〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

 

「場」とは何か

 [「二重スリットの実験」で説明]

 写真の乾板を用意し、そのまえに光を遮る衝立を置く。ただし、その衝立には二本の細いスリットを開けておくとしよう。そこに弱い光を当ててみる。すると乾板は、ポツポツとまばらに、そして点状に感光していく。ところがこれを繰り返していくと、初めまったく無秩序にみえていた感光点の分布は、しだいにはっきりとした縞模様として立ち現われてくる。

 古典的な光の理論によるなら、光は波なので、全体にうっすらと縞状に感光しそうなものである。しかし、そうはならず、ポツポツとまばらに感光する。どこに感光するかは、予測がつかない。にもかかわらず、それを蓄積していくと、全体のパターンとしては縞模様が現われてくる。これが「光は粒子であり波動である」と一般に言われる所以である。

(略)

「光はまず粒子としてあって、その粒子一つ一つの着弾点は予測がつかないが、それを積み重ねていくと、統計的に言えば波動のパターンが現われる」(略)

多くの物理学者も、さしあたり「そう言っても問題はない」と思っている。ところが、「粒子である」ということを、あまりにも額面通りに受け止めてしまうと、困惑するような事態が至るところで起こるのである。

(略)

[スリットの一方を塞ぐと]縞模様は現われず、スリットに近いところは密度が高く、遠くなるにしたがってまばらになっていくような単純な感光のパターンが現われてくる。

 これはとても不思議なことである。

(略)

もし光が粒子であるとすれば、一つの粒子は、一方のスリットを通るはずであり、他方のスリットがふさがれているかいないかは、関係がないはずである。

(略)

ということは、ここまでの推論のどこかがおかしいということである。

(略)

あたかも光の粒が、発射されるときにすでに、一方のスリットがふさがれているか否かをあらかじめ知っているかのようなのである。

(略)

そこで浮かび上がってくるのが、「場」の概念である。

(略)

つまり「粒子」はもはや額面通りに「粒子」として受け取ることはできず、「場」の方から捉えなおされねばならないのである(この場合の「場」は「量子場」と呼ばれる)。要するに、もはや主人公は粒子ではなく、主役の座は「場」の方に移ってくる。

(略)

「場」というのはそもそも何なのだろうか?

「動いているとは」とはどういうことか 

日常では、見ている人に対して、何かの空間的な位置が変化していくことを言うだろう。この点を極端に言うなら、つねに止まっているのは自分の視点で、それに対して世界の一切の風景は動いてゆく、とも考えられる。

(略)

「動いている」ということの基本は、「私にとって動いている」ということである。もちろんその「私」は、絶対的に固定しうるものではなく、「それぞれの、そのつどの私」にならざるをえない。それゆえ、いいかえるなら、「動いている」ということは、「誰かにとって動いている」ということである。ここで先ほどの荷電粒子と磁場の話に戻ろう。

(略)

荷電粒子に対して動いている人にとっては磁場があり、止まっている人にとっては磁場がないということを、いかなる事実も否定することなしに、矛盾なく理解するためには、特権的な観測者を想定するのではなく、「どの観測者から見るか」という点を含めた変換の理論が必要になる。それがすなわち相対性理論なのである。

(略)

要するに、「いつでも誰にとっても、つまりどのような観測者にとっても同じようにある」というあり方が、「物」についての素朴な見方であるのに対して、「場」(いまの場合は電磁場)において問題になっているのは、「誰がどのようにそれを見るかによって変わってくる」ようなあり方である。そのような見方の転換が、相対性理論において行われているのである。

(略)

「観測者から独立である」という恒常性から、「観測者をも考慮に入れた変換規則の恒常性」の方に、力点が移っている。まさにこれが相対性理論の核心の一つである。

 ここから逆に、「観測者から独立である」とされる「物」のあり方は、それほど自明なのか、とあらためて問うことができる。

 答えは「活動」として与えられる

[コラム]

 本節で述べたことは、物理学者の実感にも沿うものである。ある高名な物理学者は、講義の中で「場とは何か」を説明しようとして言葉に詰まり、しばらく沈黙した後、「場ですね」と言うよりほかなかった、というエピソードがある。実際に、「場とは何か」という問いに対する答えは、定義としてではなく、「活動」として与えられる。

(略)

しかし、だからといって「場についてあれこれ思案しても仕方がない」というきわめて一般的な傾向を正当化するものではない。まさにこういう点に関する無反省が、一方では経験とか測定可能性ということを軽視する傾向(「理論の内部で辻褄が合えばよい」という傾向――多くの場合それさえも保証されているとは言いがたいのだが――)を物理学の内部にもたらしており、また他方では「物理的現実」の学であるはずの物理学を単なる計算手段としてのみ位置づける傾向(「実験データと計算結果が合えばよい」という傾向)を招来している。理論的な整合性や、実験と計算の符合が重要でないというわけではもちろんないが、それらがそもそも意味をもつのはなぜか、という問いを消去することはできない。それなしには、物理学そのものが意味を失ってしまうからである。

粒子の実体論

 一方には粒子概念を実体として保持したいという人々がおり、彼らにとっては量子論というのはある種の神秘であって、その神秘を説明するために、ある種神話的なものを導入してみたり、人間の意識の役割を過剰に称揚してみたりといった傾向が厳然としてある。

 たとえば、二重スリットの実験で言えば、光の粒はずっと光の粒なのだが、「それにもかかわらず」、「両方のスリットを同時に通過する」のであり、この粒子は、人間が関わるまでは、「不思議な重ね合わせ」という仕方で、ずっとどこにでも遍在しているのだが、人間が測定することによって、突如として「重ね合わせ」が消えて一点に収縮すると説明される。この「不思議なもの」は何なのか、と問うならば、このような説明を採る人々は、「とても理解しにくいかもしれないが、でも粒子なのだ」というのではないか。その他の実験においても、「粒子が一つ一つ飛んでいく」という描像を前提しなければ、そもそも理解できないような仕方で、実験自体の説明がなされている。「どういう実験なのか」を理解するために、もうすでに、ある種実体化された粒子の表象を前提ないし共有することを強いられるのである。

 だが、実際は、そういう実体化された粒子の描像では理解できない出来事についての実験なのだから、結果が「パラドクシカル」に見えるのは当然である。前提されている現実の描像自体を問題として吟味せずに、あたかも自然自体がパラドクシカルであるかのように述べ立てるのは、自然そのものをいたずらに神秘化することにほかならない。それでも、量子力学の数学的理論によって実験結果と計算が合うというこの一点を根提として、その「神秘」が「科学的に証明された」と称しているのである。「自然の神秘」を称揚するのも、直観不可能な「数学的証明」を賛美することも、理解の努力を途中で止めてしまうという点では、同じ傾向を示している。

場の実体論

 他方には、こういった傾向全体に嫌気がさして、「こうした考え方が出てくるのは、要するに粒子を実体と考えているからであって、本当の実体は場なのだ」と考える人たちも少なくない。(略)

実際、場の理論の立場に立てば、先ほどの二重スリットの実験で「両方のスリットを同時に通過する」と言われていたことにしても、水の波(水面の振動)が局在しているわけではないということ以上の直観が必要になるわけではない。水の波は複雑な障害を全体として乗り越えるだろう。同様に光が場として捉えうるということ自体は、まったく自明とは言えないが、もしそう考えてよいなら、「両方のスリットを同時に通過する」と言われていたことは、決して不自然なことではない。

 このように、粒子の立場に立つと「神秘的」に見えることが、場の立場からは合理的な自然のあり方として理解できるようになる。しかも、現代の場の理論は、一見すると、形式的には大変綺麗に整っているように見え、そこには先ほど述べたような神秘めかした解釈など少しも必要ないかのようにも見える。

(略)

 さらにもっと明らかで根本的な問題は、場の立場に立つにしても、粒子的な現象(たとえば二重スリットの感光)が点状であるという事実、しかも、点のでき方が決定論的ではないという事実を説明できなければならないということである。そこでは通常ボルンの確率解釈を通じて、場の理論と粒子的な現象(感光)の確率分布との対応をつける。ボルンの確率解釈とは何かというと、場の強度と粒子の発見確率との間に相関関係があるということである。

 さて、そうすると、確率「解釈」という言葉からもわかるとおり、まさにここには解釈があるのであって、先ほど思われたほど場の一元論の立場に立つことによって、すべての問題が解決するわけではないことが見えてくる。「粒子」などといったものにかかずらう必要なく、「場という実体だけを相手にしていればよい」ということには必ずしもならないのである。

(略)

こういうと、「それは観測という(人間が関わる)特殊な出来事に関する場の振舞いの問題であって、〈なまの現実〉とでも言うべきものは、それとは関係がない」と言う人もいるかもしれない。実際、理論家のなかにはそう言って済ませてしまう人さえもいる。たとえば、自然は場の理論の言葉で語っているのに、人間にはそれが理解できないため、確率というようなものを導入して、人間が理解できるように現実を一つの射影の形に落とし込んで理解しているにすぎないというのである。つまり、この考えの背後には、「人間が現実を確率的に理解するということは、まさに人間が引き起こしていることなのであって、自然はそれには無関心である。自然自体は賽を振らず、偶然性を含まない」という考えが潜んでいる。ではその「偶然性を含まない現実」についてどうやって知るのか?やはり具体的な現象に関する実験を通して知るほかない。それら一切の現象ならびに「あまりに人間的な」実験を超えた「現実」を想定するなら、それはある種の不可知論ないし「神話」にコミットしていることになるだろう。

(略)

 粒子の実体論も、場の実体論も、つきつめれば、現にある現象そのもの(略)から遊離した、不自然な考え方に陥る。これに対して、より自然な仕方で、現象に即した考え方はないのだろうか。

「現われているけれども、つかめないことがある」

「場」の概念の考察を通じてわれわれが導かれたのは、「現われているけれども、つかめないことがある」という洞察である。しかも、「本来はできるが、たまたま事実的な制約によってできない」というのではなく(略)

自然そのものの核心的な何か、さらにいえば、「現実」一般の核心的なあり方に関わっていると考えられるのである。

 このような考え方の転換を明確に理解するためには、代数学における「文字」の概念の発展を振り返ることが有益である。代数学における文字は、周知のとおり未知数として登場した。たとえば、未知な一片の長さであるとか、未知なものの重さであるとか、である。それは本当は決まっている。だがわれわれは知らない。そこでこれを仮に「x」といった文字で表し、式変形を通じて、その正体を明らかにしようとする。これが未知数としての文字の役割であった。

 ところが、この式変形において、「その正体が何か」を抜きにして操作できるということから、むしろ「その正体が何でもよいもの」=「変数」としての文字概念へと導かれる。これが「関数」という概念を考える基礎となり、近代の科学の基盤となった。しかしここでも、「値」というものは、不可欠のものと考えられていた。すなわち、文字はいろいろな値を取りうるものとして考えられるのである。しかし、これはさらに、そもそも値というものがあらかじめ定まっていないようなあり方を扱う可能性を開いた。これが現代の代数学でいう「不定元」としての文字概念にほかならない。それ自体はそもそも値というものをあらかじめもっていない。ある状況が設定されたとき、場合に応じて「値を取りうる」のである。これはまさに、場が「粒子になる」というあり方(あるいはむしろ「なり方」)と類比的である。

 いや、むしろ「類比的である」というのでは足りないかもしれない。まず歴史的にいえば、現代の代数学(そこでは不定元の概念が当然のように現われる)によってはじめて量子論の数学的な基礎づけがなされたのであり、不定元という考え抜きに量子場を考えることはそもそも不可能である。(略)さらにいえば、「場」とは、自然の認識における不定元であるのではないか。それこそが「場とは何か」というわれわれの問いに対する一つの答え方ではないのか。

(略)

 現実の世界では決まっているものを、数学の世界では「仮に」「不定」と見なして、思考のなかで様々なヴァリエーションを考慮に入れ、それらの一般構造を考える、というのではない。むしろ、自然そのものが、根本的に「決まっていない」もの、「不定元」的なものとして姿を現わしてきている。量子論は、このような考え方の転換をわれわれに促している。ここでは、「数学の世界は〈仮想〉〈仮定〉の世界であり、それとは別に〈現実〉の世界がある」という考えが、もはや維持しえない。むしろ、「現実」というものが一つの「形をとる」ということ、つまり究極的にいえば「現われる」ということが、不定元を用いる数字によってまさしく表現されている。

 ここで「数学」という言葉を完成された体系という狭い意味で理解するなら、この言い方はおかしな言い方に見えるかもしれない。しかし、われわれが主張したいのは、「数学」とは本来このようなものなのだ、ということでもある。つまり、「数学」というものの核心には、どこまでも「不定」なものがあり、眼を逸らすことなく、それをどこまでも「不定なもの」として持ちこたえ続けることが、まさしく数学を数学たらしめているとわれわれは考えるのである。そしてそれが、ほかならぬ「現実」そのものの本質的な現われ方でもある、ということを主張したいのである。

 現代物理学が迫る思考上の革命

二重スリットの実験から出発して、「現実」が単なる粒子としての実体でもないし、場としての実体でもないということを示した。それでは「現実」とはいったい何なのか、という問いに対して、「現実」を「不定元」として考えるという見方が示された。現実を不定元と見なすと単に「便利」であるというのではない。単に方法上の操作であるというわけではなく、現実がまさに不定元として現われていると言った方がよい。「不定元」という考え方は、歴史的には数学のなかで現われてきたものであるが、それはそもそも現実そのもののあり方を形として表現するものだったのである。

 われわれがここまで議論してきたような、現代物理学が迫る思考上の革命は、われわれの現実観を大きく転換させるものであったが、その転換の姿が、「不定元」を核心とする数学の姿とそのまま重なるということは、われわれの数学観もまた、大きな転換を迫られているということである。

[ここまでで64頁(全266頁中)]

 

音楽を感じろ 二ール・ヤングの闘い

第1章 ニール・ヤング

なによりも大きな意味のあること

どんどん後退する音質に、激怒!

一九六〇年代から七〇年代にかけて、オーディオ機器が発達し、高品質のレコード盤やテープレコーダーが登場したことで、家庭でもいい音で音楽を聴けるようになった。

(略)

八〇年代初頭(略)コンパクトディスク(CD)の登場でデジタル音楽を聴くことができるようになったとき、わたしは興奮した。これでやっと、レコード盤につきもののプツッ、パチッという雑音も針の擦過音もなくなるぞ、と思ったのだ。

(略)

新しいデジタル機器で再生したCDの音を聴いた。三時間後、わたしは自分の耳に殺されそうになっていた。耳のなかがじんじんと鳴り、痛くてたまらなかった。なにかがおかしいとはじめて気づいたのはあのときだ。

(略)

CDはたしかに便利ではあるものの、レコードやカセットテープなどの先祖にくらべて、音質の点では劣っていた。

(略)

あのときから現在まで、われわれは繰り返し後退を体験している。つまり、新しいフォーマットが出てくるたびに、それまでのものより音が悪くなっていくのだ。

 まったく意味がわからない。フォーマットが次々に変わるのは歓迎されない。同じコンテンツを何度も買い直さなければならないからだ。しかも、同じコンテンツを買ったら、それまでのものより品質が悪かった、などということが起きたら? 最悪だ!わたしが思うに、ほんとうに必要なフォーマットは一種類だけであり、その一種類は最高のものであるべきだ――可能な限り。

(略)

 劣悪な音を受け入れる風潮は業界中に広がり、軌道修正することはますます難しくなっている。人々は質の悪い音に慣れ、本来の音楽の響きを知ることはない。高品質の音が求められなくなり、音響機器の会社は傾く一方で、アーティストは以前より低い音質で作品を作るようになった。音響機器の会社が軒並みつぶれてしまえば、いい音を再生する機器は手に入らなくなる。いうなれば、オーディオ業界全体を沈下させる、底辺への競争だ。

 

 ほかのデジタルコンテンツでは、このような質の悪化現象は起きていない――オーディオだけだ。デジタル画像や動画の進歩はめざましい。

(略)

 オーディオがそうはならなかったのはなぜだろう。なにかがおかしい。わたしはアーティストだから、スタジオで聴く音と同じ音をファンに聴いてほしいと思っている。

(略)

 レコード会社は、音がいいというだけでハイレゾストリーミングにはそれ以外のものよりはるかに高額の楽曲使用料を課したがる。ハイレゾで音楽を配信しようが、レコード会社の金銭的な負担が増すわけではない。必要なのは帯域幅だけだ。消費者が払う帯域幅のコストはあっというまに安くなった。それなのに、粗悪な音で音楽を聴くコストより、良質な音で音楽を聴くコストのほうが高くなるのは当然なのだろうか?

(略)

レコード会社はハイレゾストリーミングには高額な楽曲使用料を課すが、その根拠はなにもない。

(略)

品質の出し惜しみをしながら販売価格を吊りあげれば、だれもそんなものは買わないだろうに、なぜそんなことをするのか?

(略)

少し前を振り返れば、レコードもカセットテープもだいたい同じ値段で売っていたことを思い出すだろう。

(略)

 手頃な価格で高音質の音源が手に入れば、ストリーミング会社はそれを配信し、だれもがよりよい音楽を聴き、感じるようになる。そして世界はいまよりはるかに楽しく、よい場所になるだろう。

 音楽とテクノロジーの業界をないがしろにする論拠のひとつに、大多数の人には微妙な音の差などわからないのだからわざわざ手をかける必要はない、というものがある。わたしの反論はシンプルだ。

(略)

聞き分けられる人もいるし、聞き分けられない人もいるというだけのことだ。コストが変わらないのなら、ガタガタいうことはないだろう?

(略)

音楽が聞こえない人、音質の差がわからない人がいるからといって、微細な音を消していいわけがない。聞き取れる人には聞こえるようにするのが当たり前だ。

第2章 フィル・ベイカ

音質に関する一考察

 では、低音質の音楽ファイルでは聞こえないが、ハイレゾなら聞こえるものとはなんだろう?それは、空間の広さ、音場の広がりだ。ハイレゾなら、トライアングルやギターの弦が発する倍音や、徐々に消えていく余韻を聴き、感じることができる。音楽はわれわれの感覚に作用する。音波は耳に入り、ほかの体の部分にも届く。微細な音が脳を刺激して、過去のできごとをよみがえらせることすらある。

 わたしはPONOの第一試作機を自宅へ持ち帰り、[合唱団員の]妻のジェインに聴いてみてほしいと頼んだ。

(略)

「リハーサルや演奏会でステージに立って自分のパートを歌ったり、オーケストラの間奏を聴いたりするとき、それぞれの楽器の混じりけのない音が聞こえるの。それだけでなく、サウンドを豊かにするオーケストラの倍音も。それから、わたしたちはよくシンフォニーホールや大聖堂のような、アコースティックな会場で歌うけれど、そういう場所では、ヴェルディのレクイエムやバッハのミサ曲ロ短調のように精緻な作品が会場の音響効果でより美しく聞こえる。

 家でこんなにいい音を聴いたのははじめてよ――抜群によかった。ゆうべPONOプレイヤーとあなたのオーデジーのヘッドフォンで、合唱曲や交響曲を聴いてみたの。ロバータ・フラックの『やさしく歌って』とか、現代の曲も。びっくりするくらい、サウンドが澄んでいて豊かだった。

第3章 ニール・ヤング

音楽が失われつつあることに

どうして気づいたか

 CDの音は、最高のクオリティのデジタルの音にはまったくかなわない。CDでは、オリジナルのアナログ録音でとらえられたデータのおよそ七五パーセントが削除され(略)オリジナルとは似て非なるものが残る。MP3ストリーミングのクオリティはもっとひどく、元データの九五パーセントが取り除かれる。

 一方で、保管庫に収蔵されているアナログテープは、使用されることなくしまいこまれているだけで劣化していく。

(略)

アナログのマスターテープを聴いたり、コピーを作ったりする場合、慎重に保管庫から取り出し、加熱処理し、巻き戻し、慎重にほかのメディアにダビングするのだが、テープの劣化を防ぐために、再生が許されるのはせいぜい二度までだ。ぐずぐずしていると、一日ごとにその作業は難しくなり、やがてテープはぼろぼろになってしまう。だから、音楽の歴史の消失を防ぐために、ハイレゾのデジタルコピーを作ることが重要なのだ。大きなレコード会社には保管の専門家やマスタリングエンジニアがいるので、技術はまだ残っている。それなのになぜ、オリジナルのアナログ音源からハイレゾのデジタルコピーを作らないのか? 技術はある。だが彼らは、音源を保存することに歴史的な意義がある、というだけでは経費をかけようとしない。売るという目的がなければ動かない。

ふたつの障害

 第一の障害は、レコード会社がハイレゾ音源にはCDやMP3の二倍から三倍という法外な値段をつけるため、市場がないことだ。そのような価格設定で楽曲を提供できるストリーミング会社はないし、消費者も手を出しにくい。(略)

だれも買わなければ、再生機器もないので、ハイレゾ音源は生産されない。

 第二の障害は、消費者のもっとも身近にある再生機器が携帯電話であるという事実だ。(略)

現時点では、携帯電話でハイレゾの音楽ファイルを再生するには(略)DACを接続しなければならない。

デジタルとアナログのはっきりとした違い

アナログとデジタルを交互にかけるうちに――音楽を頭で分析するのではなく、魂で聴けば――アナログのほうに傾くだろう。どうしたってアナログのほうが満足できるのは、サウンドを丸ごと身体に伝えてくれるからだ。魂に伝えてくれるからだ。それこそが音楽の魔法だ。

(略)

[『リアクター』を]ハイレゾストリーミング用に、192キロヘルツのデジタルヴァージョンにリマスタリングすることになり、アナログの原盤を聴いた。(略)最高のデジタル品質だ。音はすばらしいし、便利だった――が、オリジナルとは別物だった。

テープはどんどん駄目になる

[アナログ時代]マスターテープを作るためのトラックダウンには時間をかけなかった。アナログテープはたちまち劣化しはじめるからだ。最初に聴いたときはすばらしい音でも、繰り返し再生機器のヘッドの上を通るうちにテープは劣化する。機器を完璧に調整していても、音の一部を拭い取ってしまい、テープはどんどんだめになってしまう。わたしは経験上知っているが、リミックスを翌日にした場合、機器の状態が完璧でなければ、三度四度と聴きなおしたのちに、あれ、ゆうべ作った最初のラフと聴きくらべてみよう、と思うようになる。あげく、今日作ったもののなかに、ゆうべ聴いたものが残っていないことがわかる。たったいま完成した改良版より、ラフのほうがずっといい音がするのだ。われわれの作業のやり方がまずかったからではない。テープを何度もヘッドの上で走らせたせいだ。わたしがオリジナルの“ラフミックス”を何本も用意していたのは、あとでリミックスするときに魔法を取り戻せないからだ。
(略)
わたしはアナログでレコーディングし、音をアナログからデジタルへ直接移行させた。最初からデジタルでレコーディングし、それぞれの結果をくらべてみることもした。結局、長い目で見れば、アナログのほうがいい音だとわかる。『リアクター』のレコード盤を作ったときもそうだった。まるで夜と昼のように違い、192キロヘルツ/ビットのデジタルよりいい音がする。ほんとうにすごいのだ。音楽に没頭する。耳を傾ける。身体に音がみなぎる。本物だ。消毒された貯水槽の水ではなく、自然に湧き出る泉の水を飲むようなものだ。なにも損なわれていない。そこが違う。

 アナログ原盤は日々劣化していく

オリジナルのアナログ原盤が消失してしまう前に、コピーを作ることが急務だ。あと数十年もすれば、コピーを作ることができなくなる。失われたものの大きさに気づいたときには手遅れで、二度と取り戻せない。しかし、レコード会社はクズを売りつづけ、ハイレゾに法外な値段をつける。
(略)
高音質のコンテンツが売れず、入手も難しいとなれば(略)

ハードウェアのメーカーは、ハイレゾ音源を再生する製品を作りたがらない。

 そしてそのあいだずっと、アナログ原盤は保管庫にしまいこまれたまま、日々劣化し(略)

マスターテープはほとんど生き物のようなものだ。年を取り、寿命がある。世話をしなければ、死んでしまう。水をやらなければ枯れてしまう花と同じだ。

(略)

 わたしがNYAのウェブサイトでやっているのはそれだ。解像度にかかわらず、デジタル音源を一律一ドル二十九セントで配布している。MP3だろうが、192キロヘルツ/4ビットのデジタルだろうが、変わらない。すべて同じ値段だ。

ティーヴ・ジョブズ

iPhoneの電子回路はデジタル音楽ファイルを再生するのに充分ではなかった。(略)

 まず考案したのが、iPhoneに接続する平らな箱型の機器だ。改良したDACとアンプ、大量の音楽ファイルを保存するための大容量のメモリを内蔵する。(略)

しかし、このアドオンを製品化するには、アップルの協力を得られるかどうかが鍵となる。

(略)

ティーヴ・ジョブズと会ったことがあるので、アップルの反応は予測できた。ジョブズ自身はハイレゾのよさを認め、アナログレコードを愛好していたが、自社製品でハイレゾを再生することに興味はなく、それが音楽の退化の一因にもなっていた。顧客はMP3のクオリティにまったく不満を抱いていないと、彼はわたしの目の前でいいきった。自身のために採用する基準と、顧客のために採用する基準を区別していたのだ。ジョブズによれば、“われわれは消費者視線の企業”ということらしい。

第9章 ニール・ヤング

アーティストによる

アーティストのためのPONO

 DRM 拝金主義と音楽

 われわれはもうひとつ重要な取り決めをした。それは、PONOで売る音楽ファイルにコピープロテクションをかけないということだ。

(略)

 結局、DRMは失敗だった。ナップスターのような企業は、シェアサイトを作るなど、逃げる方法を編み出した。いつでもどこでも思いどおりに音楽を楽しむためにきちんと金を払っている音楽ファンが、購入した音源を手持ちの機器で再生できないなどということもあった。写真をコピーするように、音楽ファイルをコピーして別の機器で聴くこともできなかった。金を出してくれる顧客をなによりも傷つけ、犯罪者扱いしたDRMは、業界に大打撃を与えた。そもそも、音楽を盗んで複製する連中を根絶するのは不可能だ。財産権泥棒はデジタル時代とは切っても切れない問題だ。ありがたいことに、この世は泥棒ばかりではないけれど。

 第12章 フィル・ベイカ

新しい目標を目指して

 チャーリー・ハンセンはアンプやプリアンプ、DACなど、世界有数の高級オーディオ機器を作ったすばらしい設計者だった。彼の作った機器には、一万ドルで販売されているものもある。

 彼は音質に情熱を傾ける本物の天才で、オーディオ機器の設計やマーケティングの方法について、世間とは逆行する考え方の持ち主だった。とくに、多くのハードウェアメーカーが音質よりスペックに注力するのを批判していた。製品を作る際には、たとえば音量調節のデザインや反応など、ほかの人が気にしないような点までこだわった。

(略)

 携帯機器専用の低電力DACのなかでも最高級のものを選び、増幅回路はほかのプレイヤーのように既製品を使うのではなく、部品から作るのだと、ハンセンはいった――彼がそれまでオーディオマニア向け製品でやってきたことだ。アンプのデザインは音質を左右する非常に大事な要素なのに、ほとんどの会社は考え違いをしているというのが、彼の持論だった。

(略)

そして、彼が設計したほかの製品と同じく、フィードバックループは使わない。普通の製品には、出力信号を測定して入力信号を制御するフィードバックループが使われているが、ハンセンはこれが音質を劣化させる要因だと考えていた。そのほか、高級オーディオ機器にしか使われていないバランス駆動を採用する。これは、2チャンネルの音声信号をそれぞれ独立したヘッドフォンジャックへ流すもので、よりクリアな音で再生できる。

第14章 フィル・ベイカ

キックスターターから大量生産へのドライブ

 キックスターターからの支援金はありがたかったが、多くの義務がともなった。「六百二十万ドルを集めた」というのは正確ではない。そう、キックスターターとアマゾンに手数料などを支払い、手元に残った五百六十万ドルで納期までに一万五千台のPONOプレイヤーを支援者に届ける義務を果たさなければならない。

 見積もりでは、プレイヤーの大量生産にかかるコストと支援者への配送料を合計すると、一台につきおよそ二百ドル、合計で三百万ドル程度になりそうだった。残りの二百六十万ドルで開発を仕上げて生産に入り、市場に出す。わたしは、集まった支援金を“キックスターター・ドル”と呼ぶことにした。われわれの六百二十万キックスターター・ドルは、実質的には二百六十万ドルであり、その使い途はすでに決まっている――それでも、価値のある金だ。われわれの努力を後押ししてくれる熱心な支援者たちとともに、前に進めるのだから。

 第16章 フィル・ベイカ

PONOミュージックストアを作る

 ニールが構想していたミュージックストアは(略)ハイレゾ音源に特化したものだった。どのアルバムも一種類だけ、もっとも高音質のものを販売する

(略)

ニールはさらに独創的なアイデアを出した。そのうちひとつが“PONOプロミス”だ。これは、現在ハイレゾ版がないアルバム(略)が、のちにハイレゾで手に入るようになったら、無料でアップグレードする、というものだ。

(略)

彼は、PONOのユーザーに同じアルバムを二度買わせてはならないと、断固として主張した。また、ユーザーとの関係を活用し、どんなアルバムのハイレゾ版が求められているか、レコード会社にフィードバックすべきだとも考えていた。

 レコード会社にアップグレードのコストを負担してほしかったが、拒絶されたので、PONOが引き受けた。ニールはこの問題についてとくに熱心だった。同じアルバムのヴァージョン違いが何度も発売されるのはレコード会社の販売戦略であり、消費者を怒らせ、アーティストも信頼を失うだけだと、ニールは知っていた。音楽ファンは、過去に買ったアルバムだろうが、繰り返し買わされるはめになる。ビニール盤を買い、カセットテープを買い、あげくのはてにCDを買わされた。

 第21章 ニール・ヤング

自動車とハイレゾ

 リンカーンのチームが、構想中のオーディオシステムについて説明した。彼らによれば、すごいものになるらしい。(略)

自動車は速く走るから、スピーカーは“時間的調整”機能のあるものでなければならない、とか。車が走る速度に合わせてスピーカーを調整し、ちょうどいいタイミングで後部座席に音が届くようにするとか、そのような話だった。

(略)

純正主義者のわたしから見れば、まったく胡散くさい話だった。第一に、車の走るスピードは音速にはほど遠いのだから、車の前部から後部へ届く音に時差があるはずがない。第二に、余分なコンポーネントは音を汚すと、わたしは感じていた。(略)初っ端から潤った音がする。彼らはこれが進歩だと考えているようだが、アイデアもコンセプトも、わたしにはほとんど無意味なものに思えた。

 わたしの考えでは、最良の音質を確保するには、信号処理はたった一度だけ、スピーカーで鳴らすためにデジタル信号をアナログへ変換するだけでいい。ほんとうにいいものを取り去り、大量の安価なDACと低コストのデジタル増幅チップを車のあちこちに置き、それが“最新機能”だといって値段をつりあげる。性能のいいDAC一個で高音質のアナログアンプに音を送るほうが、はるかに低コストでいい音を聴けるのに。

(略)

多くのデジタル処理を重ねて、防音室で録音したものをあたかもコンサートホールで録ったかのように加工したり、低音部を増幅して響かせたり、いろいろなことができるが、いい音を作れるわけではない。余分なコンポーネントは音を劣化させ、人工的にするだけだ。システムでクソを磨いている。だから、現代の新しい車のオーディオは以前の車にくらべていい音がしない。デジタル処理のやり過ぎだ。

 ほんとうに奇妙なことだ。わたしは昔から車のなかでAMラジオを聴いていたが、いまの新しい車よりも音楽から多くのものを聴き取ることができた。

もっと本物の音を。もっと音楽を。もっと友情を。

(略)

 なにを聴いても雑音がする!

 テストカーを運転しながら彼らのサウンドシステムを試聴していると、なにかがおかしいことに気づいた。なにかが音を濁らせている。彼らに質問すると、実際は四気筒エンジンの車なのに、力強さを演出するために八気筒エンジンの音を鳴らして本物のエンジン音を隠しているのだという。

 わたしはそのとき、自分が直面している問題の大きさを思い知った。

 正気の沙汰ではない。こんなことで音のクオリティが向上するものか。

テスラ

 オーディオについて勘違いしているのはフォードだけではなかった。わたしは、テスラのイーロン・マスクにもこの話をした。わたしは、テスラの車にPONOを搭載してほしかった。

(略)

 最初にこの話をしたとき、イーロンは、うちの車はデジタルマシンだといった。つまり、彼もテスラのエンジニアも最新機能が大好きだということだ。デジタルが可能にするなめらかな操作性が好きなのだ。携帯電話を運転するようなものだ。

(略)

 「アナログアンプを使ってPONOを接続するだけでいいんだ!」わたしはいった。とにかく彼にPONOの音を聴かせ、感じてほしかった。

 だが、イーロンは、わたしが“デモンストレーション”のなかでPONOをケーブルで接続するといったことに当惑した。「いや、ケーブルは使えないんですよ」簡単な試聴をするのにケーブルが必要というだけで、彼は完全にわたしの話に興味を失った。

 彼がここまで愚かだったとは信じられない。話はこれで終わらなかった。わたしの見たところ、彼は自分がすでにすばらしいオーディオ作りをしていると思いこみ、わたしを追い払いたがっていた。

(略)

 イーロンは何度もいった。「うちの車は最高です。あらゆる賞を獲っている。最高のサウンドだ」

 わたしはつづけた。「ああ、最高のサウンドというのは、MP3プレイヤーのことか?冗談だろう」

(略)

イーロンにわたしの真意は通じなかった。似たような人はいくらでもいる。エレクトロニクスには詳しい、ソフトウェアには詳しい、とても賢い人たち。彼もそうだ。しかし、彼らにも知らないことがある。音楽だ。だれにでも音楽が聞こえるわけではない。だが、チャンスを与えられれば、感じるはずだ。

 このような企業のリーダーたちには違いがわからない――わかりたくないのかもしれない――ということは、じつに興味深い。わたしには違いがわかるし、数学と物理学の知識を通じてアナログオーディオのほうがいいと知っている。あれこれいじらないほうが、音はよくなる。いじらなければいじらないほどいい。現代の製品の多くには、この哲学が当てはまらない。いじればいじるほどいいとされている。ほんのちょっとのガラクタよりたっぷりのガラクタのほうが得をした気がする。というわけで、ごてごてと飾り立てる。

 わたしは、いつかまたレコードが大ヒットしたら(ハハッ)、テスラを一台買って分解し、自分で設計したサウンドシステムを組み込みたい。それをイーロンに見せて、彼の美しい静かな車のなかでいいサウンドを聴くのがどんな気分か、わからせてやりたい。もはやそれはわたしのテスラだ。

(略)

 車のなかに四個から六個、せいぜい八個のスピーカーとサブウーファーを適切な場所に配置すれば、それだけで完璧だ。信じられないだろう。だが、デジタル好きのエンジニアたちは、五個のスピーカーより二十個、二十個より三十個がいいと思いこんでいる。

(略)

 わたしは結局、音楽が危ないとだれかにわかってもらおうとして、墓のなかで墓石に頭をガンガンぶつけるはめになるのかもしれない。時代が進むにつれて、サウンドが退化しているのがわかる人がいなくなるのではという思いは強まるばかりだ。わかるのは、エルトン・ジョンやスティーヴン・スティルスノラ・ジョーンズなど、わたしの一九七八年型キャデラックでPONOを聴いた百人のすばらしいアーティストだけなのではないか。

(略)

アーティストは何度でも満場一致でハイレゾデジタル音源とアナログアンプを選ぶ。だから、わたしはあきらめない。重要なことだから、あきらめるわけにいかない。わたしはアーティストを信じている。

 第24章 ニール・ヤング

PONOは終わるのか?

 わたしはアーティストとして、多くの理由からストリーミングに反対していた。ストリーミングは業界を崩壊させる。レコード会社はストリーミング会社と次々に契約を結ぶが、アーティストは理解を示していない。レコード会社にとってストリーミングが恩恵だということは、だんだん明らかになってきた。レコード会社は思いがけず利益を手にしたが、アーティストはその犠牲となり、ストリーミングのせいでCDやレコードが売れずに苦しんでいる。

 ストリーミングでは、曲を書いた人間には金が入ってくるが、レコードで演奏した者に支払われるのは微々たる金額、もしくはゼロだ。デジタル時代は、作品を生んだアーティストたちを利益の連鎖から締め出すことを可能にした。音楽で生計を立てることができなければ、アーティストたちが音楽を作りつづける理由はなくなる。

 アーティストの収入減に対する業界の答えは、ライヴで金を稼げ、というものだった。シリコンバレーからの答えでもある。おまえらの音楽を配ってやるから、おまえらのレコードから利益をもらうぞ、おまえらはライヴで食っていけ、というわけだ。二〇一七年には、音楽業界全体の収入四百三十億ドルのうち、たった一二パーセントが、音楽を作ったアーティストの収入だった。これがデジタル音楽の新時代だ。

(略)

 振り返れば、ストリーミングは決してハイレゾのレベルに達しないから、ハイレゾ音源をダウンロードして高性能の音楽プレイヤーで聴く方向へ進むべきだというのが、わたしの考えだった。だが、すでに書いたように、わたしの最大の間違いは、ストリーミングの影響力に気づくのが遅すぎたこと、ストリーミングがあっというまにCDやダウンロードに取って代わると予測できなかったことだ。それどころか、ストリーミングのレコード会社に対する影響力は甚大で、多くのレコード会社はストリーミングのおかげで黒字だ。わたしがストリーミングを嫌悪するのは、音楽のクオリティに悪影響を与えているだけでなく、レコード会社とストリーミング会社がアーティストを冷遇しているからだ。

(略)

ストリーミングはもはや無視できないし、わたしが目標にたどり着くためには、真っ向から取り組むべきだった。

 オラストリーム

 サンフランシスコのPONOミュージックのオフィスを閉めようとしていたころ。わたしは小さなチームのメンバーたちと会い、これ以上ダウンロード・ミュージックストアに投資するのは正しいとはいえないと話した。途中から、ストリーミングの話になった。そのなかで、ソフトウェアエンジニアのケヴィン・フィールディングが、シンガポールの小さな企業がハイレゾストリーミングサービスをはじめ、ソニークラシック音楽をCD以上のクオリティで配信しているといった。通信速度にかかわらず安定して音楽を送信できる方法を開発し、リスナー側のビットレートに応じて最高の音質で音楽を提供しているらしい。

(略)

つまり、受け手のビットレートが限られていれば、現在のストリーミングのような音だが、ビットレートに余裕があれば、CDクオリティかハイレゾに切れ目なく切り替わる。最高のレベルなら、圧縮なしで再生できる。これは最適化配信と呼ばれ、数年前に開発がはじまり、いまや新しい業界標準になっている。地域によっては、ビットレートが非常に高いので、ついに圧縮なしでストリーミングできるようになった。その話は、わたしの頭から離れなくなった。

 オラストリームというその企業は、ジョン・ハムが数年前に話していた、あの会社だった。興味深いことに、以前チャーリー・ハンセン(PONOの設計者)を見つけてきてくれたのもハムだったし、わたしが発見する前にオラストリームを見つけたのも彼だった。あのときすぐに、こういうことがわかっていればと、いまさらながらに思う。

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ノー・ディレクション・ホーム その3 ボブ・ディラン

 前回の続き。

 〈ライク・ア・ローリング・ストーン〉

『きみは一流の学校に行ったけれど、ミス・ロンリー/結局しぼりとられるだけだった』という歌詞を書いたけど、学校についての曲を書いたわけじゃない。周りがそう思ってるだけだ。ぜんぜん違うんだ!一流の学校はたんに泥沼から抜け出すって意味かもしれない。ここでの『学校』はどんな意味にもなる。この歌はまちがっても学校の歌じゃない」

ミスター・ジョーンズは誰か?

〈やせっぽちのバラッド〉

何かが起きているのにそれが何か分からないミスター・ジョーンズは世のなかにたくさんいることを私たちは知っている。ディランにとってミスター・ジョーンズは具体的に誰だったのか?『タイム』のジェフリー・ジョーンズという記者は(略)それはディラン自身のことに違いないと書いた。私ならディランのエレキ音楽に完全に面食らったピート・シーガーか、ディランのレコーディングについての考えを理解しなかったトム・ウィルソンか、映画『ドント・ルック・バック』でディランが激しく非難したもう一人の『タイム』の記者ホーレス・ジャドソンか

(略)

それ以外にもさまざまな説が流れた。ミスター・ジョーンズは好戦的な黒人作家リロイ・ジョーンズだ、ミスター・ジョーンズはヘロイン常用者の隠語だ、ミスター・ジョーンズはジョーンを男性化したものだ、ミスター・ジョーンズはオーウェルの小説「動物農場」に出てくる農夫だ……。

英国ツアー

イギリスのCBSレコードにとって、ディランのツアーは理想的なタイミングだった。一九六五年三月にリリースされた最初のシングル「時代は変る」はよく売れた。ツアー中に出た「サブタレニアン」はエレクトリックなビートとビートルズのお墨付きのおかげでさらに売れた。「マギーズ・ファーム」はツアー終了と同時にシングルで出た。CBSレコードの販売促進部の部長スタン・ウェストはのちにこう言った。「一九六五年の三月から十二月を通じて、ディランのレコードはわが社の契約歌手の誰よりもよく売れた」。ウェストはそれが一九六五年に盛んになった船上の海賊ラジオが要因でもあるとした。そうしたラジオは公共放送BBCの独占への対抗であると同時に宣伝にもなっていた。「サブタレニアン」と「ローリング・ストーン」はとくに海賊ラジオ局で人気を集め、ザ・バーズ版「タンブリン・マン」もヒットした。

 ディランのイギリス人気に刺激され――四枚のLPがトップ二十入りし、「バック・ホーム」はナンバーワン・アルバムになった――コロンビア・レコードは「ハモンドの愚行」と呼ばれたディランをアメリカで熱心に推し始めた。六月、コロンビアはアメリカでの一大プロモーションキャンペーンを発表する。ディランが「すべてを故郷に持ち帰る」というスローガンはキャンペーンの主要テーマだった。コロンビアはもうひとつ、「誰もディランのようにディランを歌えない」という広告文句を掲げ、二十センチの段ボールの切り抜きディラン人形と(略)フェリクス・トポルスキによる線描画つきの豪華な宣伝資料を用意し、大々的に宣伝した。

65年ニューポート・フェスティヴァル

六五年のニューポートは幸先が悪かった。バエズが新しい秘蔵っ子ドノヴァンを連れて現れた。午後のワークショップではフォーク純粋主義のアラン・ロマックスが、グロスマンと契約予定のポール・バターフィールド・ブルース・バンドの紹介のしかたをめぐって、グロスマンと派手に衝突した。「ブルースヴィル・ワークショップ」の主宰者で外交手腕に欠けるロマックスは、パネリストの黒人ブルース歌手に同情的になり、バターフィールド・バンドにかみついた。「このシカゴの子供たちがブルースの何を知っているか見てみようじゃないか」。バターフィールド・バンドの演奏が喝架を浴びると、グロスマンはロマックスの横柄な紹介を激しく非難した。暴言が飛び交い、やがてフォークロアの巨人とフォークビジネスの大物は取っ組み合いの喧嘩になった。

(略)

 ディランにとってはさらに苦しいことに、ピート・シーガーが日曜夜の最後のプログラムについて、これは現代のフォーク・ミュージシャンが新生児に送る、われわれが住む世界についてのメッセージだ、と宣言した。残念ながらこのテーマはディランのパフォーマンスの狙いとは合わなかった。彼の日曜の出番は、カズン・エミーとシーアイランド・シンガーズという非常に伝統的なパフォーマーのあいだにはさまれた。カズン・エミーの目玉は「オクラホマミキサー」だった。ディランは寄せ集めのバンドでサウンドチェックもなしに、与えられた枠を埋めなければならなかった。

(略)

ディランはマタドール・アウトロー風のオレンジのシャツと黒の革ジャケットで、エレキ・ギターを抱えて現れた。バンドが「マギーズ・ファーム」のエレクトリック・ヴァージョンを始めたとたん、ニューポートの観客は唖然とした。

(略)

激しいブーイングが次々に起こった。誰かが叫んだ、「カズン・エミーを呼び戻せ!」マイクとスピーカーは完全にバランスを欠き、音響はひどく、偏っていた。この新たな音楽の熱心なファンの目にも、そのときの演奏は説得力がなかった。

(略)

[アコースティックギターでステージに戻ったボブは]

「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」を演奏したが、その歌詞は新しい意味を持ち、まるでニューポートに、フォーク純粋主義者たちにさよならと歌っているかのようだった。

「ミスター・タンブリン・マン」

 一九六五年、ザ・バーズがカヴァーした「ミスター・タンブリン・マン」は、その十年で最も売れたシングルのひとつとなり、ディランのロックへの、そしてのちにはカントリー音楽への傾倒に勢いをつけた。

(略)

[ロジャー・マッギン]は、それまでチャド・ミッチェル・トリオ、ライムライターズ、ボビー・ダーリンなどのバックを務めていた。一九六四年、マッギンにはフォーク音楽が「ひどく商業的になり、セロファンで包まれたプラスチック商品みたいになった」ように思え、「もっと別のことをやりたいと思うようになった」という。

(略)

デビューアルバム『プリフライト』には力強さに欠けた「ミスター・タンブリン・マン」も収録されていたが、ヒットはしなかった。

(略)

マッギンは言う。「隙間が見えたんだ。ディランとビートルズはコンセプト的にもたれ合っていた。その隙間に狙いをさだめた」。そして彼らはヒットした。軟弱に聞こえないよう、あえて「鳥」のつづりを避けて「Byrds」にした。一九六五年一月、コロンビアと契約したザ・バーズは「ミスター・タンブリン・マン」を再レコーディングした(プロデューサーはドリス・デイの息子テリー・メルチャーだ)。

 その曲を彼らがどうして見つけたのかははっきりしない。おそらくディランが正式にアセテート盤にする前、四枚目のアルバムで不使用になったテープをジム・ディクソンが見つけたのだろう。ジャック・エリオットも共に歌っていた。クリス・ ヒルマンによれば、ディクソンが「曲を持ってきた。最初はそんなに好きでもなかったし、意味も分からなかったけど、彼はぼくたちが理解するまでその曲を推してきたんだ」。マッギンはロスでディランに会い、「ぼくたちの『タンブリン・マン』のアレンジを聴かせた」。ディランは言った、「ワオ、踊れるじゃないか!」 マッギンいわく、ディランは「驚いていた。ぼくたちは彼の別の曲も何曲か歌ったけど、自分の曲だとすら気づいていないようだった。しばらくは親しくつきあったよ、でも結局、彼は導師でぼくらは生徒だ。

(略)

「ミスター・タンブリン・マン」の二度目のレコーディングで皮肉だったのは、参加したバーズのメンバーがマッギンだけだったことだ。他のメンバーは参加できず、有名なベースのイントロはラリー・ネクテル、ドラムはハル・ブレイン、セカンドギターはレオン・ラッセルが担当し、要のコーラスはバーズがあとから加えた。

(略)

一九七一年、マッギンは『サウンズ』誌のペニー・ヴァレンタインにこう語った。「一度だってディランをアイドルとして崇拝したことはない。彼のことはいつも仲間と思っていた……ディランは常にぼくの一、二歩先を歩いていたけど……彼に嫌われたのは『イージー・ライダーのバラッド』のせいだと思う。ぼくが曲を提供したその映画にはディランもかかわっていたから、映画のクレジットに彼の名前が載った。彼はひどく怒って電話をかけてきた。「はずせ。クレジットに名前を入れるなと言ったはずだろ。こんなことは毎日誰かにやっている。きみに詩の一節をあげた――それだけだ」。たしかにそうだった。ぼくたちはその曲に一緒に深く取り組んだわけではなかった」。

(略)

マッギンが西海岸でソロのレコーディング中、ディランが陣中見舞いに立ち寄った。友情復活のしるしにディランは、アルバム『ロジャー・マッギン』のリード曲「アイム・ソー・レストレス」のバックでハーモニカを吹いた。一九七五年になると、マッギンはディランの「ローリング・サンダー・レヴュー」ツアーにも名を連ねた。

ボブの罵倒に耐えるフィル・オクス

午前三時近く、ディランはデイヴ(ブルー)・コーエン、フィル・オクス、私と私のガールフレンドのリズ・ニューマンを集め、次の場所に向かった。私たちはボブがレンタルしたリムジンに乗りこんだ。(略)

ディランがコーエンに目をかけていた頃、長年ディランの信奉者だったフィル・オクスへの評価は下がり始めた。二か月前、ディランはコーエンとオクスのためにシングル「窓からはい出せ」を演奏した。コーエンは気に入ったが、オクスはこれが売れるとは思わないと言った。その晩、ディランはリムジンをとめて車からオクスを追い出した。「お前はフォーク・シンガーじゃない、ただのジャーナリストだ」。オクスはめげず、さらに罵られるのを覚悟で戻ってきた。デイヴが黙って座っているあいだ、ディランはオクスのポリティカル・ソングとトピカル・ソングをなじった。「そうじゃないんだ、分かるだろ。それはもう重要じゃない。時代遅れなんだ」。ディランがオクスの作品に詳しいことに誰もが驚いた。オクスは非難を黙って聞いていた。ディランがテーブルを離れたすきに私が「よく耐えられるな」と言うと、彼は「結局、ディランに何か言われたら聞くしかないんだよ」と答えた。デイヴは次の標的になるのを恐れたのか、早めに離れた。ディランはテーブルに戻り、毒舌を続けた。「いっそスタンダップ・コメディアンになったらどうだ?」彼はフィルに言った。楽しそうではなかった。ひどく青ざめ、チェルシー・ホテルに戻ろうともしない。ヴィレッジへのタクシーをつかまえるとき、リズが言った。「彼、今にも死にそうよ」

ヨーロッパ十字軍 

 スカンジナヴィアの観衆は「バンド」が現れたことに驚き、裏切りと見なした。

(略)

[ダブリン]

この頃には公演はアコースティック五十分、エレクトリック四五分の計九五分に短縮されていた。『ディスク・アンド・ミュージック・エコー』誌は「目の肥えた行儀のいい」観客の怒りが二部に入ったとたん爆発したと書いた。「裏切り者」「バックバンドを追い出せ」「ゴリウォーグ」「マイクを下げろ」といった叫びがあちこちであがった。

(略)

ビートルズはディランのアルバート・ホールでのコンサートに現れ、『ボブはすごい、実に素晴らしい』と言った。のちにジョージ・ハリスンは、ディランにはバンドを使う権利があると擁護した。「途中で帰った人は愚か者で、彼らが本当のディランを理解できたとは思えない。いまなおすべてがディランそのもので、彼は自分の進む方向を見つけなければならない。彼がエレキ・ギターで演奏しようと思うなら、それが彼の取るべき道だ。ルールを決めるのは誰だと思っているんだ?」。「野次が飛び交うなか(略)アルバート・ホールで私の後ろのボックス席に座っていたビートルズは嘆く観客に向かって叫んだ。『彼の好きにさせろ――黙れ!』