The KLF: ハウス・ミュージック伝説のユニットはなぜ100万ポンドを燃やすにいたったのか

The KLF: ハウス・ミュージック伝説のユニットはなぜ100万ポンドを燃やすにいたったのか
 

78年ビル・ドラモンド25歳

すでにビッグ・イン・ジャパンというバンドで活動し、地元では少しばかり有名になっていた。このバンドには、のちに人気スターになるホリー・ジョンソン、ピート・「バッジー」・クラーク、イアン・ブロウディ、ピート・バーンズもメンバーや取り巻きとしてかかわっていた

(略)

[解散後残った借金をビッグ・イン・ジャパンのEPリリースの儲けで返済しようと考えた]

 ドラモンドは七インチシングルをなによりも愛していた。独善的でキャリア志向のアルバムにはない魅力が、シングルにはあった。シングルは気軽で、安価で、民主的だった。

(略)

彼は、自分のレーベルからはシングルのみをリリースするつもりだった。また、浮世離れしたところのあるバンド、彼をぞくぞくさせるバンドのみと契約しようと考えていた。(略)

重要なのはそのバンドが持つ「アイデア」だった。だからこそ、彼はジュリアン・コープと契約したがったのである。(略)

[まだ自信がなかったコープはかつて同じバンドにいた]イアン・マッカロクの新しいバンドに声をかけてはどうかと提案した。

エコー&ザ・バニーメン

[友人が考えた候補から選んだ名前だったが、メディア向けに]

エコーは彼らが使っているドラムマシンで、バニーメンは彼ら自身のことだと語るようになった。(略)
ビル・ドラモンドはそれを喜ばなかった。彼自身が考えた筋書きのほうがずっといいと思っていたからだ。それを思いついたきっかけは彼らのファーストシングル「ピクチャーズ・オン・マイ・ウォール」のジャケットだった。迫力のある正体不明のけだもののシルエットが粗いタッチで描かれていた。その頭部には二本の突起があって(略)ウサギの耳と見なすこともできた。(略)邪悪で力強いこのけだものの正体がなんてあれ、ドラモンドはこれこそエコーだと直感した。そして、バニーメンはこのけだものの従者たちだった。
 このころ、ドラモンドはよくリヴァプール市の中心部にある中央図書館に出かけ、宗教、神話、民族のコーナーにある本をあれこれ物色して何時間も過ごしていた。

(略)

バニーメンは極北地方のさまざまな場所に暮らしている民族だ。神話に登場する生き物、神聖な精霊、ウサギの姿を借りて地上にあらわれる第一動者[アリストテレスが唱えた、世界の運動の根本原囚]を崇拝している

(略)

 一九八〇年、エコー・アンド・ザ・バニーメンはファーストアルバム『クロコダイルズ』をリリースした。ドラモンドは、ズー・レコーズとしてアルバムのような自己満足的なプロジェクトに関与したくなかったので、アルバム販売のライセンス契約をワーナー社と締結していた。だが、それも妥協のように感じられた。マッカロク率いるバンドのほうでは、ドラモンドの理想とはまったく異なる夢を思い描いていた。アルバムをつくり、世界をツアーし、成功して大金持ちになりたかったのだ。彼らのマネジャーであるドラモンドは、そういう希望を受け入れざるをえなかった。

(略)

[アルバムジャケットのトネリコの]木の幹は二本あって、優美に湾曲し、交差していた。

 そのとき、とつぜんその写真が変化した。

 赤い、禍々しい大ウサギの顔が、瞬きもせずドラモンドをひたと見つめていた。彼はその正体を悟った。エコーである。 

Crocodiles

Crocodiles

 

ティアドロップ・エクスプローズ

ジュリアン・コープとの関係がぎくしゃく(略)

少しの名声と大量のLSDを手に入れたコープは、いまや得意の絶頂にあった。

(略)

 そろそろ潮時だった。(略)彼はズー・レコーズの経営に打ちこんでいた。ツアーとレコーディングの費用を捻出するため、二度にわたって自宅を抵当に入れるほどだったが、その結果は思い描いた理想には届いていなかった。彼は自らつくったレコードを誇りに思えず、いつのまにか、自分のした決断によって友人や仕事仲間を嫌な気分にさせていた。もっと重要なことに、二つのバンドのキャリアをだしに使って自分の空想の世界にどっぷり浸るのはよくないように思われた。(略)
 やがてティアドロップは解散し、バニーメンはもっと本格的なマネジメント事務所を見つけ、ドラモンドは[WEAのA&Rに]

ソロ・アルバム 

 [86年33歳のドラモンドはWEAを辞め、音楽業界からの引退を記念してソロアルバムリリース]

ジュリアン・コープ・イズ・デッド」がコープの「ビル・ドラモンド・セッド」に対するアンサーソングだと考える人びとは多かった。(略)

[冒頭の歌詞は]「ジュリアン・コープは死んだ/俺があいつの頭を撃った」(略)

[業界を去り『アンディ・ウォホールがクソ野郎である理由』の執筆を始めたが捗らず、その理由は、一つはスクーリーDの曲、もう一つは『イルミナティ』の再読]

[87年1月1日]散歩から戻ったドラモンドはジミー・コーティに電話をかけた。そして、一緒にヒップホップ・ユニットを結成しようと伝えた。ユニット名はジャスティファイド・エンシャンツ・オヴ・ムームー(JAMs) 

ピラミッドからのぞく目 (上) イルミナティ 1 (イルミナティ) (集英社文庫)

ピラミッドからのぞく目 (上) イルミナティ 1 (イルミナティ) (集英社文庫)

 

サンプリングではない 

 いまでいうサンプリングは、既存の音源の一部――たいていドラムビートやメロディライン――をとりだし、それらを用いて新しい楽曲をつくる技法のことである。(略)一方、JAMsの場合、他人の音源のひとまとまりをとりだし、そのまま使った。音源を選ぶときには、サウンドではなく、それが意味するところを重視した。ABBAやビートルズの楽曲を用いたときにも、サウンドがいいからではなく、ABBAやビートルズの作品だからそうしたのだ。
 JAMsは臆面もなく楽曲を盗んでいたわけだが(略)

[サンプリングの原初段階と見なすより]

もっと有用な考え方がある。彼らの行為を、シチュアシオニストのいう「転用(デトゥルヌマン)」と見なすのだ。

 シチュアシオニストというのは、五〇年代から六〇年代に、おもにフランスで活動した思想家および批評家の集団である。彼らの思想の核心には「スペクタクル」があった。

(略)

われわれは毎日、広告、イメージ、楽曲、映像をひっきりなしに浴びせられる。それらは体制のスペクタクルの一部であって、われわれを無感覚にし、孤立させる。重要なことにわれわれは、求めると求めざるとにかかわらずそれらの襲撃にさらされる。現代人が生きていく上でそれを避けることは不可能なのだ。それらは資本主義がわれわれに押しつける一種の精神汚染物質である。シチュアシオニストの主張によれば、その襲撃からは逃れられず、称賛に値する反撃といえば、それらをうまく利用することのみだ。
 つまり、「転用」の意味するところには、外から押しつけられるイメージを自分自身の目的に流用することも含まれている。あるイメージの文章や背景に手を加え、そこに込められた意味を逆転させることもその一つである。

(略)

 この背景に照らし、JAMsのファーストシングル「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」について考察しよう。題名の示すとおり、その冒頭にはビートルズの「愛こそはすべて」がそのまま使用されている。(略)

それはたんなるサンプリングとは異なった。そのサンプル部分の終盤のリフレイン「love,love,love」は限界までスローダウンされていて、どう考えても拒否反応を意味している。これは趣意書だった。つまり、ビートルズ、引いてはポピュラー音楽全体が絶頂期にあることを主張する――そして、一蹴する――行為だった。(略)

[MC5の「やってやろうぜ、野郎ども!」に続き]

「性交渉――既知の治療法なし」という話し声によってこの楽曲のテーマが示された。これは(略)エイズについての曲である。このエイズの流行によって、一九六〇年代から一九七〇年代にかけての性の解放の時代に終止符が打たれた。一九六七年のサマー・オブ・ラブを表現したビートルズの歴史的な一曲は「転用」され、そのメッセージは、もっと時代に即した、まったく逆の意味を持つものに改変されたのだ。

(略)
 いうまでもなく、完成したレコードはクソだった。今日、これを聴いて「レコードとして」価値があると心からいえる者はほとんどいない。時代を超えた名曲であるビートルズの「愛こそはすべて」のあとに聴けば、そのことがいっそう明確になる。

(略)

[アルバム『1987』でABBA「ダンシング・クイーン」をかなり長く引用、当然クレーム]

当初ドラモンドは、会って事情を説明すれば、ABBA側もアーティストとして許諾してくれると思っていた。ところが、面会に応じてもらえないことが明らかになった。(略)

[スウェーデンに着くと]ABBAの楽曲を管理する音楽出版会社の真ん前で例の著作権違反の楽曲を演奏し、ABBAの女性メンバーの一人に少し似ていると見なした売春婦に、作り物のゴールドディスク(「販売価格ゼロ以上」と刻印されていた)を授与した。その後、残っていたアルバムの大半を廃棄した。草地に持っていって燃やしたのだ。ところが、すぐに農場経営者に咎められ、中止せざるをえなかった。帰国の途上、残りのアルバムをフェリーから北海に投棄した彼らは、船上で即興演奏を披露し、その報酬に大きなトブラローネのチョコレートを受けとった。知られているかぎりでは、JAMsが生で演奏したのはこの一回きりである。
 それ以来、ドラモンドとコーティは売名行為をすることで有名になった。念のためにいえば、そういう世間の評判は実態とはかけ離れていた。

(略)

[セックス・ピストルズを操ったマルコム・マクラーレンとは]

対照的に、JAMsはスウェーデン訪問を始めとするさまざまな冒険を、まったくの思いつきで実行している。このときに原動力になったのは、アルバムの在庫を処分する必要に迫られていたことと、その処分という行為そのものを、何かを象徴する、面白味のあるものにしたいと考えたことだった。それにも増して、彼らはつねにアイデアを探しまわり、「何か」を起こそうとしていた。

(略)

[セカンドシングル「ホイットニー・ジョインズ・ザ・ジャムズ」冒頭の]

スパイ大作戦」のテーマ曲は、ホイットニー・ヒューストンを説得してバンドに加入させるという不可能なミッションを表現している。この曲の前半、ドラモンドはありふれたダンスのリズムに乗せてヒューストンに懇願する(「ホイットニー、お願いだ!どうか、どうかJAMsに加入してくれ。俺たちのレビューを見ただろう?お願いだ、ホイットニー、お願いだ!」)。そのあとで、ヒューストンの最高のポップシングル「すてきなSomebody」が挿入される。ここでも、通常のサンプリングとは異なって、楽曲の一部がそっくりそのまま盗用されている。だが、そこにこの曲のロジックが表現されているわけではない。JAMsにいわせれば、ホイットニー・ヒューストンはこのバンドに加入することを決意しているのであって、ドラモンドはそのことを世間に納得させるため、感極まったように「ホイットニー・ヒューストンがJAMsに加入した!」と叫ぶ。

(略)

[このシングルが]親音楽的なダンスバンド、ザ・KLFに向かうきっかけになったというわけだ。もちろん、もはやヒューストンのサンプルをアルバム『1987』流の「転用」として考えることは不可能である。ビートルズやABBAのサンプルの場合とは異なって、これはスペクタクルの意味合いを逆転させようとする作品ではない。むしろ、盗用している楽曲の素晴らしさを称賛しているのである。

(略)

 この作品は、「黒いジャガーのテーマ」をサンプリングした、売れそうな楽曲をつくろうとしたことから生まれた。(略)

[アイザック・ヘイズを買うためレコード店に向かったドラモンドの目にホイットニー・ヒューストンの大型パネルが入り]

『ワオ』といってそのアルバムを買った……。俺たちはその曲をくりかえし聴き、『こんなにすてきなレコードがもうあるんだから、俺たちがレコードをつくったって無意味だ』と思った。そんなわけで、この曲は(略)ホイットニー・ヒューストン賛歌になった」

(略)

[三枚目「ダウンタウン」はペトゥラ・クラークをサンプリング]

ペトゥラ・クラークの歌詞はロンドンをロマンティックに描写していたが、ドラモンドの歌詞はホームレスをテーマにしていた

(略)

ダウンタウン」を面白くしているのはドラモンドと聖歌隊のからみである。(略)

聖歌隊が「栄光!」とうたえば、彼は「栄光ってどんな?ワインバーの世界の?」と問いかける。最終的には聖歌隊のうたう情景に屈し、「オーケー、聴こうじゃないか」と渋々いう。すると聖歌隊はテンポを速め、転調し、合唱する。クリスマスのキリスト教精神そのものを表現するこの合唱は、神の賛美、栄光、天使、イエス・キリストの誕生をうたう。ドラムマシンがひたすら刻みつづけるビートに、ロンドン・コミュニティ・ゴスペル聖歌隊歓喜にあふれる歌声を組みあわせたこの曲は、JAMsが生みだしたどの作品よりも優れている。 

コミックソングが大ヒット

[88年ザ・タイムローズというユニット名でリリースしたコミックソング「ドクトリン・ザ・ターディス」が100万枚の大ヒット]

 きっかけは「ドクター・フー」のテーマ曲を使い、売れそうなダンスミュージックをつくりたいと考えたことだった。

(略) 

ドラモンドとコーティは当時すでに三十代半ばで、メインストリーム系のポップ・レコードのフロントマンに適任ではなかった。そこで、コーティの車がその楽曲をつくったことにした。それはアメリカの大型のパトロールカーで、外観はブルース・ブラザーズのブルースモービルをぼろぼろにした感じだった。(略)

シングルのジャケットには、フォード・タイムロードという新しい名前をもらったその車の写真が使われ、「やあ!僕はフォード・タイムロード。車だ。レコードをつくったよ」というセリフの吹き出しがつけられた。

 「ホワット・タイム・イズ・ラブ?」 

突然に大金を手に入れたドラモンドとコーティは(略)サウスロンドンの廃ビルの地階に専用のレコーディングスタジオを持つこともできた。

(略)

 二人はクラブ向けのダンス曲を立て続けにリリースする計画に乗り出した。(略)

「たんにダンスフロアに存在するというだけのメッセージ性のない音楽をつくりたいという欲求(略)

あるレイヴ会場で、一緒に摂取したMDMAがいつごろ効いてくるのかをコーティに尋ねようとしたドラモンドが、どういうわけか「愛って何時?」と口走った[言葉を曲のタイトルに]

創造性の停止

 この瞬間、つまり彼らがザ・KLFとしてヒットシングルをつくることを決断したときに、その二年前から続いていた創造性の流れが止まってしまった。JAMsの結成以来あふれでていた新しい素材が、とつぜん、いっさい出てこなくなった。それからは、新曲が書かれることはなかった。(略)古い楽曲が見直され、リミックスされ、再リリースされた。遊び心に満ちた創造力はひたむきな努力に、芸術は工芸にとってかわられた。

ブリット・アワードのオープニングパフォーマンス

[92年のブリット・アワードのオープニングパフォーマンス。前年にも依頼されたが]ステージいっぱいに天使とズールー人を配置し、二人がおのおの象の背中に乗って登場するという演出を提案したところ、交渉が決裂してしまった。(略)[象の脚を一本チェーンソーで切断案が決定打に]

彼らにいわせれば、その象は音楽業界の象徴だった。

(略)

[ショー当日]の早朝、ドラモンドは(略)[ステージで解体するための]死んだヒツジ一頭と血液八ガロンを購入した。(略)

切った肉塊は客席に投げこむつもりでいた。(略)

 これでも妥協していた。もともとはコーティが、演奏中にドラモンドが自分の手を切り落とすというアイデアを思いつき、そうするよう彼を焚きつけていた。

(略)

 死んだヒツジの噂はその日のうちに広まった。彼らのパブリシストのミック・ホートンが、その計画を阻むため、抜け目なくマスコミに伝えたからである。驚愕したジョナサン・キングとBBCは、そういう演出はけっして許されず、テレビ画面に映しだされることもないと明言した。(略)

[例のヒツジは]夜遅くなってから持ちだされ、「私はあなたのために死にました」という書き置きとともに、打ち上げパーティの会場になっていたホテルの入り口階段に放置された。あっという間に警官が駆けつけたので[血液は撒けず、その代り旧式の機関銃を持ち込み](略)

演奏の終わりに葉巻をぐっと噛みしめると、客席、すなわち音楽業界そのものに銃弾[空砲]を雨あられと浴びせた。 

[関連記事]

 ジュリアン・コープ著作

kingfish.hatenablog.com

 

分配的正義の歴史・その2 マルクスは道徳的な言葉を嫌った

同じ箇所を引用してるw

分配的正義の歴史 道徳的な言葉は非人間的 - 本と奇妙な煙

分配的正義の歴史

分配的正義の歴史

 

道徳的な言葉は非人間的である、とマルクスは考えた

マルクスは分配的正義を擁護したと見なすのは間違いである。彼は、そのような用語を用いて資本主義への批判を展開したのではない。

(略)

なぜマルクスは正義の名のもとに資本主義に対する批判を表明するのを避けたのかについて、マルクス論者の間で激しい論争が続いている。

(略)

我々の目的からすれば、マルクスは分配的正義の明確な支持者ではなかった、というだけで十分である。

(略)

 個人の権利という考え方を批判した『ユダヤ人問題によせて』、権利への請願を「ブルジョア的表明」で「イデオロギー的に馬鹿げたこと」だと述べた『ゴータ綱領批判』、この二つの著作でマルクスは、正義が社会主義の思想に適合しないツールであるということを最も明瞭に打ち出している。マルクスは後者において、財の再分配への社会民主主義的な要求についても拒絶しており、実際のところ「何よりも分配を変更させるものとして社会主義を表明すること」を拒絶したのであった。

(略)

経済的分配を生産から引き離して扱うのは間違いである、とマルクスは考えている。第一に、分配されるべき最も重要な財は生産手段である。(略)

食料、衣服、住居が分配される以前に、まずは、土地、用具、その他の資本財が分配されなければならない。また、社会における勢力均衡の大部分は、消費財の分配でなく、これら生産要素の分配によって決定される。土地や資本財を所有する人々は、労働によって生きる人間において不足する消費財の分配に支配力をもつことになるだろう。だから「分配構造は生産構造によって完全に決定される」、というわけである。

(略)

 「人間らしくする」ことや「社会化する」こと(略)は、「より公平に」することや「公正に」することではない。

(略)

アレン・ウッドは次のように論じている。資本主義のもとでの労働者の搾取は公正である、とマルクスは考えたのだ。マルクスは「正義」のことを、固有の生産様式を保持する合法的関係を表す用語であると考えたのだ。そのような定義のもとで、資本主義の繁栄に寄与するあらゆる制度が、「公正」と呼ぶに値するのだと。
 しかし、このように述べるのは、資本主義を礼賛するということではない。それは、「正義」が有用な規範であるという理念に挑戦するということである。正義の基本的仮定――人間は社会的集団の一員である以前に、個人とみなされるべきである――は、人間本性に関するマルクスの構想と根本的に食い違っている。マルクスは、正義にとって個人の権利が極めて中心的であるとする考え方に怒りの矛先を向ける。人間は権利を保持する(略)という考え方に対して、マルクスは次のように述べる。それは、(1)極めて個人主義的である。(2)主に一八世紀ヨーロッパの思想における展開の所産である。(3)政治的領域と私的領域の明確な区別が存在するのであり、政治的領域の目標は私的領域における個人の自由の保護であり、そして人間が最高度の願望を実現するのは私的領域に限られるのであるという、個人を讃える構想にとっての要諦なのであると。

(略)
「隔離された個人」という考え方は、実際「一八世紀の個人こそが理想であるかのように想像力を働かせた一八世紀の提唱者」の道徳・政治思想の所産なのである。

(略)

個人を賛美する一八世紀の思想家たちが(略)商業だけでなく、宗教的慣行もそこに位置づけようと望んだ私的領域において、人間本性は最も繁栄するのだと。そのような権利の宣言は、マルクスが人間の「解体」と呼ぶもの、あるいはもっと穏やかに今日我々が生活の「区画化」と呼ぶものへと向かう、より一般的な運動の一部である。

(略)

我々が一緒に取り組み、互いの関心を理解しようと試みなければならない政治的領域は、私的領誠における我々の信条や利害を実現する能力を保護する主要手段となるのだ。大多数の一八世紀の思想家たちは、このように目論んだのであった――マルクスが嘲笑的に述べたように、「このようないわゆる人間の権利を保持するため」の「単なる手段」にすぎないと。

(略)

マルクスによると飲食や生殖のような明らかに本源的な私的行為は、あらゆる他の人間活動と統合され、そのような活動が単に彼自身の孤立化された生物的単位によって(略)果たされるのではなく、社会的な方法で果たされる場合に限って、「本当の人間的機能」となる。

(略)

我々は、社会化された方法というよりも個人主義的な方法で生活を送るように強いられる場合、最高度の形式の芸術(感覚的な満足)と最高度の経験的科学の両者を獲得するのに失敗するという。

(略)

 以後の分配的正義の歴史に最も顕著な影響を与えたのは、このような徹底的に社会化された人間に関する構想である。

(略)

マルクス自身は、いかなる意味でも「正義」の唱導者ではなかった。彼は、伝統的な正義の考え方で焦点となる諸権利を拒否したのであり、共産主義にいっそう適した正義という考え方のために、新たな意味を展開させようとはしなかった。実際のところ、彼は道徳的な用語をほとんど嫌っていた。道徳的な言葉は非人間的である、とマルクスは考えたのである。

(略)

カントによる自由を通じた道徳の正当化でさえも、マルクスからすれば道徳的規範を我々から離れた遠くに追いやるものなのである。道徳的規範が我々自身から遠く隔たっている場合、それは支配のための簡単な道具にされる。そして互いを叩きのめすために、他の人々に望むことをするように強要したりおだてたりするために、我々は道徳を用いがちである。適切に人間らしさを付与された一連の社会的規範というものは、外部から我々のもとに現れるのではなく、我々自身の規範として我々が――隣人たちと一緒になって――創造し、我々が日々形成するものとして、我々の前に立ち現れることになるのだろう。
 正義は――道徳において特徴的なように――、疎外された、驚異的な、他律的な様相を呈する。さらに正義は、個人主義のもつ疎外化する力を促進する。だから正義は、理想的社会では存在しないのであろう。

ロールズ 『正義論』

 ジョン・ロールズの重要性を明確に描写するためには、一九世紀初頭から『正義論』が出版される一九七一年にかけて登場したほぼすべての政治哲学に関する重要な著作が、以上四つのカテゴリーのいずれかに分類されるという点をおさえておくことが大切である。ロールズが筆をとったときに、政治問題に関する規範的な根拠を示そうと企てていたのは、マルクス主義者と功利主義者だけであった。さらに彼らでさえ、あらゆる規範的な主張は感情の表明であって、科学的・哲学的分析に属するものでないと考える、大流行の実証主義パラダイムを支持する人々からの絶え間ない攻撃に晒されていた。ロールズが実行したのは、非功利主義的な基調で道徳哲学への敬意を回復させる、ということであった。ここで彼の成し遂げた革命は、実に驚異的であった。『正義論』の出版から一〇年も経たないうちに、功利主義は衰退の途を辿り始め、大量の道徳体系が活動を再開することになった。かなりの部分は、功利主義を魅力的にしていたものを大量に借り受けること、マルクス主義実証主義者に見られる伝統的な道徳理論への批評を承認すること、およびこれらの批評に対して彼のスリム化したガント主義が応えうると示すことにより、ロールズはこの革命を成し遂げたのであった。
 もっと正確にいえば、ロールズがライバルたちと共有しているのは、道徳体系をまるで神から溢れ出して我々を監視するものと見なすような、道徳に関する疑似神秘的な見解に対する嫌悪感である。マルクス主義者、実証主義者、功利主義者と同様にロールズにとって、道徳体系は人間社会の創造物であって、人間が共に生活する際に生じる問題を解決するために考察されたものである。そのうえ、特に功利主義者と同様にロールズにとって、道徳体系は論争的な問題を解消する具体的提案をもたず、決定手段となるものを備えていなければ役立たずのものである。人々の間で生じるあらゆる具体的問題に道徳哲学者が解決策を提供できると期待することに対して、ロールズは自分の著作のなかに思慮深い戒めを扶み込んでいる。

(略)

 功利主義や同時代の他の道徳・政治哲学のパラダイムと比べた場合、ロールズが顕著に異なっている部分とは、個人の重要性を強力に主張している点である。『正義論』の最初の頁では、「各人は、全体としての社会の福利でさえ覆すことのできない、正義に基づく不可侵性を所有する」と宣言されており、そしてこの論点は、同書全体を通じて功利主義に対抗するかたちで用いられている。ロールズによると、功利主義の用いる方法論は「多くの人々が一つに融合される」というものである。そうではなく、「別々の異なる目標の体系を備えた別個の個人であるという複数性こそが、人間社会の本質的特徴である」と仮定することから開始すべきなのだという。(略)

ロールズは極めて真剣に人々を区別するからこそ、あらゆる人間の目的を一つの同質的な型(快楽)に還元しようとする功利主義にも抵抗するのである。ここから導かれるのは、ロールズによる最も興味深い提案の一つである。すなわち、正義は「基本財」――実際に何らかの人間的な目標を追求するために必要な財――の分配にのみ関連すべきで、究極の人間的な善を構成するものは何かという問題は棚上げにすべきだというのである。

(略)

ロールズは、人間の個人としての人格の重要性――だから社会がそれ自体のより大きな利益に反してでも、諸個人を保護する必要性――を強力に主張することにより、最終的に近代的な分配的正義の考え方を的確な位置で定義し始めるのである。

(略)

マルクス同様にロールズにとって、人間本性は社会の決定因というよりもその産物である。社会制度は、「人々が抱くようになる欲望や選好に[常に]影響を与える」ため、「人はいくつかの社会体制のなかから、部分的にはその社会体制自体が生じさせたり促したりする欲求や必要にしたがって選択せざるを得ない」。我々の「人生の展望」の大部分は、我々の暮らす政治構造や社会構造によって形作られ、さらに我々の能力や技能は、我々の社会によって決定的に形作られる。「様々な社会条件や階級観」は、我々の本来の能力が「発展し成熟する」程度に影響を与え、「努力しようとする意志、挑戦しようとする意志、さらに通常の意昧での適格者になろうとする意志でさえ、……幸運な家族や社会状態に依拠する」。さらに我々の「個人的性格」は、そのように社会によって形作られ、我々がほとんと制御できないものであるため、財を公平に分配する原理を考察する際に脇に置いておかなければならないものである。アリストテレスにおいて分配的正義を定義し、それを矯正的正義から切り離した報償は、いまや分配的正義という概念から完全に消失してしまっている。ロールズによると、応報的正義の対極にある分配的正義において、「必要性という教訓が強調され」、また「道徳的価値が無視されている」という。まさしくこれは、アリストテレスが二種類の圧政を分類した方法を逆転させている。そしてカントが人間の価値を説明し、絶対的価値――それゆえ等しい価値――をすべての人間に帰属させる際、このような措置は暗示的に表明されているのだが、ロールズにとってそのような問題に決着をつけるのは、性格の大部分が我々の社会の産物であるとするマルクスの議論なのである。  

デジタル資本主義

デジタル資本主義

デジタル資本主義

 

資本主義と民主主義

ヴォルフガング・シュトレークは、そもそも資本主義と民主主義は「強制結婚」をさせられていたと述べている。シュトレークによれば、1980年代の米国レーガン政権、英国サッチャー政権誕生が、資本主義と民主主義の「段階的解消過程」の始まりである。(略)それまでの「ケインズ型資本主義システム」(国家の経済介入、大きな政府)から「ハイエク型経済システム」(自由市場経済、小さい政府)へと経済政策の舵を切ったのである。
 それまでのケインズ型資本主義システムでは、国家が資本主義と民主主義の仲介役を果たしていて、労働者の権利強化や、税金による所得再配分機能を通じて資本主義が生み出す不平等を是正する力が強かったのだが、見方を変えれば資本主義の力をそぎ、大きな非効率を生み出していたとも言える。そこで1980年代以降、米英をはじめとした先進諸国では各種規制緩和国営企業の民営化、所得税最高税率の引き下げ(米70%→39.6%、英83%→45%)などを進めた。この結果資本主義の本来の力が解き放たれ、経済的な格差も拡大し始めたのである。その後、米国では経済的な格差が献金などのチャネルを通じて政治的な格差にまでつながってしまい、資本主義と民主主義との「離婚」が不可避となってしまったというのである。

(略)

デビッド・モスは、米国の民主主義は歴史的に重要な経済課題を見つけ対処する能力を持っていたが、民主主義への信頼が揺らぎ弱体化することで、以前ほど問題解決に効力を発揮しなくなったと述べている。

(略)

我々はデジタルが資本主義と民主主義のバランスを取り戻す仲介役としての役割を果たす可能性はあると考えている。第4章で紹介するシェアリング・エコノミーは個人へのエンパワーメントを進めるし、さまざまなデジタル・プラットフォームは個人の意見表明の機会を拡大している。ただしPARTⅢで詳しく見るように、仲介の役割を果たせるかどうかはデジタルがどのような目的あるいは価値観のもとで活用されるかに依存するだろう。デジタルが資本主義の強化だけに用いられたりすれば、資本主義と民主主義はさらに対立を深めてしまう可能性もある。

GDPのピンボケ現象」

 単純化して説明をすると(略)生産者余剰とは価格とコストの差分、すなわち生産者の利潤であるのに対して、消費者余剰とは価格と支払い意思額の差分、わかりやすく言えば「お買い得感」である。(略)

消費者余剰は通常は金額換算されることはない。つまり生産者余剰はGDPとして計測されているが、消費者余剰はGDP外の存在である。

(略)

 消費者余剰の金額換算が難しいもうひとつの理由は、同じ商品であっても、人によって、さらには時間や場所によって支払意思額が変わることである。どうしても今すぐアイスクリームを食べたい人からすればかなりの金額を払っても購入したいと考えるだろうし[逆なら相当安くならないと購入しない](略)

同じ人物であっても猛暑日になれば多少のプレミアムを払っても購入するだろう。

(略)

 消費者余剰と生産者余剰の合計が総余剰であるが、総余剰こそがその商品・サービスが生み出した真の意味での付加価値だと言える。そして総余剰は、客観的に把握することができる生産者余剰と、主観的にしか把握できない消費者余剰によって構成されているのである。

(略)

無料の検索サービスは生産者余剰を生み出さず、消費者余剰だけが発生していることになる。(略)

[一方広告主向け検索ワード販売サービスでは]グーグルは支配意思額ギリギリの水準で価格を設定していると仮定しよう。(略)

議論を単純化すれば、グーグルは検索サービス事業では消費者余剰を生み出し、検索ワードの販売事業では生産者余剰を生み出しているのである。

 これまで経済学のなかでの概念的な存在でしかなかった消費者余剰が、無料のデジタルサービスが広まるにつれて概念以上の存在になってきている。そしてこれが、我々が呼ぶところの「GDPのピンボケ現象」を引き起こし

(略)

クズネッツが目指していたのは国民所得計算によって国民の経済的な豊かさを測定することであったが、第二次世界大戦に突入しつつあった英米にとっては、国の生産力や軍事力を可視化する目的が優先されるようになった。ダイアン・コイルはこの意思決定が国民所得計算のターニングポイントになったと述べている。すなわち、もしGNPが国民の経済的な豊かさを表す指標であるのならば、政府のさまざまな支出(インフラ投資や国防のための軍事支出など)は国民の豊かさを達成するためのコスト(経費)であって、文字通りコストとしてGNPから差し引くべき存在であるはずなのだが、そうではなく「GNPに加える」ことが決められたのである。
 この違いは非常に大きい。もし今日のGDP統計のルールが、政府支出をコストとしてGDPから引くことを求めていたら、政策当局の人間は、いかに少ない政府支出で国民にサービスを提供するかを熟考しなければならなくなる。(略)

[それが現行ルールでは]「政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているにすぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」のである。

(略)

本来は消費者余剰と生産者余剰の合計値である総余剰こそが国民経済全体の福祉水準を表すはずであるが、これまでは貨幣換算ができ客観的であるという技術的な理由や、生産力・軍事力の把握という政治的な理由によって生産者余剰のみが注目されてきたのである。
 しかし生産者余剰だけに注目すると第1章で示したように国民の豊かさに関して誤解を生み出す可能性がある。デジタル・ディスラプションのように、デジタル化によって生産者余剰は縮小してしまったが総余剰の面積は増加しているという状況が起こった場合、GDPだけに着目していると我々の経済は縮小しているという判断が下される可能性がある。 

国内総余剰(GDS)

 デジタル資本主義の時代において、国内総余剰という概念がGDPだけを見るよりよいと思える理由がいくつかある。

(略)

 第1に、デジタル化が進むとGDP統計では価値の捕捉がしづらくなる局面がますます増えることである。GDPはイノベーションの影響を測定するのが苦手である。こう聞くと意外に思う人がいるかもしれない。イノベーションこそがGDP成長のカギで、イノベーションさえ着実に行っていればGDPはそれだけ増えるのではないのだろうか。しかしGDPはあくまで「量」の捕捉が主目的であって、「質」の変化を直接捉えることができない。もう少し正確に言えば、GDPは質の変化によって生み出された販売量の変化を捕捉しているだけであって、それは質の変化を表しているとは言えないのである。ITの世界では、PCに代表されるように質が向上したのに価格は逆に低下することがよくある。質の向上と価格低下によって、結果として総販売量は増えるのかもしれないが、性能向上と販売額の変化の度合いは必ずしも一致しない。

 他方(略)消費者から見てPCの性能が向上し、さらに価格が低下しているとなれば、支払意思額と価格の差である消費者余剰(お買い得感)は大きく増え、実際の購入も増えるのである。
 第2に、デジタル化の進展に伴って生産者と消費者の境界が曖昧になることである。詳しくは第7章で議論するが、デジタル化のもとでのイノベーションは顧客参画型である。顧客がデータを提供し、それをもとにパーソナライズされた商品・サービスが生産者から提供される、あるいは顧客が自分で商品やサービスの設計を行えるようなプラットフォームを生産者が提供するといった協働形態が進むと考えられる。このような仕組みでは、生み出された価値のどのくらいが生産者に帰属し、どのくらいが消費者(顧客)に帰属するかを判断することが難しくなる。

(略)

そのような状況下では、生産者余剰(GDP)だけに固執するよりも、総余剰を見るべきだと言えるだろう。
 第3に、推計の技術的な側面である。消費者余剰は概念としては理解できても実際の推計は極めて難しいことは認めざるを得ない。しかしIoTの進化やソーシャルデータの爆発的な増加によって、消費者余剰をタイムリーに推計する手法が生まれるかもしれない。

(略)

 国内総余剰の概念は、GDPを含んでいることからわかるように、GDP統計を廃棄するものではない。むしろGDP統計では「量」の計測を、消費者余剰では「質」の計測を担当させると割り切って、両者を補完関係にするのである。