再読:柴田さんと高橋さんの小説の読み方・その2

前回の続き。 

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

 

片岡義男、『ゴーストバスターズ

片岡義男さんって人はもしかすると村上春樹になっていたかもしれない存在だったと思うんです。(略)

僕らが見てきたのは、まず一方に植草甚一さんが教えてくれた膨大な情報がありますよね。一方で片岡さんのあの全然湿気のない、乾いた非常にシンプルな文章で翻訳臭い一群の小説がある。片岡さんの小説は角川文庫に入って映画にもなって、青春小説として消費されるという不思議な運命をたどるんですけど、あれは変な小説で、何のリアリティもない話が延々と続いているんです(笑)。だから今はあまり片岡さんの小説って読まれてないと思うんですけど、僕はある意味、片岡さんが早すぎたのかって思って(略)

[春樹との共通性は]小説より先にライフスタイルがあるという考え方ですよね。(略)

実を言うと、片岡さんの小説はその当時あまり面白く感じられなかったんです。何かしゃれすぎているなと思ったんですね。この反応って、実は村上さんが出てきた時に対する反応に近いものかもしれない。

(略)

片岡さんという人は言ってみれば、村上さんの十年以上前にそういうアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを実践していて、たぶん反発はもっと強かったと思うんです。(略)

片岡さんはアメリカと日本、それから英語と日本語に関する評論をずっと書いていて、今になってやっと片岡さんが小説でやろうとした気持ちが理解できたような気がします。(略)

[60年代の]湿気た日本の風土の中で、翻訳調に近い言葉で小説を書くというのはすごく戦闘的な態度だったと思うんです。サブカルチャーに信頼を置いた、きわめてアンダーグラウンドなものだった。でもそうは読まれなかった。マスカルチャーの方で映画とタイアップとか角川商法に乗る形で消費されたことで、ある意味早すぎたのかなっていう一面があったと思うんです。彼はアメリカとは何かというと「言葉」だと言ってるんです。(略)まず最初にフリーダムという誰も説明できない言葉がある。アメリカはまず言葉というか概念からはじまって成り立っている国だと言う

(略)

柴田 (略)日本で「日本はこういう国だ」という時には今までの歴史のことを言っている。一方、アメリカというのは、いまだあらざるものを言葉にし、まだないものに向かって自分が動いていく。

(略)

高橋 僕は『ゴーストバスターズ』でアメリカを発見するっていう話を書こうと思っていたんですが、結局書ききれなかったんです。自分では書く前には書けそうな気がしたんですが、実際書いてみると書くことがあまりなかった……。

(略)

僕は「アメリカ発見小説」を完成できなかった。やっぱり僕は日本を発見するしかないのかもしれないと思って、結局日本に向かったわけです。そして、日本の近代文学について考え始め(略)『日本文学盛衰記』を書いたんです。 

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

 

 

日本語の外へ (角川文庫)

日本語の外へ (角川文庫)

 

  対称・非対称

僕がデビューする八〇年ぐらいに、その「仮の」到達目標[「恋愛」「青春」]は消えていったと思うんです。

 だから僕は八〇年代以降の日本の小説は、読者に対して「こっちにおいでよ」という方針を出せなくなったと思っていて

(略)

 近代小説は、自己と他者の区別をはっきりさせることによって自分の中にいる他者に目ざめさせるという構造を持っていたように思うんです。しかし、最近の小説の、一つの大きな流れとしてのそんな非対称的な世界ではないもの、もっとアバウトなものを書こうとしているものがあるように思えます。
 つまり社会的な言語を使って自他を区別する非対称性の世界から、自他の区別のうすい、たとえば無意識という、対称性の世界を作品にとりこもうという試みです。(略)

[かつて小説が]無意識をコントロールしてその中に人間的なものを取り出して構築するものだとしたら、もうそういうコントロールはよそうと。つまりわけがわからないままで(笑)(略)夢か現実かがそもそもわからない。

(略)
柴田 (略)もう誰もこの世の中がきちんと成り立っているなんて思わなくなったし(略)世の中は筋が通ったものであるはずだという発想がもう説得力を持たないということと、こういう整合性を信じない小説が出てくるということはすごくつながっている気がするんです。
(略)

カーヴァーたちの文学というのは基本的に外を向いていたと思うんです。(略)

[プロレタリア文学にように明確ではないが]見えないシステムに縛られているというような不透明さはあった。(略)[でも]今はかなり内に向いてきていますね。

 また先ほどの対称・非対称の話で言えば、アメリカの小説は、もともと自分と他人の線引きが甘い文学だろうと思います。(略)

個別的な他者を通り抜けて一気に世界まで行っちゃうようなところもあるし、あるいは他人が出てきてもエドガー・アラン・ポオみたいに全部主人公の分身みたいに読めてしまうところがあったりする。

アメリカ」を翻訳できるか

柴田 アメリカではずっと、グレート・アメリカン・ノヴェルという言い方をしていたわけですよね。やっぱり普遍志向があった。

(略)

フィリップ・ロスなんかはそのパロディで『グレート・アメリカン・ノヴェル』っていう小説を書いちゃうんですよね。(略)

[でも]そのあとはもうできない。もう大きな物語がないから。(略)
[ブローティガンの]『アメリカの鱒釣り』でも、もはやアメリカをめぐる大きな物語はめざしていなくても、やっぱりアメリカについて語っているという姿勢は自然に出てくるんですよね。でもそれもブローティガンが最後かな。

(略)
ピンチョンは、アメリカをタイトルに出さないにしてもアメリカの全体像をとらえようという気はありますね。

(略)

高橋 『ゴーストバスターズ』が失敗したのは、アメリカの作家がアメリカについてやるように書きたいなと思ったのに、そうはいかなかったということですね。(略)「アメリカ」という言葉を翻訳しても「日本」にはならない。変ないい方ですけど。 

ゴーストバスターズ 冒険小説 (講談社文芸文庫)

ゴーストバスターズ 冒険小説 (講談社文芸文庫)

 

 ピンチョンとデリーロ

柴田 (略)レイモンド・カーヴァーが新しかったのは、自分の課題がアメリカ全体の問題にまで誇大妄想的に広がるというアメリカ文学の基本形を全然思いつきもしないような人たちを描いて、作家自身もそういう想像力を働かせないところです。そういう意味で、アメリカ文学としてはすごく珍しかったんですね。

 ピンチョンとデリーロの話に戻ると、僕もデリーロはすごい作家だとは思うんですよ。でも、この良さを十分に味わえない。(略)

あくまでデリーロのせいじゃなくて僕のせいなんですが、とにかくデリーロの「声」って、どこにもないんですね。(略)

デリーロのようにいろんな町の中のノイズとか会話の切れ端をいっぱい拾ってきて文章を作ってるような人は、声で乗せるタイプではないんですね。

高橋 僕も、柴田さんのその考え方にはまったく同感なんですよ。デリーロの小説には、デリーロの声というものが感じられない。それが退屈……。(略)僕は、ピンチョンもそうだと思ってたんですよ。

柴田 ただ、『アンダーワールド』の訳者の高吉一郎君とか、あと都甲幸治君とか、僕の学生さんの中で一番頭のいい連中は一発でデリーロにはまっています。今後の世代にはあの声のなさがいいのかも。ピンチョンにはもう少しにじみ出るものがありますね。
高橋 それがデリーロとの大きい違いですね。『スロー・ラーナー』を読んで、実はピンチョンはウエットで、エモーショナルで、センチメンタルな情感の持ち主だろうということがよくわかりました。彼は自分のそういう部分を出さないために、壮大ながらくたを積み上げたような文章にしているのであって、またそう思って読むと、すごく魅力的なんですね。ピンチョンの素顔が出てくるのは、あとがきとか、他人の作品について書いた解説とかで、それはすごい優しい文章なんですね。全然小説と違う。だから僕は、いつかそういう部分が全面的に出た小説を書けばいいなと思うんですけどね。 

スロー・ラーナー (ちくま文庫)

スロー・ラーナー (ちくま文庫)

 

 バリー・ユアグロー

柴田 (略)僕は、バリー・ユアグローの『一人の男が飛行機から飛び降りる』は、高橋さんがお読みになって、これは俺だったらいくらでも書けるとか、そういうふうに思われるかと思いましたが。

高橋 いえいえ、なかなか難しいですよ。(略)

あれはね、十個ぐらいはすぐ書けるんです。でも、その後、加速度的に難しくなる(笑)。(略)

相当排気量が大きくないと。ユアグローはずっと一定のリズムで書いてますから、これは僕にはできないなあと思いました。 

一人の男が飛行機から飛び降りる (新潮文庫)

一人の男が飛行機から飛び降りる (新潮文庫)

 

春樹のカーヴァー訳

高橋 実を言うと、村上さんのカーヴァーの翻訳はほとんど読んでないんです。カーヴァーは八〇年代になって注目していた人が多かったと思うんです。僕もその一人で、これは小説の書き方としてすごいなあと思って読んでいました。いったい誰が訳すことになるんだろうと思っていたら村上さんでした。二つか三つぐらいですが、読んでみた印象では合ってるといえば合ってるし、村上色が強いって言えばそうも言えるんだろうと思いました。仮に村上さんの色のついたカーヴァーだとしても、その色がべつにカーヴァーを傷つけているわけではなくて、カーヴァーのある部分を非常に強調するような色のつけ方で、そういう在り方も翻訳としてはいいことだと思っています。訳の全体については僕には何とも言えないんですが。
柴田 僕は、『カーヴァー全集』の英文と訳文を突き合わせてチェックするという役割で付き合ってますが、なんの違和感もないんですよ。たぶん、僕の頭の中で、村上さんが訳すとこういうふうに偏るという(略)情報がインプットされてて、だからもうフィルターを通して読むような感じがあるのかなあ。
高橋 僕も、カーヴァーをずうっと八〇年代に読んでいた時に、日本語にするとこんな感じかなというのがなんとなく頭に浮かぶんです、書かなくてもね。それで漠然と日本語だとこういうものだというのがあって、翻訳されたのを読むと違ってて、あっ、そうか、こういう日本語にカーヴァーはなるんだなあ、と思った覚えはあります。
柴田 村上さんの訳だからというより、村上訳カーヴァーを読んでると、とにかく日本語と英語の違いをすごく感じるんですね。英語は単語一つーつが分かれていて、硬質な単語がごつごつ石みたいにある感じなんだけど、日本語はどうしても流れになるから、ごく表面的なところでは、カーヴァーの文章のある種突き放したような暴力性みたいなものが、少しまろやかになる気がするんですね。でも、たぶんそれはすごく表面的なところであって、それこそ底流に流れてる訳のわからなさとか怖さみたいなものは、訳文でしっかり出ていると思います。

大江健三郎

高橋 八〇年代以降の文化全体の変質に関わってくることですが(略)

サンプリングに近い行為を小説を書くということと同時にできるようになったんです。(略)

大江さんは古典的なものを自作の中にたくさん引用しているでしょう。その引用の仕方が非常にサンプリングっぽい(笑)。(略)
ブレイクを引くとか、フランス文学を引くとか。たぶん大江さんはサンプリングは好きじゃないと思うんです。サンプリングという意識ではなくて、他者の言葉を小説に持ってくるやり方が要するに平行移動的で、サンプリングしている作家にすごく近いと思うんです。(略)

ところが、たとえば小林秀雄ランボオを引用する時には地響きを立てて引用するわけです(笑)。「ジャーン、ランボオです!」って。それは、「引用っていうのは大変なことですよ。文学っていうのはオリジナルが大事だから軽々しく引用してはいけません。だから、もししなければならない時には、ジャーン、っていう感じで仰々しくやってください」という意味です。(略)

ところが大江さんにはそんな感じがない。だからあの人はそういう意味でも近代文学の作家ではないのではないかと思います。
柴田 引用するのがハイカルチャーであるということは、そんなに本質的なことではない?

高橋 そうです。大江さんは日本では珍しい無意識が大きい作家なんですね。意識的にハイカルチャーからの言葉を引っぱってくるけど。
柴田 学ぶため、自分を高めるために引用しますよね。
高橋 そう。それがね、ことごとくそういう効果になってない (笑)。
(略)

僕は昔から大江さんってとても不思議な作家で、どうもみんなが言っているように読めなかったし、大江さん当人が言っているようにも読めなかったんです。僕は大江健三郎は理知的な作家ではなくて、無意識の部分が多い天才だと思っています。それとは逆に、イメージと異なり中上健次は理知的な作家です。中上さんが悩んだのはそこだと思うんです。中上健次もすごく頭のいい人だったので、大江健三郎を読んで読んで読んだ。パブリックイメージだと中上健次が野蛮で天才肌で、太江健三郎さんは秀才で理知的となるけど、逆だった。そのことに中上さんは気づいてたし、だからこそすごく大江さんに突っかかったんだと思うんです。僕は大江さんは氷山みたいなところがあって水面に出ている以上に中に沈んでる部分が面白いんじゃないかと思います。

 綿矢りさ「You can keep it」

(『インストール』文庫版収録書き下ろし短編)

高橋 (略)基本的に三人称小説で外界の描写が多い。ここでは、大学の風景ですがこれがいい。風景描写が(笑)。(略)
まさに近代文学(笑)。たしかにそんな小説はたくさんあったはずですが、そういう、描写がきちんとしていて的確な直喩を使っている小説を読むと、近代小説を書いているなって思う。ところがね、作者の方に「近代小説」を書いているという意識が感じられないんです。つまり近代文学の歴史から完全に離れたところで完成した近代小説を書いているという感じですね。

(略)
よくできた文章やよくできた比喩では、作者としては当然作者の影を消そうとします。ところが、いくら消してもLook at meという部分が出てくる。たとえば、三島由紀夫がその典型です。でもここにはLook at meが感じられない。ここに挙げた作家たちは、普通の近現代文学を書くとどんなにニュートラルに、どんなに端正に書いてもLook at meというふうに見えるしかないことを知っているからあえて壊れた文章を書いている。それはもう必然なんですよ。ところが彼女はさらにそのあとにやってきた作家で、あえて言うなら壊れた文章を書く必要もないんですね。

(略)

綿矢さんの場合、最初の『インストール』からLook at me感がないんですよね。(略)

阿部和重の場合はあえて超Look at meにしているわけじゃないですか。すごくうるさく(笑)、中原昌也もうるさい。でも、それだけしないと近現代文学につきまとう「私」感から逃れられないのです。でも綿矢さんのように、何もしてないよって言えちゃうのはなぜだろうと思いました。 

インストール (河出文庫)

インストール (河出文庫)

 

「詩が書けない代表」高橋源一郎

柴田 作家はよく、僕のような翻訳者を相手に話すと「いや、訳すことも書くことも同じだよ、翻訳者はテキストが目の前にあってそれを訳している、僕らだって頭の中に浮かぶイメージや聞こえてくる声を言葉に訳しているんだよ」というふうに言ってくれますけれど、あれは外交辞令ですよね?
高橋 外交辞令です(笑)。書けない代表として言うと実は僕も詩が書けないんです。僕の小説は詩に近いところがあると言われたりして、詩人の友達には、「何で君が書けないのかが全然わからない、あのままでいいんだよ」って言われる。でも、ほんとうに全然書けない。詩だと意識し出した途端、想像力がまったく働かなくなるんです。でも、小説の中に登場する詩だってことにすると書けるんですね。ある詩人の生涯を書けって言われて、彼が書いた詩であれば平気で書ける。自分でも謎なんですよ。小説だとあまり考えないでとりあえず行けるけど、詩だと考えちゃうんですよね、「タイトルはどうしよう」とか、一行目は何を書こうとか。何を書こうかって思っている段階でもうだめなんです。
柴田 つまり、詩は自己表現だという思いから抜けられないということですか。
高橋 詩について極端に保守的なのかもしれないですね。やっぱりどこかで体感的に納得しないものがあって、詩が書けないっていうのは、自分の中にあるコード、つまり何か決まりのようなものが邪魔するんですね。 

再読:柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

以前にやってるけど再読。なんてザルなんだオレの記憶。 

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

 

 はじめに

「読む」時の小説と、「書く」時の小説は、同じなのだろうか。どちらも「小説」と呼んでいるけど、それは、同じ「もの」なのだろうか。

 どうも違う気がするのである。

 読んでいる時の小説は、固く引き締まって、触ってみても、そこに「存在している」感じがする。(略)

 それに対して、書いている時の小説は、ふわふわして、不安定で、どこを歩いていいのか、足取りがおぼつかない。

(略)

 じゃあ「翻訳する」時の小説はどうなんだろう。それは、ひとつの堅いなにかの表面を緩やかに流れてゆく感じがする。

(略)

「固体」としての小説があり、「気体」としての小説があり、「液体」としての小説がある。(略)

もしかしたら、それらは、「ひとつのより大きい」なにかの破片なのかもしれない。

バーセルミの影響はあったか

[デビュー時、春樹がヴォネガットなら、源一郎はバーセルミという印象だったと言われ]

高橋 バーセルミはとても好きな作家ですが(略)

言葉に対する僕の感覚は、たぶん日本の現代詩にいちばん影響を受けている。方法というよりは、言葉の扱い方が。

 日本の現代詩の中には、大ざっぱに分けてモダニズムと、いわゆるハイモダニズムと言われるれるものがありました。小説にはそういうものが、とりわけハイモダンなものがほとんどないように思います。僕は自分で小説を書き始めた時に、現代詩がやっていたようなモダニズムとハイモダニズム、さらにその先にあるものを小説でもできるのではと思っていたように思います。その後しばらくしてからバーセルミを読んだんですが、そこで「あっ、同じようなことを考えてやっている人がいたんだ」と思いました。それから後の作品では、影響を受けているとは思います。(略)
 これはジョン・バースの定義ということになるのかもしれませんが、小説の技法的革新や実験を信じることがモダニズム。それが極限にまで至ったものがハイモダニズムです。つまり、ジョイスベケットの作品がモダニスムに当たります。彼ら以降に出現した、実験は意味があるかどうかわからないけれどもそれをやっている作家のことを、彼は「ハイモダン」と呼んでいると思います。そして、ジョイスベケット以降の作家がやったことの中には、大きい考え方の革新はない、とバースは考えました。僕も、その点に関しては同感です。実験的なことに本当に意味があるのかなと疑問を持ちながらも、ふつうの小説に戻れなくなってしまった人のことを「ハイモダンな人」というふうに呼んでるんだと思います。
 日本の詩もやっぱり戦後詩のモダニズムから、これはもう実験をやっているなという感じの詩人がたくさん出てきたんです。ハイモダニズムというのは、一種の悪口なんですね。つまり「やりすぎだよ」という意味です。ただ、その中にはどうしても必然的なこともあった。僕は、バーセルミという人は、そういう意味で、必然性があった作家だと思います。

(略)

バーセルミの作品は、明らかに実験的であるという点ではハイモダニズムであり、進歩を信じないという点ではポストモダニズムと言えるかもしれません。

(略)

[70年前後の現代詩は]バースの分類に従うなら、モダンであり、ハイモダンであり、同時にポストモダンでもあるようなものです。[小説を書こうとした時]僕は、そういうものを目指そうとしていたと思います。

(略)

『さようなら、ギャングたち』を書き始めた頃には、もうすでに断片の集積で書こうとしていました。断片を集めて長大な作品を作るのは現代詩に特徴的なやり方だったので、それならできるだろう、と思っていたのです。だから、ブローティガンバーセルミを読んで、「あっ、やっぱりやってる作家がいるじゃないか」という思いは強かったのです。
柴田 (略)たとえば「太宰治」という言葉から太宰治という人間にすんなり思いが行かずに、「太宰治」が太宰治を意味するというのはどういうことなのか気になってしまう、要するにすべての言葉が括弧つきのものに見えてしまうという点では、高橋さんとバーセルミはすごくつながる気がするんです。
高橋 それは要するに、僕もバーセルミも、一種の「病気」だからだと思うんですね。
 僕がバーセルミを好きなのは、彼はものすごく正直な作家だからです。(略)いわゆる「ふつう」の小説を書いていないわけです。(略)

この社会のマジョリティのコード、約束事に則って書かれている小説(略)を読んでいると、ある人たちにとっては、まず、なによりコードそのものが目に入ってくるわけですね。(略)
「全部舞台の袖にいる演出家が演出したものじゃないか」という感じです。芝居の中身よりもそういうことが気になってしまう。この世界はコードでできているわけだから、そういう人間にとってそのことを抜きにして何かを書くというのは無理なんですね。その場合、選択肢は三つあります。

(1)わかっているけれども面倒臭いからコード通りに書く。
(2)コードのあるものは書けないので書かない。
(3)「コードがあるよ」と書く。
この三つしかないんです。そして、その選択は、どれが正しくて、どれが間違っているかわからないのです。僕は「コードがあるよ」と書くのが高度なテクニックだとは思いません。ただ、「これはコードじゃないか」と指摘する作品が、もしほかにほとんどないとしたら、誰かがそれをやらないと気持ち悪いだろう、とは思うんですね。
 この間、評論で中原昌也君のことを書いたんですけれども、おそらく彼が日本では、いまいちばんバーセルミに近い作家だと思うんですね。
柴田 中原昌也は、そのことをもっと本能的にやっている気がしますね。
高橋 (略)バーセルミは現代美術批評の理論をもって、そこにたどり着いて、そのことを作品で実現した。中原君は本能でそこにたどり着いて、そのまま書いている印象があります。野性のバーセルミですね(笑)。つまり、彼ははっきり言っちゃうわけですね、「そんなもの、皆コードじゃないか」と。

(略)

[バーセルミとの違いは]

僕はまだどちらかというと読めるということ、可読性に足場を置いているので、表面上は読みやすい。ところがバーセルミは、表面上も読みにくいんですよね。

(略)

彼はご存じのようにニューヨークのアートシーンの中、つまり「芸術」のわかる人たちの中にいました。彼と好みが共通する、ハイブラウな読者がいたんです。それは羨ましいと思う反面、いいことだったのだろうかとも思います。最初から支えてくれる共同体なりファンがあるところで書いてしまうということがです。(略)

僕は、バーセルミを羨ましいと思う反面、そのことが作品を痩せさせはしなかっただろうかとも思います。

文体を持たずに小説は書けるだろうか?

柴田 (略)デビュー当時は毎月文体が変わったとおっしゃいましたけれども、いまだに高橋源一郎の文体というのがあるのかというと……。
高橋 ないですね(笑)。
柴田 高橋源一郎の声がどこにもないことが、高橋源一郎の核心かと。

高橋 死ぬまで自分の文体を持たないようにしたいというのが、僕のひそかな願いではあるのです(略)

近代文学一二〇年の歴史で、結局何がいちばん尊ばれたかというと文体です。さらに言うと、「これはこの人の文体だ」という私有された文体なんですね。テーマでもなく、内容でもない。ただ、僕は、文体は私有されてはいけないのではないかと思っているんです。文体の私有化とは、要するに「ルック・アット・ミー」、「私を見て」ということです。だから「私小説」と言うんだけれども、それでは何を見て欲しいのかというと、文体を見ろ、なんてすね。そこに「私」がいると言っているのだけれども、「私」としか書いていないのだから、どこにいるかというと、文体の中にいるということになる。実際には、いないんですけどね(笑)。
 そこが、いま僕がずっと考えている「ニッポンの小説」のいちばん大きい問題点ではないかと思っています。

(略)

 僕の願望ははっきりしていて、ここ何年か、いかに下手な、ダメとしか思えない形の文章で小説が書けないかと、ずっと考えています。(略)

ものすごく極端なことを言うと「下手な」「ダメな」というものには形がない、というか、それは要するにコードに則っていないものなんですね。美しいものは、だいたいコードに従っていると思うんです。(略)
柴田さんの、チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』の翻訳は、日本翻訳史上の最高傑作と思います。あの作品の、柴田訳のブコウスキーは僕の文章の理想像です。(略)

あの文章は[大衆文学のコードに]従っているふりをしているだけで、いかなるコードにも従っていないようににえます。(略)

ブコウスキーは、どうすれば知らないように見えるか、本能的に知っていると思うんです。それは、要するにきわめてインテレクチュアルな作者だということです。知らないようなふりをするなんて、まだダメです。それがあの人はできてしまう。(略)美文ではない。だが、ある意味すごく美しい。物語の進行が全部偶然というか、最初からすべてでたらめなんですけれども、あまりに完璧にでたらめなので、「美しい」と言うしかない。その美しさは文体から出てくる「私」が持っているわけではないんです。 

パルプ (ちくま文庫)

パルプ (ちくま文庫)

 

文学は「本当のこと」を言うとは限らない

高橋 「21世紀ニッポン文学史」という新聞連載で、いまの若い作家を明治の作家で喩えると誰なのかというのをやってるんですが、一回目では綿矢りさは樋ロ一葉(略)第二回目で中原昌也二葉亭四迷であるということを書いたんです。どこが似ているのか。二人とも、正直過ぎるところがです。

(略)

 彼の『平凡』という小説は、「私」はいま、この小説を書いていますよというところから始めて、つまらないとか、書くことがないとか書いていった。いわゆるメタ小説とも言えるものです。でも、四迷は、そういうことをやっている自分が恥ずかしくなってしまった。メタには徹しきれない(略)書くことがないのに小説を書いているなんて本当におれは恥ずかしい、と。その正直さ加減が中原昌也と一緒ですね(笑)。

小説家は種明かしをしてはいけない 

小説の素晴らしいところは、そこに書かれていることが嘘かもしれないということですからね。あるいは本当なのかもしれない。つまり、一種の手品なんです。だから、小説家は種明かしをしてはいけない。コードというのは「こういう展開ですけれども、本当のテーマはこれですよ」という種明かしをするための種なんですね。そして、いま、小説は、種明かしとセットで売られていると思います。(略)
つまり、「これは表面上はエンターテインメントだけれども、実は現代人の心理を描いていますよ」というふうな「本当のテーマはこれですよ」という種明かしとのセット販売です。そもそも小説は読むまでは本当は何だかわからない、「とりあえず読むしかない」ものじゃないですか。でも、正解があることになっている。

村上春樹は日本語の中に英語を「入れた」

[吉本隆明が『詩学叙説』で伊東静雄の『わがひとに与ふる哀歌』の]すごいところはドイツ語をそのまま日本語にしているところだ、と言うんですね。つまり、この詩で使われている比喩は日本語ではあり得ない、と言うんです。別に翻訳じゃないんですよ。ドイツ語の比喩をそのまま日本語にしているわけです。これが日本の詩が変化していった意味だ、と吉本さんは言うんです。
 つまり、詩人というのは言語を洗練していくのではなくて、その国の言語に何かを付け加える存在なんですね。だからその部分は、よく読んでみると変なんです。でもすごく印象に残る。それがというか、それも「翻訳」なんですね。そういったもので詩というものがいわばレベルを上げていって、いまの現代詩に至るんです。小説の方で言うと、村上春樹さんは日本語の中に英語を「入れた」わけです。これは真似たとかそういうことではなくて、日本語を無理やり方向転換させたというか、日本語の枠を広げたというか、ともかく日本語じゃないものを混入した。それは二葉亭四迷がやったこととも通じるんですが、言葉が要するに変なんです。つまり、中にある物語とか、キャラクターがどうということじゃなくて、言語が脱臼しているというか、日本語ではない違うものに遭遇している感じがするんですね。
 最初に戻りますけれども、僕は(略)読んだ瞬間に「この言葉はおかしい」、これは日本語ではない、という小説でなければだめだと思っていました。だから、僕が『風の歌を聴け』を初めて読んだ時驚いたのは、方向は違うんだけれども、この人も同じことをやっているなと思ったからです。

(略)
村上さんの作品は、やはり根本的におかしいんですね。そこがいちばん重要なところだと思うんですが、そこのところはたぶん、半分わかっているけれども知らないふりをして書いているんだろうなというふうに思います。(略)
柴田 (略)「あえて日本語を変えてやろう」という気でいたとかいうことは特になかったんじゃないかな。村上さんにしてみれば、英語の小説にたくさん接するなかで、あれが一番自分にしっくりくる日本語になっていったんじゃないでしょうか。
高橋 だとすれば、すごいですよね。彼自身は少しも違和感がなかったのかもしれない。

(略)

中原君の小説も村上さんの小説も、おかしいんですよね。中原君と村上さんの小説は似ても似つかないんですけれども、そのイカレ具合は実はよく似ている。ふだん我々が目にする小説とは全く違っています。文学というものが、自己破産することなしに、原理的な「自由」を実現することができるとしたら、ああいうものになるのかもしれないという気がします。 言文一致体

詩学叙説

詩学叙説

 

 コードのこわさ、意味ありげに見えるこわさ

柴田 漱石とか鷗外も、出てきた時は変だったんでしょうか。
高橋 そう思います。ただ、その「変」の具合がいまとはもちろん違うわけです。鷗外や漱石は規範を知っていたわけですね。つまり、イギリス文学やドイツ文学という、ある種ガチガチのコードでできた世界を知っていた。コードのこわさを知っている人たちだったんですね。二葉亭四迷もまた別の意味でコードをよく知っていました。
 いま読むと当時の日本の作家は、すごくはしゃいでいるように見えます。言文一致体を手に入れて、「こんなにすごいものが書ける」とはしゃいでいる中で、何人かが「はしゃぐな。これはこわいことだよ」と警鐘を鳴らしていた。その意味合いはいろいろあったと思うんです。それは一言で言うと、「実力以上のことを書いちゃだめだ」ということです。つまり、「ニッポンの小説」が可能とした言文一致体、その散文を使うと意味ありげに見えちゃうんですね。それが作家たちを魅了した理由だったと思います。自分で真剣に考えていないのに真剣に考えたように見えてしまう、極端なことを言うと、さっき言っていた「嘘なのに本当に見える」ということにつながると思うんです。そのこわさを、その人たちは知っていたのです。

次回に続く。

 [以前読んだ時の↓]

kingfish.hatenablog.com

 

Haruki Murakamiを読んでいるときに~・その2

前回の続き。

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

 

  新たな出版社を求めて

[プリンストン大の知人の紹介でクノップフのトップ、サニ・メータと食事。一時苦境にあったメータは、『さようならウサギ』『迷宮の将軍』『ジュラシック・パーク』とベストセラーを連発し絶好調、しかも]

アメリカではほぼ無名だったカズオ・イシグロを招き、書店イベントなどを通じて『日の名残り』を大ヒットさせた。つまり、村上と会った時点で、メータは村上と似た境遇の作家(略)を成功させた実績を持っていた(略)

[それゆえ]初対面の席で村上にいきなり出版のオファーをできた

(略)

 クノップフは、もともとは一九一五年にアルフレッド・クノップフと妻のブランシェによって設立された。ロシアやヨーロッパの作家たちの作品を翻訳することから事業を始め、一九二九年にはノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンを英訳でいち早く出版したことでも知られる。翻訳書に加え、アメリカの名だたる作家たちの作品の出版もすぐに開始し、一九六〇年にランダムハウス社に買収されるまで独立系の出版社として良書を出版し続けた。(略)

英語圏のトップクラスの作家だけでなく(略)[マルケスナボコフ]などの世界的に名高い非英語圏の作家の作品も数多く出版している。

(略)

現在ペンギン・ランダムハウスの出版グループには「古臭いハイブロウな雰囲気のクノップフからマスマーケットを相手にした商業主義のバンタム・デルまで」

(略)

 クノップフは、日本人作家の英訳出版の歴史も長い。長年、川端、三島、谷崎のいわゆる「ビッグ・スリー」や(略)安部公房らの作品も出版してきた。(略)

[これらを取り仕切ったハロルド・ストラウスは]

陸軍語学学校で日本語を学び、第二次世界大戦直後に占領下の出版監視のために日本に赴任(略)「ビッグ・スリー」の独占出版権を取得(略)

現代日本文学の名作群のリストという形で今でもペンギン・ランダムハウス社のなかで燦然と輝いている。(略)

ストラウスの数々の後継者たちの努力により、想像力に富んだカバーデザインやキャンペーンによって絶えず新たな息吹がもたらされ、新たな読者を獲得し続けている。

(略)

 自らもクノップフが出してきた訳で最初の日本文学に親しんだルークは、ストラウスが日本に行って、日本そしてその文学と恋に落ちなければ、今日英語圈の日本文学の景色は少なからず違っていただろうという。

 「(略)ストラウスの文学のテイストや日本に対する関心は明確だったし、それが作品選びにも明らかに出ている」 

 カーヴァー・ギャングに加入

[92年夏、アマンダ(ビンキー)・アーバンと契約]

 なぜ村上は最終的にアーバンを選んだのだろうか。(略)

[村上談]

レイモンド・カーヴァーのエージェントをしてたからというのが大きかったかもしれない。

(略)

[逆にアーバン側の理由を春樹はこう分析]

ひとつは『ノルウェイの森』が日本で百万部以上売れていたということ。

(略)

 もうひとつは、僕がレイモンド・カーヴァーの翻訳をやっていたということです。サニ・メータもビンキーもまさにレイモンド・カーヴァーの担当をしていた人たちです。(略)

 彼らは言うならばレイモンド・カーヴァー・ギャング、「カーヴァー組」なんです。いまはだんだんと結束がゆるやかになってきたところがあるけれど、その頃はまだ絆がかなり強かった。

[三つ目は「ニューヨーカー」誌などでの評価で「将来性」を買われた]

中国行きのスロウ・ボート

村上は、クノップフから出した最初の短編集に収められた作品のいくつかは、「翻訳されたときに少しばかり手を入れた」と述べている。特に「「中国行きのスロウ・ボート」についていえば、かなり手を入れた」としている。
 村上は次のように続ける。
 この小説は僕が生まれて初めて書いた短編小説だったので、書き方がよく分からず、あとになって読み直してみると、不満の残る箇所がいくつかあった。二度にわたって書き直したので、この作品にはヴァージョンが三つある。(略)アメリカ版の翻訳テキストとして使ったのは、たしか二つ目のヴァージョンではなかったかと思う。

(略)

[短編集に収録する作品は編集のゲイリー・フィスケットジョンが選択した]

個人的に入れたかった作品で含まれなかったものはなかったか尋ねると、村上は「特に思い浮かばない」という。「アメリカの雑誌に売れたものを中心に集めたから、自然にこうなっちゃったという感じですね、僕が選んだというよりは」

 逆に個人的には気が進まない作品で含まれたものはあるという。

「「午後の最後の芝生」。これは僕は好きじゃないから、僕が“こんなの入れなくない”って言うと、ゲイリーは“僕はこれが好きだ”って言って。おもしろいよね」

冬の時代

[村上談]

ゲイリーもメータも「アメリカのマーケットでは、よほど名前が通った作家じゃないと、短編集はまず売れない。だからあまり期待しないように」と[予言していたが、実際に売れず](略)

93年にプリンストン大学の生協でサイン会をやったときには、たった15冊しか売れなかった(略)このへんが僕にとっての、アメリカ・マーケットでのいわば「冬の時代」だった

(略)

[だがフィスケットジョンは『象』の売り上げは無名米作家のほとんどの作品集を上回ったと述べている。部数は一万から一万二千部]

翻訳は買い取り

翻訳者のインセンティブを高めるために、村上は雑誌掲載に関しては、原稿料を折半する形を取った。
 「僕のシステムは、翻訳者が出版社から印税をもらうのではなくて、僕が翻訳を買い取るんです。そして、著作権は僕が全部持つ。その代わり、雑誌なんかに売れた場合は、報奨金というか、手当はきちんとする。だから翻訳者との信頼関係はずっとあって、みんな長いですよね。フィリッ プにしても、ジェイにしても、テッドにしても。
 『ニューョーカー』はすごくギャラがいいんです。僕は最初から翻訳者とは、雑誌に売れた場合は原稿料を半々にしようって決めてたんです。だから、翻訳者はけっこう潤ったと思う(笑)」

翻訳者交代を巡る見解の相違

[ジェイ・ルービンはバーンバウムが『ねじまき』の頃には燃え尽き気味だったと証言]

ルフレッドが疲れをみせたタイミングが、私にとってはきわめて都合がよかったことになる。

(略)

[村上も]

「アルフレッドはその頃自分の仕事が忙しくなって、長編小説の翻訳まで手が回らなくなっていた[と証言するが]

(略)

 一方、バーンバウムは、当初「ねじまき鳥クロニクルの翻訳を依頼されなかった」としていた。(略)村上の英訳チームから自分は「一方的に外された」ものだと認識していた。(略)

[だが村上がルークに送った手紙では]

ルフレッドと話したとき、彼は自分自身のためにやらなくてはならないことがあり(略)翻訳をしたくないと言っていた、とルークに報告した。

[再度、バーンバウムに確認すると、記憶が定かではないが、人生に迷っていた頃で混乱していたのかも、と回答]

(略)

村上は言う。

「アルフレッドは、どちらかというとポップな感じのものが好きだし、だんだん僕の書くものは、そのポップというのから外れてきてるから、彼はやっぱりその流れが合わなかったんだと思う。

(略)

「短い休みを取るつもりが、ちょっと違う意味での「ロング・グッドバイ」になってしまった」と、バーンバウムは笑う。

 「Murakami&co.が僕と距離を置いたことについての感情は複雑だね。(略)当時の心境を振り返るならば、単純な誤解やミスコミュニケーションだったのか、僕に対する何らかの不満があったのか、もう少し計算高い動きが――でも誰によって?――あったのかがわからなかったから、もちろん裏切られたという苦い思いもあったし、単純にがっかりする気持ちもあったけど、何よりも困惑が強かったかな。(略)

でもいま振り返ると、村上の作品群の翻訳から解放されたのは良かったと思う。少なくとも僕の個人的な意見では、作品の魅力は徐々に薄れているように思うから。負け惜しみだと言われるかもしれないけど、もう最近の作品は読んでもいない」

ルービン・ジェイ、村上作品との出会う

[ヴィンテージ編集者から『ワンダーランド』が翻訳に値するか読んで欲しいと依頼があり、「世間でどんな駄作が読まれているか」知ろうと引き受け、読んでみて「大胆で奔放な想像力」に驚愕]

出版社に英訳の出版を勧め、もし現状の訳に不満があるならば自ら翻訳する用意があると伝えた。しかし、「いずれの点でも助言は無視された」

(略)

[入手できる村上作品をすべて読破したルービンは村上に手紙で翻訳を申し出た。エージェントから連絡があり「パン屋再襲撃」と「象の消滅」の試訳を送った。「パン屋再襲撃」がプレイボーイ誌に掲載されることに]

 ルービンは今でも「パン屋再襲撃」は最も気に入っている作品のひとつだという。

「私に言わせてみれば、一九八五年は村上春樹のピークの年だね。なんせ「パン屋再襲撃」、「象の消滅」、そして『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が発表された年だから」

ねじまき鳥クロニクル

 しかし、ルービンが五年かけて仕土げた英訳には、ひとつ問題があった。村上とクノップフの間で交わされた契約で指定されていた文字数の上限を大きく上回っていたのだ。(略)
 作品を(少なくとも自分ほどは)深く読み込んでいない編集者に刈り込まれるのを懸念したルービンは、クノップフに二つのバージョンを送った。ひとつはカット無しの完全版、もうひとつは大幅に(ルービン本人の概算では訳文で約二万五千ワード[1379頁中の61頁](略)削った短縮版だ。
 村上としては、可能であれば短縮するのは避けたいと考えていた。しかし、当時はあまり強く意見を主張できなかったという。

(略)

[三巻本を英語版では一冊にまとめて出すことに]
 ルービンが行った削除と変更の大部分は、第二部の終盤と第三部の冒頭に当たる。第二部の終盤は「第三部にはほとんど関わりがない」と考えたからであり、「ここまで混沌としたものになるはずだったとは到底思えな」い第三部を原作よりも「締まりがありすっきりし」たものに整理した。第二部では終盤の十五章と十八章(と十七章の一部)が削除され、第三部では最初の章が他の章と統合され、第二章が後ろにずらされ、第二六章が省かれている。また、第二部の最終段落については、十七章の最終段落と(省れた)十八章の数行が継ぎはぎされる形でつくられており、原作とはかなり印象の違うエンディングとなっている。

ついに『ねじまき鳥』でブレイク

ルークは言う。(略)

[翻訳の文体は]締まりに欠けてだれがちで、物語は延々終らないので興味を保ちつづけることができなかったし、最後は綺麗にまとまるわけでもない。しかもほぼ独断で二万五千ワードだかを削ったあとでそうなんだからね。もっと削るべきだったと思う。(略)

昨年読み直したときもやっぱり同じことを思った。しかしこの本は成功して大きな反響を呼び、惚れこんだ批評家も何人かいた。(略)

フィリップ・ワイスが「ムラカミはデリーロやピンチョンを超えた、『ねじまき鳥』は今年の最高傑作だ!」と書いていたことを覚えているよ。

(略)

[一方、バーンバウムは]

英訳するときにまとまりのない部分、長すぎる部分をもっと削ったり形を整えたりしようと考えなかったのかとね。僕が編集者だったらもっとカットや大掛かりなリライトをお願いしたと思う。個人的に言えば、本当に第三部は必要だったんだろうかとすら思っている」

(略)

[英国では]

ハーヴィル・プレスは、ハミッシュ・ハミルトンが村上作品の出版継続を断念したのをきっかけに出版を引き継いだ。

「ハミッシュ・ハミルトンは『ねじまき鳥クロニクル』を出版しないという判断を下した。理由として考えられるのは、それ以前に出した村上の本の売上が芳しくなかったんだろう

(略)

ハーヴィル・プレスは、『ねじまき鳥』を六万部発行した。(略)

愛読者たちの熱意に突き動かされて作者はロンドンで講演することに

(略)

通常版とは別に、金属の箱に緑と赤の二巻本を収めた特装版として出した『ノルウェイの森』は、今や貴重なコレクターズアイテムになっている。もちろん日本で販売された原作を参考にしたものだ。

(略)

 チャリング・クロスにある書店の店長時代には、イギリスで絶版になっていた村上作品をアメリカから輸入し販売していたポール・バガリーがハーヴィル・プレスに入社したのは一九九八年六月。

(略)
 「八〇年代後半の書店員から見た村上春樹は常に「熱狂的ファンが一定数ついたカルト作家」であって、人気が爆発するには読者の数が足りていなかった(だから彼の本も絶版と再版の繰り返しだった)。

(略)

「[『ねじまき鳥』は]イギリスでその時期に出すのに最適の本だったと思う。出版社もそれを出すことをとても重視していたからけっして失敗は許されなかった。この大作が村上の再評価につながり、その地位を絶版中のカルト作家から国際的作家にまで押し上げた」