは忘れられないってことだった。

(略)

アレックス・カーショウ サリンジャーが目を向けると、生存者たちは服従するように頭を下げた。まるで打ちのめされた犬のようだった。撃たれたり、殺されたり、打ちのめされたりするのを恐れて、他人の目を見ることができないのだ。

ゲイ・タリーズトム・ウルフ

ゲイ・タリーズ 若きアメリカ人の本物の声が、初めて印刷されたページのうえに姿を現したんだって感じたよ。それはボブ・ディランビートルズの歌詞とか、モータウンの音楽なんかがのちに表現するようになるパワーと歌声をすべて持っていた。すべてに先駆けてたんだ。このひとりの男、つまりサリンジャーがね。口づてに噂は駆け巡った。当時は地方部編集室にいたんだけど、休憩でカフェテリアにいるとき、誰かが話してるのが聞こえてきた。「聞いたか?サリンジャーっていう……」。

(略)

フィリップ・ロスもアップダイクもドン・デリーロも、誰もこんなことにはならなかった。夕食の半分が[サリンジャーの作品の]議論に費やされたんだ。それがまさしくそのとき起きてたことだよ。ヴィレッジのチャムリーズでもみんなサリンジャーの話をしてたし、それからたぶん、金持ち連中は古いスポーツバーのトゥーツ・ショーズなんかで同じことをしてたんじゃないかな。彼はこの星に現れたまったく新しい人間だった。すっかり僕らの心を奪っていったんだ。

 

マーク・ウェインガーデン 多くの同時代の作家たちがその作品に圧倒された。チーヴァーは、とんでもない大傑作だと評した。

(略)

トム・ウルフ 彼のスタイルは本当に伝染しやすいんだ。実のところ、「カラフルにギラギラ輝く流線型の女の子(The Kandy-Kolored Tangerine-Flake Streamline Baby)」という私が最初に雑誌に書いた作品にもちょっとばかりその影響が見てとれるだろう。彼の文章をきわめて独特のものにしていた要素のひとつは、「もし君が本当のことを知りたいっていうんなら、それはこういうことだった」というような、会話のなかで使うちょっとした表現を繰り返し用いたことだった。ふつうは編集で削られるが、彼の場合はそうならなかったのさ。

ジーン・ミラー

 サリンジャーは一四歳の少女ジーン・ミラーと出会い、その後五年にわたって、文通とデートと誘惑を続ける。同じ反復が生涯を通じて繰り返される――賛美される無垢[イノセンス]、誘惑される無垢、放棄される無垢。サリンジャーは花開こうという年齢の少女たちに取り憑かれている。(略)そして花が開くと、それを責めずにいられないのである。

(略)

ジーン・ミラー 私たち家族はデイトナ・ビーチにいて、私はシェラトンホテルのちょっと混み合ったプールに座ってた。(略)一九四九年の一月か二月のことだった。(略)冬にはいつも家族でフロリダに行っていたの。そこの小さな私立学校に八時から十三時まで三、四ヶ月通って、午後はたいていビーチかプールのそばで、本を読んだり宿題をしたりしていたわ。『嵐が丘』を読んでいたら、一人の男が「ヒースクリフはどう?彼はどうしてる?」って話しかけてきた。(略)

彼のほうを向のいてこう答えた。「ヒースクリフは問題を抱えてる」。

 私は彼を見た。長くて素敵な角張った顔に、深く悲しみに沈んだ目をしてた。タオル地のバスローブを着ていて、脚はとても白くて、顔色もとても青白かった。

(略)

彼は老けて見えた。全然話を止めようとしないから、私も本を置いたの。会話を始めると、さらに熱がこもるようになった。次から次へと彼の頭のなかをいろんな話題が流れていくみたいだったわ。自分は作家で、ニューヨーカーでいくつか短編を発表してるんだってことも話してくれて、そのことを何よりも誇らしく思ってるようだった。

 私たちはずいぶん長いことそこに座って話をしたわ。最後に私の歳を訊かれたから、十四歳だって答えた。彼のしかめ面をすごくはっきり覚えてる。僕は三十歳だって彼は言ったの。一月一日が誕生日だから、見方によってはまだ三十歳になったばかりなんだよって強調してたわね。二十代をたったいま終えたばかりだって。彼には気の利いたユーモアのセンスがあって、すごく愉快だったわ。私たちは長い時間一緒にいたんだけど、私がその場を去るときになって、彼はジェリーって名乗った。私には彼が何者なのか見当もつかなかった。次の日も彼に会って、それから二人で散歩をするようになった。古びた埠頭に歩いていって、ベンチを見つけたら風の吹かないところに座って、ポップコーンやアイスクリームを食べて、おしゃべりをした。カモメにポップコーンをあげたりもした。彼はとても楽しんでいたわ。埠頭まで、とてもゆっくり歩いていったの。(略)十日くらい、毎日そうやって午後を過ごした。ジェリーは右耳がかなり悪かった。戦争のせいなんだと思うわ。(略)

私はいつもビーチで何度か側転をして、それからさっと海に入っていたの。彼はそれが好きだった。直接的と言ってもいいような、かぎりなく完璧に近い瞬間だって感じてたんじゃないかしら。もしかしたら、これまでに味わったことのない瞬間だったのかもしれない。そういう完璧な瞬間は、彼の憂鬱や、戦争の苦悩を遠ざけた。私の子供っぽさから喜びを得てるみたいだった。十四歳の私の軽率で純真無垢なところに、彼は魅かれていたんだと思う。彼はとても背が高くて痩せていた。たくましかったかはわからないけど、優雅だったわ。着るものにも気を遣っていた。いつもきちっとして見えた。本当にかっこよかった。それが一番の魅力というわけではないけれど、彼はとてもかっこよかったの。

 ジェリー・サリンジャーは、人の話を聞くとき、その人がこの世で一番重要な人であるかのように聞いた。私の言うことに真剣に興味を持ってくれていると思えた、はじめての大人だった。私を一人前の人間だと見なしてちゃんと話を聞いてくれる大人なんて他にいなかった。ジェリーは私の意見に興味を持った。私に関するすべてに興味を持ってくれた。家族のことや学校のこと、どんな遊びをしてるのかを知りたがった。どんな作家を読んで、何を勉強しているのかを知りたがった。神を信じているかどうかを知りたがった。女優になりたいかどうかなんてこともね。

(略)

シェーン・サレルノ 一九四六年、デイトナシェラトンホテルで、サリンジャーは最初の妻シルヴィアと別れた。一九四九年、デイトナシェラトンホテルで十四歳の少女ジーン・ミラーへの求愛をはじめた。一九七二年、デイトナシェラトンホテルでジョイス・メイナードと別れた。「バナナフィッシュ」 はおそらくデイトナシェラトンを舞台にしている。彼はたびたびシーモアの自殺の舞台に戻ってくるのだ。

「娘さんと結婚します」

ジーン・ミラー (略)彼はウーナ・オニールのことをすごく愛おしそうに話していたわ。自然であるっていうことはジェリーにとってすごく大切なことだったの。彼女には気取ったところもなくて、ほとんど子供みたいだったそうよ。それがすごく印象的だったみたい。ウーナ・オニールが本当にそうだったのか、ジェリーがそう思っていただけか、私にはわからない。だけど彼は、もう彼女と会うことはなかったにせよ、明らかに彼女を愛していたわ。彼女のことをずっと素敵だと思ってた、というのが私の印象ね。彼の声に恨むようなところはまったくなかった。彼女と過ごしたときのエピソードもいくつか話してくれたわ。

 最初の奥さんのこともいろいろ聞いた。

(略)

 戦争の話はしてくれなかったわ。

 彼とビーチで散歩することを、母はよく思っていなかった。彼女はジェリーがJ・D・サリンジャーだって気づいてた。ニューヨーカーを読んでいて、「彼はまるでシーモアみたい」とも言っていたわ。

(略)

 埠頭にいるときがいちばん気楽で楽しい時間だった。(略)だいぶ後になって、彼は「君をあの埠頭にずっといさせられたらよかったのに」と言ったわ。

(略)

 彼は子供時代の無垢や純粋さを追い求めていた。それは禅が捉えようとしてるものでもあった。子供がそうするように、完全に全身全霊でもって、目の前の瞬間のなかに生きること。それが真に安らかな状態なのよ。

(略)

最後の日になって、ジェリーはお守りに小さな白い象をくれた。それから「もう二度と会えないとしても、君の幸運を祈ってるよ」と言ってくれた。「お別れのキスをしたいけど、それはできないからね」とも。(略)

別れる前に彼は私の母のところに行って、シェラトンのロビーでこう言ったの。「娘さんと結婚します」

(略)

 私はよく前庭でソフトボールをした。彼は私がヒットを何本打って、三振をいくつしたか知りたがった。私の年頃の子が大好きだった。手紙や電話でテニスのバックハンドの指導をしてくれた。文学的な人間にはなってほしくなかったみたい。私が幼いころ夢中になったことについてなんかを聞きたがった。

 

J・D・サリンジャー(「笑い男」)

 

 メアリー・ハドソンは三塁ベースから僕に手を振った。僕も振り返した。思わず振れてしまう自分の手を、止めようとしても無理な相談だっただろう。バッティングの見事さは措くとしても、彼女は三塁ベースから誰かに手を振るすべを心得ている女性だったのだ。

 (略)

ずっと後になるまで、私たちのあいだに肉体的なものの兆候はまったくなかった。コーニッシュに行ってたときも、夜は同じベッドで過ごした。私がこっち、彼が向こう。(略)それが紛れもない真実よ。性別を超えた関係だった。友達であり、親友だったの。セックスはそこに入り込まなかった。

(略)

 あるとき(略)一緒に本屋に行ったの。私は『チャタレイ夫人の恋人』をためらいがちに手に取った。彼は私を見て、「それは読みたくないだろ」と言ったわ。私はすぐに戻した。彼はとても禁欲的だった。子供らしくあることを楽しんでいた。大人を特に嫌ってた。彼に頼まれれば、三歳くらいだったとしても彼とそういう関係になっただろうけど、彼はそうしなかった。とにかくそれは起こらなかったの。彼に起こらない限り、私にも起こらなかった。

別れ

ジーン・ミラー あるとき、一緒に住まないかと言われたことがあるの。(略)

両親にすごく干渉されてたから、一緒に住むなんてできるはずがなかった。それでも彼と一緒に住むことを考えてはみたのよ。やっぱりあそこでは絶対に生きられないと思った。何度か行ったことがあったから、私に何が求められているかはわかってた。たくさんの骨の折れる仕事よ。でも私は、あまりに甘やかされて育っていた。あまりに自分のことばかり考えてたから、その誘いを真剣に受け止めることができなかった。

 私はジェリーのことを崇めはじめてた。崇めるという言葉は強すぎるかもしれないけど、私はまだ若かったからそうなってしまったんだと思う。(略)

力強くて、立派な心。人間性の強度。正と誤についての考え方。物事の見方。とても説得力のある人だった。人のうわさ話をすることもなかった。そういうところに惹かれたの。

(略)

 自分の本当のもろさについて、彼は何も言わなかったわ。ものすごく近い関係ではなかったから。夫に対して感じたように、彼とひとつになって世界に立ち向かっているようには感じなかった。彼に対しては畏怖の念があったの。うまく口がきけなかった。いつもびくびくしてた。彼は上にいて、私は下にいた。私の何が彼の心を動かしたのか、本当にわからないのよ。

 ジェリー・サリンジャーが思い出す私はいつでもあのディトナ・ビーチの少女だったけれど、私は変わりはじめていた。

(略)

 私はもう少女から若い女性になっていた。成熟するにつれて彼への気持ちも成熟していった。彼は私を実際以上に利口だと考えていたんだと思う。本当の私が馬鹿だっていうことじゃないけれど、彼が思っていたような繊細な人間ではなかったっていうことなのよ。それは感覚的にわかってた。それに、そうなろうとしても無駄だったの。私は女で、自分をいちばん良く見せようとしていたし、彼に会うときは特にいちばん良く振る舞おうとしたわ。

(略)

 彼がはじめて私を見たとき、私は年上の女性と話しながらあくびをこらえていたらしいわ――それはエズメが物語のなかで聖歌隊で歌ってるときにすることなの。私に会っていなかったら「エズメ」は書けなかったって彼は言ってた。

 それでも私に恋をしているとは決して言わなかったわ。私に会いにニューヨークに来ようとはあまりしなかった。自分に約束を課したんだって手紙に書いていた。

(略)

 あの年月、彼は子供としての私を楽しんでいたんだと思う。私がそれを変えてしまった。私たちはタクシーの後部座席にいて、私は彼のほうを向いてキスをした。とても自然なことだった。彼にキスしたかったから、キスをしたの。私はゴーサインを出してたけど(略)彼からそれがやって来ることはなかった。もしかしたらあったのかもしれないけど、私が先にやったの。(略)

 タクシーでのキスの少しあと、週末にモントリオールへ行った。(略)記憶に焼き付いているのは、レストランにとても恥ずかしそうで居心地の悪そうなかわいらしい女の子がいたことよ。ジェリーが彼女についてあれこれ言っていたのを覚えてる。

(略)

 私たちは部屋に上がって、ベッドへ向かった。私は処女だということを伝えたけど、彼はそれをよく思わなかった。その責任を負いたくなかったんだと思う。私の通過儀礼が済んで、次の日、私たちは飛行機でボストンに戻った。そこから私はニューヨークへ、彼はニューハンプシャー州ウェスト・レバノンヘ別々に帰る予定だった。どういうわけか、ボストンへのフライト中、彼は自分の接続便がキャンセルになると知ったらしくて、それで私は午後も一緒に楽しい時間を過ごせるんだと思って喜んで笑った。そのとき私は彼の顔にベールがかかるのを見たの。彼の顔を見ると、そこにあったのは恐怖と苦痛だった。それはぞっとするような表情で、それがすべてを伝えていた。終わったんだってわかったわ。あの台座から落ちたんだってわかった。

(略)

受け入れるほかなかった。彼は突然私がインチキ[フォニー]だと気付いたんだと思う。(略)私は処女だったし、それを彼に言ってなかったから。突然彼は私をまったく違うふうに見始めたの。

(略)

 一九五五年、私は再びデイトナにいた。オーシャン・ルームで、ダンスをしていた。ふと窓の外を見ると、ジェリー・サリンジャーがあの美しい女の子と一緒にいたの。結婚している感じに見えた。結婚してるにしろ、してないにしろ、とにかく彼らは一緒にいた。とびきり美しいカップルだった。彼はとてもかっこいい男性だった。彼女はかわいらしい女性だった。

 二人は歩いていた。プールの上の通路で、とてもくつろいでいるように見えた。夕食後に散歩にきたんだとすぐにわかった。熱狂的に幸せそうだったとは言えないわ。腕を組んでいたわけではないけど、不幸せにも見えなかった。気心の合った感じだった。(略)

次の日、メインストリートを車で通ると、彼がかつて私と行ったバーから出てくるのが見えた。彼と私の父が一緒に飲みに通っていた場所で、彼の二番目の妻になるクレア・サリンジャーが彼の腕に寄り添っていたわ。

 私がどう感じたか?いい気持ちはしなかったけど、それについてどうこうする気力もなかった。彼を見たのはそれが最後だった。あの窓に彼を見たとき、私はショックを受けた。彼も私を見たの。それはわかってる。目が合ったのよ。彼は私を見た。そして次に私が目を向けたとき、彼はいなくなっていたわ。

(略)

 ジェリー・サリンジャーが誰かと関係を終えるときは、文字通りの終わりなの。彼が完全に私の人生から出て行ったことはわかっていた。私は彼を敬愛していて、私たちは素晴らしい五年間を過ごした。そのことにとても感謝してる。彼を知れたことにとても感謝してる。彼は私を変えたけど、当時の私はまだわかっていなかった。

次回に続く。