「いいね! 」戦争 その3

前回の続き。

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

 

オンラインでのリアルさ

テイラー・スウィフトの「信憑性」は「事実」と「現実」の二重の意味を持つようになっていた。彼女のインスタグラムに登場する不機嫌そうな白猫は本当に彼女の猫だった。(略)思いついたときに手書きの優しいメッセージを添えてクリスマスプレゼントを贈ったりしているのも事実だった。

(略)

「これからは、ファンとの絆を作るには、ファンに意外性の要素を提供し続けることが必要になると思う。“衝撃”じゃなくて“意外性”よ。お互いの意外な面を発見できる限り、カップルは愛し合っていられると思うの。アーティストとファンの間にもそういう愛情関係が成り立っていいはずでしょ?」

 スウィフトは人生をでっち上げたわけではなく、演じたのだ。最も共感を呼ぶもの(略)に光を当てた投稿をアップして、ファンと同じ目線で彼らに接し、自分の生き方をファンのイメージに合わせた。

(略)

 とはいえ、こうしたインターネット時代の信憑性が必要不可欠だったのは、何と言っても選挙政治においてだった。

(略)

皮肉なのは、選挙に出馬するほとんどの候補者があまり親近感を抱かせる人物とは言えないことだ。彼らはたいてい資産家で、エリート中のエリートであり、有権者の日常的な問題とは無縁だ。そのため、アメリカの政治は長らく誰が最も信頼できそうかをめぐる綱引きとなってきた。十九世紀にはどんなに裕福な候補者でも、先祖はつましい農民だったことを強調するエピソードを新聞に掲載したものだ。

(略)

[だがSNS時代になり]オンラインでのリアルさとは何かに注目が集まるようになった。(略)

トランプはアメリカ政治の鉄則にすべて反していた。「庶民」のふりをせず、金持ちであることを自慢し、思いつく限りの社会のタブーを破り、突飛な発言をし、絶対に謝らなかった。しかし「エキスパート」のアナリストたちがうんざりしたように首を左右に振っていたころ、何百万もの有権者たちは、耳をそばだて注目していた。正真正銘、信憑性を感じさせる政治家がそこにいたのだ。

 トランプの信憑性の要は彼のツイッターだった。明らかに本人が書き込んでいて、予想がつかず、大げさで、本能的な衝動にあふれていた。トランプを誰よりも激しく批判していた人びとでさえ、夜遅くまでベッドの中で思いつくままにツイートする大統領候補にどこか引かれるものを感じていた。(略)

「みんなトランプが自分に語りかけているみたいに感じたんだ」。

「戦争が起きている。あなたの心をめぐって!」 

NATOEUを支えてきたドイツはシリア難民を無制限に受け入れると発表し、波紋を呼んだ。そのためロシアの情報戦士たちはドイツに狙いを定めた。

 それは身の毛のよだつような話だった。十三歳のロシア系ドイツ人の少女がアラブからの移民三人に誘拐され、暴行され、レイプされた。しかも警察は捜査を拒否しているというのだ。(略)

ニュースがドイツの極右メディアを駆けめぐると、はるかに大規模な抗議デモが起きた。しかしじつは、事態を憂慮したドイツ政府が繰り返し説明したように、ニュースはでっち上げで、家出した少女が苦し紛れに口にした出任せだった。だが、政府の説明に誰も耳を貸さなかった。そのうちロシアの外相までが、ロシアの代理人たちが広めた噂をめぐるロシアの報道をもとに参戦した。(略)

「政治的動機のために移民問題が現実を“粉飾” することにつながらなければいいが。そんなことをするのは間違っている」。だが本人は政治的動機のために現実を粉飾していた。肝心なのはそこだった。

(略)

 内紛がくすぶるところでは、必ずロシアのプロパガンダ要員が遠くから手を貸していた。彼らは二〇一四年にはスコットランドの独立の是非を問う住民投票に介入した。二〇一六年にはブレグジット推進をそれまで以上に後押しし、さらにアメリカ大統領選挙の行方を左右することも画策した。

(略)

ボットやトロールソックパペットたちはどこからともなく新たな「事実」を作り出せる。同類性と確証バイアスのおかげで、彼らを信じる人たちが少なくとも何人かはいるはずだ。それだけでも十分恐ろしく、社会を二極化させ、不信感を生み出す。しかし賢明な集団や政府は、自分たちの目標に合うようにこの現象をねじ曲げ、バイラル性と認知を利用して目標達成に近づくことができる。偽情報と呼ぼうが、単なる心理操作と呼ぼうが、同じことだ。悪名高い陰謀論サイトのインフォウォーズのタグラインが言い得て妙だ。「戦争が起きている。あなたの心をめぐって!」

 こうした攻勢は二つの原則に従っている。一つは信憑性だ。人工的な虚偽がうまくいくのは、かすかに真実味を帯びている場合だ。既存の偏見に乗じ、ターゲットの心にすでに存在する「物語」に、少しだけ虚偽を上塗りする。

(略)

情報作戦の第二の原則は、拡張だ。虚偽のなかで最も破壊的なものは、長期間にわたって大勢の人間に広まる。そういう虚偽は根強く残ることで広がる。否定する行為自体が、その話題に新たな命を吹き込んで、集団意識にさらに深く入り込むのに役立つようにできている。そんなふうに作られた話はかかりのついた矢のようなもので、相手が抜こうともがくほど毒が広がり、腐敗が進む。猥褻な告発ほどいい。政治にまつわる有名な伝説で、のちにアメリカ大統領になったリンドン・ベインズ・ジョンソンが議会選で後れを取ったとき、対立候補が「豚とやった」という噂を流すよう選挙運動本部長に指示したとされている。本部長は証拠がないと反論した。「わかっている」とジョンソンは答えた。「だが、やつに否定させよう」
 インターネットは、攻撃し、苦痛を長引かせるのをさらに容易にする。ソーシャルメディアアルゴリズムは、自分たちのネットワーク上ではやっているコンテンツが人びとの怒りを買っていても(買っていればとくに)、そのコンテンツに注目させる仕組みだ。その結果、油の火災のように、何かに対する非難が広がり、それを見た新たなユーザーのグループがまた非難する。バイラル性は複雑さと両立しないため、文脈や詳細はあっという間にはぎ取られる。残るは論争そのものだけとなり、それがいかにでたらめや、ばかばかしいものに思えようと、論争に「参加する」べきだと感じる人びとが図らずも広めることになる。

(略)

[悪名高いピザゲートのジャック・ポソビエックが反トランプ派の抗議デモで「メラニアをレイプしろ」という看板を掲げた]

オルタナ右翼のプロキシとロシアのRTのプロモーションのおかげで、画像はたちまちバイラル化した。

(略)

[炎上後]何もかもでたらめだと一部のユーザーは気づいた。(略)

[色々な]グループがポソビエックが仕組んだことだったと主張した。これが新たな非難と議論の応酬を呼んだ。ポソビエックが仲間と陰謀の相談をしているというやりとり(“メラニアをファックしろ”では“弱すぎる”と結論)が掲載されたが、ポソビエック本人はそれを否定した。

(略)

 だが、その騒ぎのなかで失われた話があった。そもそも抗議のために集まった数百人の動機だ。たった一度、議論がそれたせいで、[反トランプという]彼らの目的とメッセージは消えたも同然になったのだ。

 言論の自由

[自由放任主義ツイッターではアカウントを閉鎖されても]

あるネオナチが著者たちに対してばかにしたように指摘したとおり、新たなアカウントをほんの数秒で開設できた。その結果、言論の自由は、ある元従業員によれば「くそったれどものハニーポット」と化した。

(略)

YouTubeは「違法、猥褻、もしくは脅迫的な」動画を禁止した。しかし(略)

YouTubeは拷問に反対するエジプト人活動家の動画も削除した。拷問反対の動画なので、当然ながら、拷問の様子も記録されていたからだ。

(略)

フェイスブック社は当初からMyspaceを競合と見ていたので、Myspaceのようなスキャンダルはなるべく避けたがった。フェイスブックの社内用ガイドブックはまもなく中規模国の憲法並みになった。

(略)

ユーザーがアメリカ大統領を銃撃してくれと誰かに依頼すれば、それは明らかに扇動であり、削除することができた。一方、「髪の赤い人間を蹴る」よう促している場合は、より一般的な脅しなので許容範囲だった。

(略)

「ぐちぐち言うのをやめないと、その舌を切り取るぞ」というメッセージは、確定ではなく条件付きの脅しなのでセーフという具合だ。

 一見明確な規約──「裸と性行為」の全面禁止など──でさえ、一触即発の火種になった。最初は歴史家と芸術評論家が抗議の声を上げ、絵画や彫刻の写真では裸を許容する一方、古典主義者がポルノだと見なすデジタルアートの場合は、裸を許容しないよう同社に圧力をかけた。次に抗議したのは産後まもない女性たちだった。彼女たちは授乳している画像が「猥褻」だとして削除されたことに憤っていた。#freethenipple(乳首の解放)という独自のハッシュタグ(当然ながら、ポルノ配信者たちに乗っ取られた)を作り、母親たちによるロビー活動を開始した。これらの乳首戦争を受けて、社内では何年も白熱した審議が続いた。結局、幹部たちは授乳の描写を許可する新しい方針を決めた。ただし、画像の主要な焦点でないことが条件だった。

 何十億ドルもの利益をあげ、世界中でニュースに影響をおよぼした世界最大のデジタルプラットフォームを構築したエンジニアたちは、まさか社内の取締役室で、どの程度まで乳首を見せるべきかをめぐって何百時間も議論するはめになろうとは夢にも思わず、期待もしていなかった。

(略)

恐ろしい皮肉だが、言論の自由を破壊するテロリストたちにとって、ツイッターが当初言論の自由を約束していたのは好都合だった。テロリストが越えられない一線は唯一、個人攻撃だった。「不信心者(非イスラム教徒)」は暴力的な死に値するという一般的なツイートをするのは許されるが、特定の非イスラム教徒に対して首を切り落とすぞと脅すことはできなかった。テロリストがプラットフォームを利用できることに憤る声も多かったが、ツイッターはそうした声を一蹴した。NATOが味方にアフガニスタンの話をしてかまわないなら、タリバンだって同じことをしていいはずだ、という理屈だった。かくして、野心に燃えるテロ組織にとって、ツイッターは信奉者とつながる場であるばかりか、新兵と欧米のジャーナリストの両方に自分たちの存在を知らしめる格好の場となったのである。

(略)

ISISのプロパガンダが自社のプラットフォームを十数カ国語で駆けめぐるなか、ツイッター幹部陣は不意打ちをくらって立ち尽くすだけだった。同社のコンテンツ監視チームは、サービスが全面的に兵器化される状況への備えができていなかった。関心がなかっただけでなく、リソースも不足していたのだ。ネットワーク監視に時間を割けば、その分ネットワークを拡大し、投資家に価値を示すための時間が減った。ツイッターの目的はプロパガンダと戦うことなのか、それとも収益性を向上させることなのか。

(略)

 ツイッターは策を講じようとしたが、ISISはしつこかった。アクセスを遮断されると自分たちのネットワークを自動的に復活するスクリプトを開発した。ツイッターのブロックリスト──本来は悪名高いトロールをひとまとめにして阻止することで嫌がらせと戦うために開発された──を悪用し、自分たちを追跡するユーザーから自分たちのオンラインでの活動を隠そうとした(略)。一部のアカウントは閉鎖されても、多くの場合、アカウント名にある番号だけを変えて復活 (@TurMedia335など)し、それを文字どおり何百回も繰り返した。

(略)
ISISのアカウント一掃は大いに喧伝されたが(略)

二〇一五年には、超国家主義者、白人至上主義者、偏狭な反移民派および反イスラム派が一つにまとまってオルタナ右翼運動を形成し始めた。つけ上がった彼らはしだいに増長し、憎悪をむき出しにするようになった。

 ただし、そのやりかたは狡猾だった。自分たちの感情をミームや控えめな言及で覆い隠し、一線を越えるぎりぎりのところで踏みとどまった。たとえば、オルタナ右翼のリーダーであるリチャード・スペンサーは、すべてのユダヤ人や黒人の殺害を擁護するために、自分の人気のある(かつ実証済みの)ツイッターのプロフィールは使わなかった。代わりに、アメリカが白人だけの国になれば、どれだけましかを並べ立てた。オルタナ右翼は、人びとを反ユダヤの嫌がらせの標的にする新しい方法を思いつき、もてあそんだ。たとえば、ユダヤ人とわかっているか、それらしい姓を三重括弧でくくった。「スミス」なら「(((スミス)))」という具合だ。そうした戦術のおかげで、ゲーマーゲートのような激しい個人攻撃が容易になった。何か言われたら、「トローリングしているだけ」だと主張した。ユーザー・アカウントが閉鎖されそうになったら、途端に被害者のふりをして「言論の自由」を実践しているせいで標的にされていると主張した。

(略)

 しばらくの間、グーグルとフェイスブックツイッターはほとんどお手上げ状態で見て見ぬふりをしていた。人種差別と偏狭さは不快だが、不快なものを検閲するのは自分たちの仕事ではないと、三社はあっさり認めた。

(略)

二〇一六年半ば、ツイッターが攻撃の口火を切って、ブライトバートの編集者で挑発的な極右のマイロ・ヤノプルスをツイッターから追い出した。

(略)

[トランプ選出後ヘイトクライムが相次ぎ]

ソーシャルメディア巨人は「ヘイトスピーチ」の定義を拡大し、特に悪質な違反者を追放するようになった。ツイッターは白人至上主義のアカウントのうち、とりわけバイラル性の強いものを禁止

(略)

シリコンバレーはもう一つの、さらに根本的な難題を自覚し始めていた。(略)

バイラル性は確かに決定的な形で現実を左右していた。

(略)

こうした状況を痛感させたのは、ドナルド・トランプが大統領に選出されたことだった。最も衝撃を受けたのはフェイスブックで、ほとんどが若く進歩的な考えの持ち主である従業員たちは、自分たちのやってきたことがトランプを権力の座に就かせたのではないかとおののいた。実際、そのとおりだという強力な証拠があった。ツイッターがトランプの貴重なマイクの役割を果たしたとはいえ(略)

明らかにでっち上げだとわかる話を何億回も「シェア」する人びとのネットワークにはまったのは、フェイスブックを通してだった。

(略)

ザッカーバーグはまず否認したい衝動に駆られた。フェイスブックのプラットフォームに出回った偽情報が、誰かの投票に影響したというのは「じつにばかげた考え」だと、彼は選挙の数日後に語った。当初の否認に対して、世間には怒りが広がり、オバマ大統領から個人的な叱貴まで受けてザッカーバーグは態度を変え、次々と通達を出してフェイスブック上のでっち上げや偽情報への対策強化を約束した。同時に、これは比較的小さい問題だとユーザーを安心させようとした。一方、業を煮やした社員たちは内々に話し合い、クラウドソースによる独自の解決策を模索した。その後、社内の一部は選挙期間中にフェイスブックのプラットフォームで偽情報が野放しになっている状況を懸念していたが、同社の「客観性」を侵害する可能性や、保守的なユーザーと議員を疎外する可能性をおそれて、何も変えられなかったことが明らかになった。

 二〇一七年半ばには、フェイスブックの態度は大きく変わっていた。同社のセキュリティチームは「情報作戦とフェイスブック」と題して、初の虚偽ニュース対策白書を発表し、自社のプラットフォームが「わかりにくく狡猾な形で悪用」されるにいたった経緯を説明した。もう一つの、やはり初めての報告書では、敵を公然と名指しした。敵とはロシア政府だ。しかし批判派は、フェイスブックは九ヶ月もの非常に重要な時期を無為に過ごしたではないかと指摘した。

(略)

 ソーシャルメディアの巨人は、政治問題──テロリズムや過激主義や偽情報と戦う事──に本腰を入れて対策を講じるために、政治と戦争の「グレーゾーン」から生じるスキャンダルに巻き込まれて、ますます身動きが取れなくなった。良かれと思っての通報システムがトロールに悪用されたりもした。あるいは、不適切なコンテンツを監視するモデレーターが、自分が行ったことのない国から投稿されるコンテンツが適切かどうかを、彼らにはとうてい理解できない政治的背景のなかで判断することを期待されて、手がかりのないまま、高い代償を伴うミスを犯す可能性もあった。

(略)
[フェイスブックは]「国際的に承認された国家の占領に抵抗するための暴力」への肯定的な言及をすべて禁じていた。(略)

この規定によって、パレスチナカシミール西サハラのユーザーのコンテンツが大量に削除されるはめになった。

(略)

ミャンマーでは、少数民族ロヒンギャが、フェイスブックを使って自分たちを標的にした政府主導の民族浄化作戦を記録しようとしたものの、投稿の一部は削除された。彼らを苦しめている軍の暴虐をくわしく報告したというのが理由だった。

 しかしながら、こうした厄介で容赦ない政治問題化の過程で、シリコンバレーの誰もが一貫して守り抜いたルールがあった。最終損益を優先するということだ。(略)

[二〇一五年]ロシアの大規模なボットネットの証拠を発見していたが、無視するよう言われた。結局、ボットが増えるほどアカウントも増え、ツイッターが拡大し、ユーザー数も増えているように見える効果があったからだ。「会社は偽アカウントや攻略されたアカウントよりも、成長を示す数字のほうを気にしていたんだ」と、そのエンジニアは説明した。

 フェイスブックの社員たちから、当時大統領候補だったトランプがすべてのイスラム教徒のアメリカ入国を禁じると公約していることについて詰め寄られた際、ザッカーバーグはそれがヘイトスピーチであり、同社のポリシーに違反していることを認めた。それでも自分にはどうすることもできないと彼は釈明した。その投稿を削除すれば、保守的なユーザーを失いかねず、そうなればビジネスにも支障が出るからだった。 

「いいね! 」戦争 その2

前回の続き。

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

 

フェイクニュース・ビジネス 

金儲けしたりしたのは右派だけではなかった。その一例はジェスティン・コーラー、四十代前半の自称マイホームパパだ。政治学の学位を持ち、プロパガンダに興味津々のコーラーは、フェイクニュース・ビジネスに手を染めたきっかけについて、右派の陰謀論者のだまされやすさを試そうとしたのだと主張した。「最初から、オルタナ右翼のエコーチェンバーに潜入し、露骨なコメントや作り話を書き込んで後からおおっぴらに非難し、嘘でしたと指摘するのが狙いだった」。ところが大金が入り始め、一カ月だけで何万ドルも稼ぐこともあった。崇高な目的は忘れ去られた。

 コーラーは事業を本格的な帝国に拡大した。ウェブサイトが二四、それぞれにフリーランス・ライター二〇人が常駐し、利益の一部を手にした。大胆な見出しほどクリックされる回数が多く、各自の稼ぎも多かった。彼の記事でとくに人気があったのは、FBI捜査官とその妻が、ヒラリー・クリントンのことを捜査中に自殺に見せかけた不審な死を遂げたという悲劇、と言ってもまったくの作り話だった。(略)フェイスブックでは、この断罪記事は一五〇〇万回以上閲覧された。

目的は情報伝達ではなく承認 

左派のソーシャルメディアの世界の牽引役は、ニューヨーク・タイムズのような古い主流派メディアやハフポストのようなリベラルを自任する報道機関を含む複数のハブに分かれていた。それとは対照的に、右派の世界の分かれ方は違っていた。中央に非常に党派色の強いプラットフォームのブライトバートを軸にした中心部分が一つあるだけだった。

(略)

 二〇一二年にブライトバートが死去すると、組織の運営は投資銀行家からハリウッドの映画プロデューサーに転身したスティーブン・バノンが引き継いだ。(略)

バノンは「オルタナ右翼」に関する好ましい記事を大量に送り出した。(略)

ポリティカル・コレクトネス」に対抗すべく、ウェブ通のネオナチからビデオゲーマーの集団まで、一見異質な集団をネットの中傷合戦を利用してまとめあげた。(略)

小さい、何千もの極右プラットフォームがブライトバートを軸に、しがみつくようにして周囲を回っていた。それらのプラットフォームは満足げにハイパーリンクと広告収入をやりとりしていた

(略)

 同類性によって動かされるソーシャルネットワーク上では、目的は情報伝達ではなく承認だということがこの戦略によって暴露された。

(略)

二〇一六年、ソーシャルメディア上のリンク全体の五九パーセントが、それを共有した人に一度もクリックされなかったことがわかり、研究者たちは衝撃を受けた。

 まともとは思えない、いかがわしい話をとにかく共有することは政治的積極行動主義の一種になった。

 ISISでさえ偽情報に悩まされた

[誤った情報は]世界で最も同情されにくい集団にとってさえ問題になっている。(略)

[エルサルバドルの]ギャング集団が、髪を金色に染めてレギンスをはいている女性を無差別に殺しているという虚偽報道が広まったために予想外の危機に直面した。(略)

蛮行を繰り返すISISでさえ、偽情報に悩まされた。ISISがモスル制圧後に抑圧的な原理主義政府を樹立すると、イラクの女性と少女四〇〇万人に性器切除を強要するという報道が出回った。続報は何万回もシェアされた。ISISのプロパガンダ担当者と支持者は頭を抱えた。罰として平気で公の場で斬首したり、磔刑を復活させたりはしても、女性器切除は彼らのポリシーとは違っていた。

世論をハッキング 

 往々にして、ボットネットはさまざまな“大義”を次から次へ支持して、政治的傭兵の役割を果たしかねない。

(略)

何と言っても二〇一六年のアメリカ大統領選挙に匹敵するものはない。調査の結果、ツイッターだけで、約四〇万のボット・アカウントが選挙の結果を左右しようと戦ったことがわかった。その三分の二がドナルド・トランプを支持していた。

(略)

クリントンボットネットクリントン支持のハッシュタグを積極的に探し出して「植民地化」し、敵意に満ちた政治的攻撃を大量に送りつけた。投票日が近づくにつれ、トランプ支持のボットは激しさを増し、量も膨れ上がり、クリントン支持派の声を(ブレグジットと同じ)五対一で上回った。

 トランプ派のボットは、素人の目では見分けがつかないほど実在の支持者たちに溶け込んだ。トランプ自身も例外ではなかった。二〇一六年の最初の三カ月だけで、未来の大統領は自身のツイッター・アカウントを使って、彼の大義を売り込んでいる一五〇のボットの言葉を引用したが、その習慣はホワイトハウスでも続くことになった。

(略)

 ハッキングにロシアが果たした役割が暴かれてからは、これらのアカウントは守勢に転じた。ロシアのボット軍団は、ロシアの関与を否定するアメリカ人の集団を装った。あるボットネットは次のような典型的で皮肉なメッセージを放った。「報道機関は、ロシアが今回の選挙に影響をおよぼそうとしていると非難している。報道機関が裏で糸を引くのがわからないやつはよほどのバカだ」

 この現象を研究したオックスフォード大学の研究者サミュエル・ウーリーが書いたとおり、「狙いは、コンピュータシステムをハッキングすることではなく言論の自由をハッキングし、世論をハッキングすることだ」。

(略)

[保守系でもコミュニティが違えば話題は同じでも使われる言葉や構文はちがったが、2016年ボット軍団が一斉に三つのプラットフォームでトランプ支持の移民排斥を推進]

(略)

 分析によってさらに不穏な傾向が浮かび上がった。二〇一六年四月には、反ユダヤの言葉も三つのプラットフォーム全体で顕著な増加を示した。たとえば、「ユダヤの」という単語は使用頻度が増しただけでなく、「メディア」などの単語と関連付けるなど、罵りや陰謀論だと簡単に見分けられるような形で使われた。

(略)

ソックパペットとボットは民意らしきものを作り出し、それに他者が順応し始めて、どんな考えなら表明していいと見なされるかが変わりつつあった。反復される単語と語句はすぐに最初にそれらをまいた偽アカウントの外まで広がり、各プラットフォームの人間のユーザーが使う頻度も増した。憎悪に満ちたフェイクは実際の人間を装ったが、逆に憎悪に満ちたフェイクを生身の人間たちがまねるようになった。

ジュネイド・フセイン 

がっしりした体格のパキスタン人少年としてイギリスで育ったジュネイド・フセインは、いわゆるオタクだった。だが、ハッカーたちの闇社会では一目置かれる存在だった。(略)

二〇一二年、十八歳だったフセインはイギリスのトニー・ブレア元首相の側近のメール・アカウントに侵入し、刑務所送りになったのだ。

 刑務所でフセインはジハーディストに変貌を遂げた。過激思想に染まり、刑期を終えるとシリアに飛んで、のちにISISになるイスラム過激派組織の初期の志願兵になった。(略)

貴重な兵器となったのは、フセインの流暢な英語、影響力、それにインターネットに精通していることだった。彼はISISの新生「サイバーカリフ制国家」のハッカー部門の組織化に協力し、ツイッター上でISISの新兵候補を探した。-(略)

アルカイダが兵力を増強した方法とは驚くほど対照的だった。アルカイダの初期メンバーは、ビンラディンと彼の副官たちが知っている人間を吟味して集めたものだった。(略)

一方、ジュネイド・フセインらが勧誘した新兵候補は、世界中からやってきて直接会ったこともない人びとの集団に加わったのだった。

(略)

テロウイルスのスーパースプレッダーと化したフセインは、すっかりセレブになり、妻まで手に入れた。ネットで出会ったイギリスの四十代前半のパンクロック歌手だ。しかし知名度が増すにつれて、アメリカ軍関係者の間で悪評が高まった。二〇一五年には、二十一歳になったフセインは米国防総省の「ISIS幹部暗殺リスト」に載り、自称カリフと最高戦闘司令官に次ぐ三番目の重要人物として名前があがっていた。

(略)

かつてハッカーとして「トリック」の名で知られていたフセインは逆にトリックに引っかかり、イギリスの情報機関が網を張っていたリンクをクリックしたらしい。フセインのネット履歴から位置を割り出し、ドローンから短距離空対地ミサイルのヘルファイアが発射された。そのときフセインは深夜のネットカフェで作業中だった。いつもはたいてい義理の息子を連れ歩いて人間の盾にしていたのだが、その夜は油断して自宅に残してきていた。

「今じゃ誰もがリアリティ番組のスターだ」

[大学一年の]スペンサー・プラットを魅了したのは、斬新なリアリティテレビの新世界だった。(略)

これなら自分だって作れる、って思ったんだ」

 そしてプラットは実行した。プラットは〈ザ・プリンスズ・オブ・マリブー〉のクリエイター兼プロデューサーとなった。セレブな父親ブルース(現在はケイトリン)・ジェンナーの七光りだけが取り柄のリッチな兄弟二人を追った、FOXテレビの初期のリアリティ番組だ。番組は数話で打ち切りになったが、その前に義理の家族となったカーダシアン一家を世に送り出している。

 大学に戻ることも考えたが、プラットはもっといいことを思いついた。彼はテレビ映りがよく魅力的で大胆だった。大学へは戻らずに、自分があの手の番組に出たっていいじゃないか。(略)

プラットは〈ザ・ヒルズ〉のロケが行われている場所を調べ(略)プレイメイトたちをはべらせて待った。この絵になる光景が〈ザ・ヒルズ〉の共演者でブロンド美女のハイディ・モンタグの目にとまった。ハイディはプラットをプレイメイトたちから奪ってダンスに誘った。二人は意気投合し、スペンサー・プラットとハイディ・モンタグはまもなく「スパイディ」と呼ばれるようになった。(略)

[その座を維持するためプラットは]「リアリティ」番組に欠けているものを与えた。つまり悪党だ。たちまち〈ザ・ヒルズ〉のストーリー展開はヤバそうな男と、最後には彼のもとに戻ってしまう女、という設定に変わった。毎回視聴者に新たな衝撃と憂鬱をもたらした。プラットはモンタグの目の前でほかの女たちといちゃつき、彼女の家族をばかにして喜んでいた。ある共演者との性行為の録音テープについての噂をわざと立てると、エンターテインメント系のメディアからは遠回しに非難されたが、友人同士が恋の火花を散らす様子はシーズン中ずっと視聴者を釘付けにするだけの価値があった。

 いうまでもなく、ほとんどの「リアリティ」番組の演出と同様に、その大部分はフェイクだった。それでも効果はあり、視聴率は急上昇した。だが、プラットはさらなる名声と富を求め、この程度では足りないと気づいた。「メディア操作に手を染めたんだ」と、彼はわれわれに言った。

(略)

当時ほとんどのセレブがパパラッチを避けていたのとは対照的に、〈ザ・ヒルズ〉の悪党は進んでパパラッチを利用した。「(略)普通は向こうがでっち上げなきゃならない、うまみのあるゴシップのネタを、こっちから提供してやればいいって思ったんだ」とプラットは言った。「作るのを手伝ってやって、その見返りをもらえばいいじゃないか、ってね」

(略)

[スパイディは]報酬でも露出度でもトップクラスのスターになった。と同時に最も軽蔑される存在にもなった。

(略)

プラットはモンタグから(嘘の) 妊娠をちらつかされたシーンを撮影したときの話をした。(カメラの前では)彼女を車から放り出して猛スピードで走り去るところで終わるシーンだ。「一二回撮影したんだ」とプラットは言った。

(略)

二人は無数の人びとをとりこにし、さらに有名になった。だが同時に、彼らも自分たちが作り出したイメージから逃れられなくなった。プラットが言うには、「ぼくはとんでもないろくでなしになることで大金を稼いでた。(略)そうなると演じ続けなきゃならない。気にしなけりゃ大金が入ってくるんだ、何でもやる。みたいな。だけど、忘れてしまう。“待て。だめだ。アメリカの中間層はこれが全部フェイクだとは思わないぞ”ってね」。

(略)

 現在、プラットとモンタグは当時よりは賢くなり、年を取り、裕福でもなくなった。(略)二人は現代のソーシャルメディアの発展を興味津々で見守ってきた。(略)

モンタグは驚嘆していた。「今じゃ誰もがリアリティ番組のスターだ」とプラットが付け加えた。「そして、みんながフェイクなんだ。昔のぼくら並みにね」

 そんな状況では、セレブ志願者がごまんといる世界で有効な「物語」をどうやって構築するかが問題になる。第一の鉄則はシンプルであることだ。(略)

 だからこそ、ジュネイド・フセインのシンプルで直接的なヒップホップダンスの言葉のほうが、ISIS以前のイスラム過激派の新兵勧誘員たちの冗長で退屈なメッセージよりも効果的にミレニアル世代の若者たちに響いたのだろう。

トローリング 

[「トローリング」は]ベトナム戦争に由来している。当時アメリカのF4ファントム戦闘機は北ベトナム軍の拠点付近の上空で敵を挑発していた。敵の熱心だが未熟なパイロットがそれに乗って攻撃してきたら、米軍機のより高性能なエンジンがたちまち作動し、エースパイロットが敵を撃墜しにかかるのだった。米軍パイロットたちはこの策略を北ベトナムが使っていた(ソ連製)ジェット機にちなんで「ミグのトローリング」と呼んだ。

 初期のオンライン・プラットフォームはこの言葉とテクニックの両方をまねて、「初心者トローリング」がはやった。ベテランユーザーがわざと大胆で挑発的な質問をして(そうとは知らない)新入りユーザーを怒らせる。怒った新参者は、とにかく彼らを引きずり込むのが狙いの議論に時間を浪費するはめになるのだ。

(略)

 初期のトローリングがひじで突っついて目配せするようなユーモアを特徴としていたのに対し、ますます多くの人(と現実の問題)がデジタルの聖域に入り込むにつれて、悪気のないユーモアはまもなく消えてなくなった。今ではトローリングと言えば、情報をシェアするより怒りを広めるための“荒らし”行為を行う連中を指す。彼らの目的は怒りに満ちた反応を引き出すことだ。(略)

政敵に関する扇情的な嘘をばらまくことから、がん患者のふりまで、あらゆることをする。(略)

このトローリングの精神を最もよくとらえているのは、いみじくも、一九四六年にフランスの哲学者ジャン = ポール・サルトル反ユダヤ主義者の戦術を表現するのに使った言葉だった。

 

彼らは自分たちの意見が軽薄で議論を呼ぶものだと承知している。しかし、それを自ら面白がっているのだ。それというのも、責任を持って言葉を使うべきなのは彼らの敵のほうで、その敵は言葉を信頼しているからだ。彼らは誠意のない行動をして喜ぶ。その狙いは確固とした議論で相手を説得することではなく、脅し、動揺させることだからだ。

 

[有名なトロールによれば]

「いいトロールになるカギは、究極の目標はネット上でみんなを怒らせることだと忘れずに、嘘っぽくならない程度にばかになることだ」

次回に続く。

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

 

トランプ、ツイッターではじける

 トランプも岐路に立っていた。六十三歳の不動産王は四度めの破産を経験したばかりだった。(略)彼はリアリティTV〈アプレンティス〉の司会者に転身を果たしたが、輝きは失せ始めていた。同番組は放映開始当初こそプライムタイムのトップを飾ったものの、やがて視聴率ランキングで七五位に転落して打ち切りになった。その後、セレブ版スピンオフとして復活し、同じくトランプが司会を務めていた〈セレブリティ・アプレンティス〉はまだ放映中だったとはいえ、視聴率は急降下していた。視聴率の低下を食い止めるべく、トランプはデイビッド・レターマンのトークショーに出演したのだが、効果はなかった。トランプの初ツイートからわずか六日後にシーズン終了を迎えるころには、〈セレブリティ・アプレンティス〉の視聴率は〈デスパレートな妻たち〉や〈コールドケース 迷宮事件簿〉を下回っていた。(略)

当初トランプのツイートは散発的で、数日に一回のペース(略)

[スタッフによる投稿で、内容はテレビ出演告知、トランプ・ブランドの宣伝、名言格言など]

しかし二〇一一年、何かが変わった。トランプのツイートは五倍に増え、翌年にはさらに五倍に膨れ上がった。一人称のツイートが増え、何より調子が変わった。(略)

非常に好戦的にもなり、しょっちゅうけんかを吹っかけ──とくにコメディアンのロージー・オドネルを目の敵にした──そうやって磨き上げた言葉がやがてトランプのツイートの定番になった。「残念だ!」「負け犬!」「弱虫!」「ばか!」などを、たちまち何百回も使うようになった。著名な実業家が悩み多きティーンエイジャーみたいにネットのいさかいに突っ込んでいくなど、当時はまだ珍しく、少し見苦しくもあった。だが、トランプの「炎上戦争」は最も重要な点で成功した。つまり、注意を引くことだ。

 トランプのアカウントはより私的なものになるにつれて政治色が増した。トランプは貿易、中国、イラン、さらにクワンザ(アフリカ系アメリカ人の祝祭)についてまで長々と書き連ねた。それから矛先をバラク・オバマ大統領に向け、ほんの数年前には「チャンピオン」と賞賛した相手を、有名人のなかでいちばんの標的に変えて、無数の猛攻撃を開始した。不動産王からプレイボーイを経てリアリティTVの司会者に転身した男は、やがてもう一度、今度は右派の政治勢力に変貌を遂げた。

(略)

[即座に反応がわかるので]

とくに反響を呼んだツイートに磨きをかけて強化することもできた。トランプはインターネット上でくすぶり続けていた古い陰謀説を蒸し返し、オバマの政策ばかりか大統領資格についてまで攻撃(出生証明書をよく見てみようじゃないか)。その結果、ネットの反応は急増した。トランプとツイッターの組み合わせは、政治を未知の領域に向かわせていた。

(略)

他人から反応があれば、脳から少量のドーパミンが分泌され、投稿や「いいね!」、リツイート、「シェア」を繰り返したくなる。大勢の人間と同じように、ドナルド・トランプソーシャルメディアに夢中になった。

ISISはネットワークをハックしたのではない

ネット上の情報をハックしたのだ

[ISIS支持者やボット軍団は黒ずくめの武装集団の自撮り写真や]戦車車両団の画像をインスタグラムに投稿した。[拡散のための]スマホ用アプリまで開発された。(略)

ISISの動画は、勇敢にも抵抗した人びとを残酷な方法で拷問したり処刑したりする様子も映し出した。そして現実の世界での目的を達成した。#AllEyesOnISISは実際の部隊に先駆けて無数のメッセージを拡散し、目に見えない爆撃としての威力を発揮したのである。猛烈な勢いで広がるメッセージは、恐怖と分裂と背信の種をまくことになった。

(略)

ISISの重要な標的は、三〇〇〇年の歴史を持つ人口一八〇万の多文化都市、モスルだった。ISISの先陣が迫り、#AllEyesOnISISが情報を拡散するなか、モスルは恐怖に覆われた。スンニ派シーア派、周辺のクルド人勢力が互いに疑心暗鬼になった。自分たちが目にしている斬首や処刑の高画質動画は現実のものなのか。同じことがここでも起きるのだろうか。スンニ派の若者たちは、画面に映し出される不屈の黒い群れに触発されて、テロ行為に身を投じ、侵略者の代わりを務めた。イラク軍は、この小規模ながら恐ろしい軍勢からモスルの街を守る態勢を整えていた。少なくとも理屈上では、そのはずだった。だが現実には、モスルの二万五〇〇〇人強の守備隊は名目上の存在でしかなく、兵士たちがとうに任務を放棄したか、そもそも私腹を肥やすことに余念のない腐敗した高官らによってでっち上げられたかだった。さらに悪いことに、実在した約一万人の兵士たちは、喧伝される侵攻部隊の前進と残虐行為を各自のスマホで追うことができた。#AllEyesOnISISをチェックして、戦うべきか逃げるべきか、兵士同士で相談するようになった。敵が来てもいないうちから、恐怖が兵士たちを支配していた。守る側のイラク軍兵士はこそこそと逃げ始め、最初は少しずつだった流れがやがて洪水と化した。無数の兵士たちが、その多くは武器も車両も置き去りにしてモスルから遁走し、警官の大半も後に続いた。モスル市民も侵攻部隊の噂にパニック状態になり、五〇万人近くが街から逃げ出した。ISISの侵攻部隊一五〇〇人は、ようやくモスル郊外にたどり着いたとき、自分たちの運のよさに驚愕した。市内に残っていたのはひと握りの勇敢な(あるいは混乱した)兵士と警官だけだったのだ。彼らを制圧するのは容易だった。それは戦闘ではなく虐殺であり、その様子は逐一撮影・編集されて、またもやすぐにネット配信された。

(略)

[1940年]ドイツの電撃戦の真価はそのスピードにあった。(略)フランス軍は不安にさいなまれ、たちまちパニックに陥った。すべてを可能にした「兵器」はただの無線だった。

(略)

 ドイツ側がラジオと装甲車を駆使したのに対し、ISISは新たな電撃戦の兵器としていち早くインターネット使った。

(略)

ISISは、現実にはこれといったサイバー戦の能力を備えていたわけではなく、とにかくバイラルマーケティングのような軍事攻勢をかけて、あり得ないはずだった勝利を収めたのだ。ISISはネットワークをハックしたのではない。ネット上の情報をハックしたのだった。

(略)
 ソーシャルメディアは戦争のメッセージだけでなく力学も変えた。情報がいかにアクセスされ、操作され、拡散されるかが、新たな影響を持つようになっていった。戦いに関与しているのは誰か、どこにいるのか、いかにして勝利を収めたかまで、事実が歪曲され、変質させられていた。

ネット紛争が招く「現実」

 外交官だけではない。史上初めて、世界のどこに住んでいようと誰とでも直接やりとりできるようになった結果、往々にして一触即発の状況になっている。インド人とパキスタン人はそれぞれ「フェイスブック義勇軍」を結成して暴力を扇動し、自国に対する誇りをかき立てる。(略)

中国のネットユーザーの間では、中国の力を見くびっているように思える周辺国に対するネット「遠征」が習慣化している。何より、こうしたネット市民は自国政府の対応が弱腰だと思えばことごとく抗議し、武力行使するよう指導者たちに絶えず強要もする。

(略)

 オンラインの紛争のこうした変化にはもう一つ、厄介で逃れられない一貫したテーマがある。ときとして、こうしたインターネットの戦闘が招くひどい結果だけが唯一の「現実」かもしれないのだ。

 ISISがイラクで暴走する様子を私たちが見つめていたときでさえ、アメリカでは別の紛争が起きていた。それは一目瞭然だったのに、当時はあまりにも見すごされがちだった。ロシアの諜報員たちが、それまでのオンライン攻勢がかすんでしまうほどの大規模な攻勢を組織していたのだ。2016年のアメリカ大統領選挙では終始、何千人もの「荒らし」が、何万という自動作成されたアカウントを後ろ盾にして、アメリカの政治的対応の隅々にまで潜入していた。彼らは議論を誘導し、疑念を植え付け、真実をわかりにくくし、史上最も政治的に重大な情報攻撃を仕掛けた。そして、その作戦は現在まで続いている。

(略)

インターネットの楽天的な考案者と最も熱烈な支持者たちにとっては耐えがたい状況だ。彼らはインターネットが平和と理解をもたらし得ると確信していた。「以前は、誰もが自由に発言し、情報や考えを交換できたら、世界は自然とより良い場所になるはずだと思っていた」と、ツイッターの共同創業者エヴァン・ウィリアムズは打ち明けている。「それは私の思い違いだった」

 マケドニアの「クリックベイト」セレブ

マケドニアの錆びついた街ヴェレスで、彼らは戴冠したばかりの王様だった。(略)
失業率二五パーセント、年間所得が五〇〇〇ドルを下回る町で、これらの少年たちは暇な時間をカネに変え、そこそこ英語も身につく方法を見つけたのだ。彼らは受けそうなウェブサイトを立ち上げ、流行のダイエット法や風変わりな健康情報を売り込み、フェイスブックの「シェア」を頼りにアクセスを増やした。ユーザーがクリックするたび、オンライン広告の広告料のごくささやかな分け前が彼らのものになった。じきにいちばん人気のあるサイトは一カ月に何万ドルも稼ぐようになっていた。

(略)

ぞんざいで明らかに流用とわかる文章と広告でも何十万もの「シェア」を得られた。ヴェレスで生まれたアメリカ政治絡みのウェブサイトの数は数百に膨れ上がった。米ドルが地元経済に大量に流れ込み、グーグルの広告収入支払日に合わせて特別なイベントを行うナイトクラブまで現れた。(略)「ドミトリ」(仮名)は五〇のウェブサイトからなるネットワークを運営しており(略)[閲覧回数が六カ月間で約四〇〇〇万回]その収入は約六万ドルに上った。十八歳のドミトリは自身のメディア帝国を拡大し、記事の執筆を一人日給一〇ドルで十五歳の少年三人に委託した。だが上には上がいる。数人は百万長者になった。そのうちの一人は「クリックベイト(扇情的なタイトルをつけて閲覧者数を増やす手法) コーチ」と名を変えて、どうしたら自分のように成功できるかを数十人に伝授する学校経営に乗り出した。

 アメリカの有権者たちから約八〇〇〇キロ離れた、このマケドニアの小さな町は、マーク・ザッカーバーグが一〇年前に始めたことを、完全ではないものの再現した。町の起業家たちが開拓した新たな産業は途方もない額の現金を生み出し、若きコンピュータオタク・グループをロックスター並みのセレブに変えた。ナイトクラブで浮かれ騒ぐ大物ティーンエイジャーたちを眺めながら、十七歳の少女は次のように説明した。「フェイクニュースが始まってから、女子はマッチョな男よりテックマニアに引かれる」

 こうした荒稼ぎしているマケドニアの若者たちが送り出すバイラル性のあるニュース(略)には、オバマケニア生まれだという待望の「証拠」がようやく見つかったとか、オバマが軍事クーデターを計画していることが露見したなどという話題も登場する。(略)

そうした記事は(略)真実を伝える報道をはるかに上回る規模で読まれた。

(略)

 少年たちは流行のダイエット法を売り込む場合と同じく、自分たちのターゲットが欲しがりそうだという理由だけで政治に関する嘘を書き込んだ。「水が好きだとわかったら水を与える」とドミトリは言った。「ワインが好きならワインを与える」。だがこのビジネスには一つ鉄則があった。トランプの熱烈な支持者を狙え、というものだ。ティーンエイジャーたちはトランプの政治的メッセージをとくに気にしていたわけではないが、ドミトリによれば、彼らの作り話をクリックすることにかけてはトランプ支持者は「無敵だった」そうだ。

(略)

「無理矢理カネを払わせたわけじゃない」とドミトリは言った。「たばこを売る。アルコールを売る。それは違法じゃない。なのになぜおれのビジネスは違法なんだ?たばこを売れば、たばこは人を殺す。おれは誰も殺しちゃいない」。むしろ、悪いのは既成ニュースメディアのほうで、簡単に稼げる金づるを放置していたと話す。「連中は嘘をついちゃいけないからな」。ドミトリは嘲るように言った。

(略)

 マケドニアのメディア王たちの仕事が脚光を浴びていたころ、当のオバマ大統領は顧問たちと大統領専用機の中で身を寄せ合っていた。世界で最も影響力を持つ男が、状況の愚かしさと反撃できない自身の無力さについて思案していた。彼は海軍特殊部隊SEALsを派遣してウサマ・ビンラディンを殺害することはできても、この新たな「何もかもが真実で何一つ真実ではない」情報環境を変えることはできなかった。

(略)

[二世紀近く前、トクヴィル]も同じ思案にふけった。そしてこう結論付けた。「アメリカにおける政治学の原理は、新聞の影響力を無効化する唯一の方法はその数を増やすことである、というものだ」。新聞の数が多いほど、一連の事実について世論は一致しにくくなるだろうと、トクヴィルは推論した。

(略)

[現在ソーシャルメディアにより]一定の事実というものは存在しない。視点によって「事実」が違ってくるのだ。誰もが見たいものを見る。そして、その仕組を学べば、自分自身が生み出したこの現実にさらに引き込まれ、出口が見つけにくくなるだろう。

「ピザゲート」

[ピザ店コメット・ピンポンが小児性愛者の秘密組織だと信じ込んだ]

ウェルチは店の奥に向かった。そこに子どもたちが囚われているはずの広大な洞窟のような地下室への入り口があるはずだった。だが実際には、彼が目にしたのはピザ生地を手にした従業員一人だった。それからの四五分間、ウェルチは家具をひっくり返し、壁を探って、淫らな行為が行われているはずの秘密の部屋を探した。(略)

秘密の地下室に通じる階段はなかった。そもそも地下室がなかった。落胆し混乱したウェルチは銃を捨てて警察に投降した。

(略)

検察側の記録によれば、ウェルチは「意識は明瞭で、きわめて真剣で、十分な自覚があった」という。彼は囚われている子どもたちを解放し、命を捨てる覚悟で帰ることのない任務に赴くのだと本気で考えていた。

(略)

もとをたどれば、「ピザゲート」と呼ばれるバイラルな陰謀論に端を発していた。二〇一六年のアメリカ大統領選挙の終盤に登場したデマで、ヒラリー・クリントンと側近らが首都ワシントンのピザ店で行われている悪魔崇拝と未成年者の売買に関与しているという内容だった。

(略)

 ピザゲートはソーシャルメディアで炎上し、ツイッターだけで一四〇万回言及された。(略)

陰謀論者のアレックス・ジョーンズは登録ユーザー二〇〇万人に向かって次のように語った。「隠蔽が行われている。たぶん、神に誓って、私たちは悪の権化に牛耳られているのだ」。サンクトペテルブルクのロシア人ソックパペットたちも、チャンスを嗅ぎつけてピザゲート現象に乗じて投稿し、火に油を注いだ。ピザゲートは極右のオンラインでのやりとりを何週間も支配しただけでなく、クリントンの敗北を受けて影響力を増した。選挙後の世論調査では、トランプに投票した人の半数近くが、クリントン陣営は小児性愛、人身売買、悪魔崇拝儀礼での虐待に関与していたと信じていた。

(略)

ピザゲートの主要な投稿者に、米海軍予備役の若き情報部員ジャック・ポソビエックがいた。(略)

ポソビエックは一〇万人を超える自分のフォロワーにピザゲートを容赦なく押しつけた。(略)

「やつらはこちらの考えることや行動を管理したがる」とポソビエックはうそぶいた。「でも今なら独自のプラットフォームとチャンネルを使って、真実を語ることができる」

(略)

ウェルチの暴力的で無駄に終わった探索でも、ポソビエックの主張は覆されることはなく、かえって彼を新たな陰謀論に駆り立てただけだった。(略)

「コメット・ピンポンのガンマンはやらせで、企業の所有でない独立系報道機関に対する検閲推進に利用されるはずだ」。それから話題を変え、フォロワーたちに、ワシントン警察署長が「コメット・ピンポンに銃を持って押し入った男とピザゲートに関係がある証拠はない」と結論したと告げた。

(略)

それでもポソビエックは報いをほとんど受けなかった。それどころか、オンラインでの彼の名声と影響力は増した。見返りはほかにもあった。トロールによってピザ店を悲劇寸前に追いやってからわずか数カ月後、ポソビエックはホワイトハウスの記者会見室から特別招待客としてライブ配信していた。そして究極のお墨付きを得た。ポソビエックと彼のメッセージは、全世界で最も影響力を持つソーシャルメディア・プラットフォーム、すなわちドナルド・トランプ大統領のプラットフォームによって何度もリツイートされたのだ。

次回に続く。

 

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